新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

対コロンビアのU-22のサッカー

2019-11-17 16:17:10 | コラム
東京オリンピックで優勝する気構えだそうで:

実は、本日はスポーツの話題ばかりになってしまうほど発想が貧困なのだ。広島で開催されたこの試合を「まさか本気でオリンピックで優勝できると思っているのか」と思いながら見ていた。アナウンサーが目玉の如くに繰り返して言っていたことが「A代表から堂安律と久保建英が入っているメンバー」という点だった。それはそれで結構なことだとは思うが、相手のコロンビアの実力が想像も出来なかったので、先ずは「御代は見てのお帰り」(とは古過ぎる表現か)だと思って観戦。

試合は兎も角、評価したかったのが「解説の清水と播戸の『良いことは良いと言い、悪い点はズバリと指摘した』滅多にない姿勢」だった。解説は常にこのようであって欲しいものだ。私の目には「我がU-22代表は遺憾ながらコロンビアよりは一枚も二枚も技量が下だ」というようにしか見えなかった。強いて良かった点を挙げておけば「A代表よりも横→横→後ろのパス回しが少なかったこと」辺りになってしまうだろう。

それほどコロンビア代表の「寄せの早さ」、「競り合いの強さ」、「忠実なマーク」、「攻撃では素早く人数を揃えて態勢を整える」、「我が方のパスのコースの読みが早くて正確で奪い取る」、「我が方の誰と何処に欠陥があるかを読む能力がある」、「パス回しが正確である」、「こぼれ球(セカンドボールという表現もある)を素早く確保する」といったような「やるべきことをチャンとやっている」サッカーが印象的に見えて仕方がなかった。換言すれば、我が代表が全員の息がそれほど良く合っていない急造テイームとの感が濃厚で、言わば連携不十分と言えると思わせられた。

以前にも繰り返し指摘したことだが、彼らは代表に選ばれる次元にありながら「ストッピング」と「トラッピング」が不正確であり、「パスの強弱のつけ方が不十分」である為に、折角自分たちでキープできたにも拘わらず、むざむざと相手にボールを奪われることが多過ぎたのは遺憾千万だった。これなどは「基本技の習得が不十分だったのではないか」と疑いたくなってしまう。代表まで来た者どもを今更この点から鍛え直すのは手遅れで、子供の頃の指導者の教え方に欠陥があったのかなどと考えながら見ていた。

では、我が方には何も良いところがなかったのかと言えば、そこまでは言わない。確かにA代表に入っている堂安律と久保建英の両名にはなるほどと思わせてくれる点は多々あった。だが、これは以前にも用いた表現だが「問題は残る8名が堂安でも久保でもなかったので、この二人と呼吸を合わせられる領域に達していなかったことが問題だ」ということになると思う。そうであれば、18名か何か知らないが、彼らを全部揃えて練習を出来る期間を長くするしかない。だが、欧州組とJ組を同時に長期間集めて合宿を張るのは物理的に無理だろうと思う。難しい問題だ。

それにアナウンサーが何度か言及したことで「A代表と兼任の森保監督は四六時中U-22代表を指導している訳ではなく、監督代理が面倒を見ている」というのは無理があると思う。改善されるべきだったと思う。しかも、オリンピックの行きのメンバーには「オーバーエージ枠」があるそうだから、森保君がそこまでどうやって目を配るのかと、これも疑問に感じてしまうのだ。

上記にコロンビア代表の優れた点を解説者の指摘を基にして掲げたが、このU-22代表テイームには改善すべき点がそれほど多々あると見た2対0の敗戦だった。私は正直に言って、前途多難ではないかと危惧する。ズバリと言えば「森保監督には両方を見させるのは過剰負担ではないか」と懸念するのだ。



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