何れは辞任に追い込まれるのではないか:
西村康稔大臣の「酒類の提供を続ける飲食業者への供給停止を、卸売業者に要請するし金融機関にも云々」との発言を聞いたときには、麻生財務相ではないが「何を言っておられるのか皆目解らなかった」のである。結果として、言うなれば大炎上の如くになり、西村大臣は撤回に追い込まれた。だが、今度は野党が喜び勇んで騒ぎ立て始めたので、事は炎上くらいでは済まない方向に進んでいる。
そこで、某三大銀行出身の級友に「銀行さんは政府か政権から要請されれば、取引先への融資を止めるような業界なのか」と照会してみた。勿論、答えは「そんなことがある訳がない」となるとは百も承知でだった。彼も「ニュースを聞いたときには、全く何を言っているのか意味が解らなかった」と笑っていた。それから暫くこの件でと言うか、彼とはずっと意見合致していた西村康稔大臣の器量について語り合ったのだ。
級友との語り合いが行き着いた結論は「この儘に推移せんか、彼が如何に辞意を否定しても、そこに追い込まれるのではないか」となった。私はこの種の失態が起きたときに屡々使ってきた表現は「野垂れ死に」だった。私の脳裏に閃いたのがこの二文字だった。
私は「COVID-19への対応を最初から担当してきた西村氏を試合の途中で降ろしたら、継続性が無くなるのではないのか」との疑問を呈した。すると銀行OBは「どうせ何時でも専門家と尾身茂分科会長に責任を押しつけていたくらいで何も効果がある策を講じてこなかったのだから大勢に変化はあるまい。究極の責任は菅首相にある」とアッサリと突き放してきた。
彼は辛辣な意見の持ち主で西村康稔大臣については「あの類いの学校の試験の成績での秀才は、答えが一つの問題には優秀な回答を出せる。だが、現在のような未曾有の難局にあって長いトンネルの向こうにあるのかも知れない微かな灯火を目指していって見ろと言われれば、道筋を見出せないのである」と指摘した。
私は「俺の見解も究極的には同様だと思う。即ち、実務の世界で利益を挙げるとか損失を出す仕事を経験したことがなく、焦げ付きを作った先に出向して再建したことなどないような方が、机上の空論だけを基にして政治の世界に出てきたのだから、世の中がどのように動いているかなどは理解できていないのだ。即ち、学校教育において挙げた優秀な成績を引っ提げて政治の世界から生き物の世界であるビジネスの世界を動かそうとしたこと自体が認識不足だ」との持論を披露した。尤も、この非難は小池百合子東京都知事にも悲しい程当て嵌まると思う。
実務の世界と政治の世界との関連では、私は新卒で就職した年に、以下のような経験談を聞いていたので、ここに敢えて再録してみよう。それは、私の日本の会社時代の同期に某三大私立大学の一校から少し遅れて入社してきた某君がいた。彼は福岡の出身で大学在学中から同郷の故緒方竹虎氏に私淑していて、緒方氏の書生を務めていた時期もあったというバリバリの政治家志望だったそうだ。そして、大学を終えて緒方氏に秘書の一人の加えて頂きたいと願い出たところ、一蹴されたそうだ。理由は「政治を志すならば、先ず実務の世界を十分に経験してから来い」だったそうだ。
それで、既に就職活動の時期は終わっていたが伝手を求めて、我が国策パルプ工業(現在の日本製紙)に採用され、直轄の販売部門の会社に回されてきたのだった。彼は緒方竹虎氏の指令を金科玉条のように尊重して実務の世界に身を投じて懸命に励んだ結果で、何と12年後に世界最大のアメリカの製紙会社・インターナショナルペーパー(IP)に転進してしまったのだった。そこでも十二分に能力を発揮して、遂にはIP Japanの社長にまで上り詰めたのだった。余計なお世話だが、もしかすると、自民党は前途有為な青年を手放していたのかも知れない。なお、残念ながら彼は故人である。
