新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月22日 その2 組織委員会って何をやっていたのだろう

2021-07-22 15:34:59 | コラム
小林賢太郎って誰だ?何をしている人?:

先ほど買い物に出た序でに、サンパークホテルで家内と共に、久しぶりに¥980の鰻重を楽しんでいた。その時に、遠くに見えたテレビでは日テレのニュースが流れていて「小林賢太郎氏が解任された」と出ていた。だが、当方は言ってみれば「小林賢太郎って誰だ?何をしている人?」状態だったので、何があって如何なる地位を解任されたのも解らなかった。

深く気にもとめずに帰宅してから改めてニュースを見て、検索して、何が起きていたのかが漸く解った。感想を言えば「組織委員会とやらの度重なる不手際には驚き呆れた」だけだった。私は純真にも我が国でオリンピックの開会と閉会の式が行われる以上、国柄に恥じない立派なものになるだろうと半ば確信していたので、誰がおかしな事をして辞任したとか演出者が交替したという類いのニュースには関心がなかった。従って、誰が現時点での演出者などは全く知らなかった。だが、渡辺直美を侮辱するような提案をした者が属していた会社には、永年好感を持っていなかった。

そこに、小山田圭吾問題が発生して大騒ぎとなって辞任させた。もうこれでゴタゴタはお仕舞いだろうと思っていたら、そう言う人物がいたことすら知らない小林賢太郎という人が開・閉会式の演出者だったと初めて知ったのだった。私は組織委員会の調査不行き届きを論う前に、音楽と言い演出と言い、そういう分野の人物を選んでいた見識というか感覚に驚かされている。当初は野村萬斎だとか聞いていたので、これには多少以上の違和感があった。だが、このご両名はそれ以前に「到底我が国を代表しても良い、その資格がある者か」という疑問を生じさせてくれた。

「人は道によって賢し」という言い慣わしがあるので、組織委員会の見識と感覚では、このお二方は適任者だとの判断があったのだろう。だが、小林賢太郎の場合は小山田同様に過去の過ちを反省して見せている。だが、ユダヤ系の団体に声明を出されてしまうような過去があった事を、組織委員会なのか深く関係していたかのような、かの広告宣伝会社が知らなかったとは言わせたくないのだ。

組織委員会の事務総長の元事務次官という高貴なお方が、下々の世界の事情に通じておられなかったとしても驚かない。だがしかし、彼の下には世間知らずのエリートばかりがいた訳ではないだろう。それとも、気が付いていても上司に申告できなかったとでも言うのか。尤も、偉そうに言う私は小山田と小林などという連中の存在すらも知らなかったが。

私は我が国のメデイアが何かと言えば諸外国における評判を気にするのは、彼らがまるで国際化されていない田舎者丸出しの所為だと思っている。だが、今回はSWCなるアメリカの団体に小林賢太郎のラーメンズとやら言うお笑い芸人の時期の失態を衝かれてしまったのでは、マスコミの不行き届きも責められて然るべきだろう。彼らは組織委員会に密告することだって出来たはずだ。先ほどチラと見たYouTubeの書き込みには「もう開会式には演出などなくして、選手入場と聖火の点灯と国歌斉唱だけで済ませたらどうか」と言ったようなことがあった。あーあ、組織委員会。


オリンピックが始まってしまった

2021-07-22 09:02:32 | コラム
女子サッカーの対カナダの第1戦を観戦して:

どうしても、あの10年前のことになってしまった、W杯で優勝したときの顔ぶれの、あの抜群のサッカーの質の高さと、各人の上手さが忘れられないので、昨夜のように強豪のカナダを相手にして善戦健闘で引分けに持って行ってくれても、不満が残るし欠陥が長所を消し去ってしまう感が残るのが残念だった。

