新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日本の往年の輝きを取り戻そう

2024-10-13 07:08:45 | コラム
被団協のノーベル平和賞受賞に思う:

この受賞は誠に素晴らしい事だと、被団協の弛まざる核兵器廃絶の努力に深甚なる敬意を表したい。近頃にない心から喜べるニュースであろう。

そこで感じたことと、思いが至ったことを率直に述べていこうと思う。それは平和賞受賞の喜びと感動からはやや離れたことである事を予めお断りしておこう。

私は「我が国のマスコミは何か外国で認められたことや褒められたこと、世界的に広く知られた賞を受賞する人が出ると、我が事のように歓喜し「さー、喜び合いましょう」と報道する姿勢には大いに疑問に思っている。今日までに何度も指摘してきたことで、「我が国は今や戦後に落ち込んだどん底から立ち上がろうとしていた時期などは、とうの昔に過ぎているという事を忘れてはいませんか」なのである。

あの頃には海外留学などは高嶺の花で、外国に出て行くことすら覚束なかった時代で、“Made in Japan”と罵られた品質の製品の輸出などは夢のまた夢だったように、我が国は萎縮していたのだった。であったから、音楽やバレーのコンクールで優勝者や入賞者が出ると、マスコミは恰も国威の発揚のように喜び、業績を賞賛していた。古い話になるが、古橋廣之進氏の世界記録に酔いしれていたのだ。

その戦後の混乱から目覚ましく立ち直り、池田内閣の「所得倍増」政策が象徴したように、我が国は復興どころか世界の何処に出しても通用する高品質の高度な工業製品を製造する国に成長し、世界の経済大国の地位を確保したのだった。その成長期間中の1955年から社会に出ていた私は、我が国の成長と発展とその速さを目の当たりにしていた。

さらに、1972年からはアメリカの大手メーカーに転身したので、「アメリカ」をも自分の目と耳で経験していた。そのアメリカが誰もが承知しているような事情があり、世界における製造業の地位が徐々に低下し始めていた。それとは対照的に、我が国が寧ろ世界の注目を浴びる立場になっていた。アメリカの地位低落の手っ取り早い例を挙げれば「デトロイトの没落」であろう。

そう言う流れの実態を示していた例には、これまでに何度も取り上げたハーバード大学のエズラ・ヴォーゲル教授(Ezra Vogel)が1979年に上梓した“Japan as Number one, Lessons for America”が我が国を「#1」と讃えたのだ。また、1980年6月にはアメリカのN BCが“If Japan can …Why can’t we?”(日本に出来るのならば、我々が?)という特集番組を流して全国で大いなる話題になった。

我々も繰り返してこの録画を見たし、友人の退役陸軍中佐(ウイスコンシン大学の修士号を持っていた)は、国内で見逃していたので日本に出張してきた際に、日本のテレビでこれが放映されると知って藤沢の我が家までこの番組を見にやってきたほど関心を持っていた。

1988年には我が社の紙パルプ部門の全事業部の副社長兼事業部長以下の幹部は30数名の団体となって、我が国でTQCに優れデミング賞を受賞した大手メーカーの工場を2週間かけて訪問し、その管理方式を見学して具に日本式を学んでいたという事もあった。将に「技術の日本からアメリカが学ぶ時代が出現していた」のだった。

ところが、その後に我が国に生じていた現象が「失われた30年(20年?)」であり、現在に至るもデフレであり、低賃金であり、据え置かれた初任給であり、長引く不況であり、不安定な為替レートであり、物価高等々である。

現在、我が国の企業社会にいて実務を担当している年齢層は、このような沈滞した日本しか知らない時代に育ってきたのだろうから、一寸したことでも素晴らしいと思わざるを得ないのではないだろうか。上記のように1980年代には輝いていたのだとは知らないだろう。不幸なことだ。「日本に出来ることがアメリカでは」などと聞けば、「戯言」のように受け止めてしまうのではないのだろうか。

世界第2位の経済大国だったはずが、ドイツに抜かれ、更にインドにも抜かれて5位になるかもと聞けば意気上がらず、自信を失っても不思議ではない。石破首相は「日本創世」と言われるが、1980年代の輝きを取り戻すという意味で言われているのだろうか。

GAFAMは恐らくアメリカの労働力の質の低さを承知して「自社で物を生産しない業種」を選択したのだろうと、私は勝手に推測している。推測する理由は「アメリカが抱えている深刻な労働力の質の低さ」と20年以上もつきあってきたからだ。

石破総理は「創世」と言われるのであれば、「何をどのようにして、何処まで蘇らせるのか」を明示して欲しいものだと思う。地方だけ創世されても、あの1980年代のような輝かしい#1の地位に戻れるとは考え難いのだから。