新宿少数民族の声

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12月1日 その2 日本大学フェニックスが甲子園ボウルに出場を決めた

2020-12-01 11:01:01 | コラム
橋詰功監督の指揮・指導の下に甲子園ボウルに:

先月28日からの静養の間には、テレビにも新聞にも接していなかった。だが、29日の関東大学リーグからの甲子園ボウル出場校を決定する順位戦はある程度ハラハラしながら、静養先の山中でインターネットでの中継を見ていた。有り難い時代になったもので、テレビ局や一部の新聞には見捨てられたかのような大学フットボールの試合を、遠隔地でも観戦できたのだった。実は、正直なところ、昨年度の日本大学フェニックスの桜美林大学との対戦の結果もあって多少「ハラハラ」していたのだった。

結果的には点数の上でも「スタッツ」に於いても、我が永年のご贔屓であるフェニックスが悠々と勝ち上がったのだったが、勝負には多少以上「ハラハラ」の要素もあった。この試合は新型コロナウイルスの感染の蔓延の影響もあって、例年とは異なる言うなれば不規則な形でリーグ戦が行われたの結果だったのだ。その結果で、何としたことか昨年度のリーグ戦で言わば2部(規定上は1部の下位リーグとでも言おうか)から昇格してきた、日本大学フェニックスと桜美林大学スリーネイルスクラウンの対戦となったのだった。

私にとっては桜美林大学スリーネイルスクラウンについての予備知識と言えば(亡くなられた)学長の意向でフットボール部を強化されたということ程度。即ち、早稲田大学や立命館大学等の強豪校からフットボール界では知名度が高いコーチを数多く招聘され、フットボール強豪高校からも多くの将来有望な選手たちをスカウテイングしていたという辺りでしかなかった。その試合振りも決定戦出場となった対立教大学との大接戦のビデオを途中から見ただけで、実力のほどを測りかねていた。

話を解りやすくする為に敢えて率直に言えば「橋詰監督は立命館大学パンサーズがライスボウルを制覇した時のおフェンスコーチであり、アメリカの強豪大学であるオクラホマステート大学にコーチ留学の経験もある実力者なのだが、諸般の事情もあって担当外であるデイフェンスのコーチから何から監督自らが就任以来3年間も指導されてきたのだった。そのせいもあるのか、専門外であるデイフェンスにやや弱点とも言える要素が見られるのだった。この辺りを「ハラハラ」と表現したのだった。

結果論にはなるが、そのデイフェンスの問題点が前半に2回ほど現れて、2本のタッチダウン(TD)を取られて17対14と、フェニックスはフィールドゴール1本の差のリードで終えたのだった。その2本の取られ方が余り芳しくなく、1本目はフェニックスの先取点後のキックオフを捕ったリターナーがそのままフェニックスの守備陣を切り裂いて走り抜けてのTD。2本目はフェニックスのデイフェンスがスリーネイルスクラウンのレシーバーに抜かれた所にロングパスが一発で通り「あれよ、あれよ」という間にTDという不安な失点だったのだ。

しかも、前半の終わり頃に「「何処を何時故障したのか」を確認できないままにフェニックスのエースクオーターバック(QB)である林大希が引っ込んでいまい、2番手である同じ4年生の小野祐亮が投入されたのだった。3点という僅差でしかもエースが欠場となれば「ハラハラ」どころではない不安材料となったのだった。私の目の前にの暗雲が立ちこめたのだった。ハーフタイムの間に橋詰監督が如何なる作戦を授けるかが大いに気になった。ところが一緒に見ていた元Xリーグの助監督兼コーチは「彼は決して慌てないし、悠々と構えているはず」と動じていなかった。

このQBの小野君はどう考えても林ほどの試合経験もなく、練習中も一軍の連中と息というか阿吽の呼吸を合わせられる時間がなかったはずなので、大いに不安だった。ところが、名にし負うフェニックスの選手たちは大したもので、小野は一本のパスを通すことに成功してからは、非常に落ち着いたプレーコールを出せるようになり、3年前の甲子園ボウルを制覇した時から健在であるエースランニングバックの川上等を巧みに使って3本のTDを獲得してくれた。デイフェンス陣もそのオフェンスの勢いに鼓舞されたのか、桜美林のフェンスをを0点に抑えて見事に38対14で勝ちきって見せたのだった。

今年のリーグ戦では早稲田大学がウイルス感染者が出て立教大学との試合が中止となって勝ち点を逃したこともあれば、強豪校である慶応が不祥事で言わば2部落ちしていたという事もあった。だが、私の持論は「ついているついていないは腕(実力)のうち」であるから、日本大学フェニックスは橋詰監督の指揮の下にマスコミに散々「悪質タックル」と不当に悪し様に言われた悪条件を克服して1年で1部に復帰し、1年目で念願の甲子園ボウル出場を成し遂げたのだった。「見事」と言うしかない。

一時は「橋詰氏には監督経験がない」などと見当違いなことを言う物を知らないスポーツ専門のジャーナリストもいた。日大の伝統的な精神力を重視したフットボールに彼のアメリカ式合理主義が合うのか等の色々な疑義も出ていた。だが、橋詰監督はその他諸々の悪条件を克服し、その合理的な指導力を十二分に発揮して3年目に甲子園ボウル出場を果たして見せたのだった。その対戦相手が関西リーグにおける永年の宿敵である関西学院大学ファイターズであるのも、甲子園ボウルの一大呼び物になるだろう。橋詰監督にすれば「勝手知ったるライバル・ファイターズ」なのだから。

あらためて、橋詰監督とフェニックスの全員に敬意を表すると共に、甲子園ボウル制覇を祈念して終わる。29日は静養中に楽しい思いをさせて貰ったことにも感謝したい。



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