女子のサッカー代表(戦争中に「大和撫子」と言っていたことの記憶が残っているので、「ナデシコ」というニックネームにはどうしても拒否感しかない)のサッカーには、あの澤穂希率いる優れた個人技を基調にした精密なパス回しと、今や何処に消えてしまったのかと惜しんでいる宮間あやの男子でいえば遠藤保仁のような精度が高いキック力や、近賀、熊谷、石清水、鮫島と並んだバックス、忽然として出て来て大活躍した川澄、他にも澤さんが頼りにしたという阪口に加えるに永里、安藤等々を懐かしく思い出して、ついつい比較してしまう。

他の団体種目においても屡々起きてきた現象であるが、我が国の代表テイームが身体能力や体格の不利な状態(「ハンディキャップ」か)を補うべく編み出した戦法と戦術が功を奏するや、身体能力に優れた諸国がそれを模倣して追いかけてくるのだった。例えば、あの優勝メンバーのサッカーでは、ペナルティーエリア付近にまで攻め込まれた際にボールを取り戻したときなどでは、一気にクリヤーしようと蹴り出すのではなく、ある解説者が「そこから回すのか」と驚嘆したように躊躇せずにパス交換で攻め上がっていくという、当時としては「離れ業」をやって見せていた。そのサッカーは直ぐに模倣された。

私には未だにそのサッカーの残像が残っているので、昨夜の善戦健闘と言った試合運びでは「粗さ」というか緻密さに欠けているパスの組み立てが目立ってしまったのだった。それは、当時のように澤さんや宮間がいる訳ではないのでか、高倉監督が育てようとしなかったのか、ゲームメーカーとでも言うべき中心的な選手が不在なのだった。いや、技術的には全員横並び一線で傑出した者がいなかったというのか、相対的に水準が上がったので抜きん出た存在の選手が出る余地がなくなったかの、何れかではないのかな。

良かった点を挙げれば、小柄であるという不利な点を背負いながら岩淵を中心にして何とかオフェンスの形を作れていたことがあるだろう。あの長谷川からだったかの相手のデイフェンスの裏を取った縦パスなどは見事なもので、それを決めきった岩淵は立派に点取り役の責任を果たしたと褒めてあげたい。それまでは散々裏を狙っていたが、カナダの選手たちの身長と足の長さに阻まれていたのだったが、一度でも成功すれば、それで十分なのだ。足の長さに阻まれてしまうことは、余程彼らとのサッカーに馴れていないと「何でそこに足が出てくるの」となってしまうものだ。

全体的にカナダと比較して私流に表現すれば「技巧派対身体能力派」の争いだったのだ。私が見た限りではカナダには細かい点に気を配ったサッカーが出来ている訳ではないが、身体能力と体格の有利さを十分に活かしていた。その優位さである足の長さと身長の差で、我が方のパスを何度もインターセプションに持っていくか、蹴り返してしまっていた。更に非常に出足が良くて、素早く寄せてくるので、我が方は折角パスが入っても前を向くことも更なる展開を試みることが十分に出来ていなかった。また、バスケットボールで言う「リバウンド」を攻守共に取れていなかった。

私が他に気になったのが、シュート力の弱さと不正確さだった。これは相手のカナダとの身体能力戦に負けていたために目立ったことなのかも知れない。乃至はこのテイームは基本的にキック力が不十分なのではないのかと感じていた。その点が明らかだったのはパスに十分な強弱が付け切れていなかった辺りに明らかだった。もしかすると、体幹を強化するトレーニングが不足しているのではないかと感じていた。と言うよりも、サッカー界ではこの点の強化が等閑にされているという意見を屡々聞くので気になった次第だ。

正直なところ、カナダのレジェンドとか言われているシンクレアに先取点を取られたときに来た「閃き」では「十中八九」ではなく「七八は負け」となっていた。それに加えるに田中がPKを外した時にはほぼ諦めていた。それにも拘わらず、後半の39分に岩淵が決めきった精神力は立派なものだったと感動していた。次にはイングランドが相手だとあるが、そのイングランドにはスコットランドの選手が入っているとアナウンサーが言っていたのは、奇っ怪なことだと思って聞いた。それならば英連合王国代表だから。

そう言えば、ソフトボールの試合がこの前にあった事は失念していた。失礼致しました。彼女たちのこれから先の健闘を期待して終わる。