先ほども級友と語り合ったのだが「実務の世界に身を置けば、政治の世界からは望見できないような『コインの裏側』を経験できるので、実際に政治家になれば大いに役に立つことがあるだろう。だが、政治の世界には、我々のように実際のビジネスの裏と表しか知らなかった者には、想像も出来ない難しさや『コインの裏側』があるのだろう。と言うことは、政治家は両方の世界の裏も表も、酸いも甘いも経験して置くことが理想的かも知れない」ということでお仕舞いにした。西村氏が経験された経産省は真の実務の世界だったのだろうか。
西村康稔大臣の「酒類の提供を続ける飲食業者への供給停止を、卸売業者に要請するし金融機関にも云々」との発言を聞いたときには、麻生財務相ではないが「何を言っておられるのか皆目解らなかった」のである。結果として、言うなれば大炎上の如くになり、西村大臣は撤回に追い込まれた。だが、今度は野党が喜び勇んで騒ぎ立て始めたので、事は炎上くらいでは済まない方向に進んでいる。
そこで、某三大銀行出身の級友に「銀行さんは政府か政権から要請されれば、取引先への融資を止めるような業界なのか」と照会してみた。勿論、答えは「そんなことがある訳がない」となるとは百も承知でだった。彼も「ニュースを聞いたときには、全く何を言っているのか意味が解らなかった」と笑っていた。それから暫くこの件でと言うか、彼とはずっと意見合致していた西村康稔大臣の器量について語り合ったのだ。
級友との語り合いが行き着いた結論は「この儘に推移せんか、彼が如何に辞意を否定しても、そこに追い込まれるのではないか」となった。私はこの種の失態が起きたときに屡々使ってきた表現は「野垂れ死に」だった。私の脳裏に閃いたのがこの二文字だった。
私は「COVID-19への対応を最初から担当してきた西村氏を試合の途中で降ろしたら、継続性が無くなるのではないのか」との疑問を呈した。すると銀行OBは「どうせ何時でも専門家と尾身茂分科会長に責任を押しつけていたくらいで何も効果がある策を講じてこなかったのだから大勢に変化はあるまい。究極の責任は菅首相にある」とアッサリと突き放してきた。
彼は辛辣な意見の持ち主で西村康稔大臣については「あの類いの学校の試験の成績での秀才は、答えが一つの問題には優秀な回答を出せる。だが、現在のような未曾有の難局にあって長いトンネルの向こうにあるのかも知れない微かな灯火を目指していって見ろと言われれば、道筋を見出せないのである」と指摘した。
私は「俺の見解も究極的には同様だと思う。即ち、実務の世界で利益を挙げるとか損失を出す仕事を経験したことがなく、焦げ付きを作った先に出向して再建したことなどないような方が、机上の空論だけを基にして政治の世界に出てきたのだから、世の中がどのように動いているかなどは理解できていないのだ。即ち、学校教育において挙げた優秀な成績を引っ提げて政治の世界から生き物の世界であるビジネスの世界を動かそうとしたこと自体が認識不足だ」との持論を披露した。尤も、この非難は小池百合子東京都知事にも悲しい程当て嵌まると思う。
実務の世界と政治の世界との関連では、私は新卒で就職した年に、以下のような経験談を聞いていたので、ここに敢えて再録してみよう。それは、私の日本の会社時代の同期に某三大私立大学の一校から少し遅れて入社してきた某君がいた。彼は福岡の出身で大学在学中から同郷の故緒方竹虎氏に私淑していて、緒方氏の書生を務めていた時期もあったというバリバリの政治家志望だったそうだ。そして、大学を終えて緒方氏に秘書の一人の加えて頂きたいと願い出たところ、一蹴されたそうだ。理由は「政治を志すならば、先ず実務の世界を十分に経験してから来い」だったそうだ。
それで、既に就職活動の時期は終わっていたが伝手を求めて、我が国策パルプ工業(現在の日本製紙)に採用され、直轄の販売部門の会社に回されてきたのだった。彼は緒方竹虎氏の指令を金科玉条のように尊重して実務の世界に身を投じて懸命に励んだ結果で、何と12年後に世界最大のアメリカの製紙会社・インターナショナルペーパー(IP)に転進してしまったのだった。そこでも十二分に能力を発揮して、遂にはIP Japanの社長にまで上り詰めたのだった。余計なお世話だが、もしかすると、自民党は前途有為な青年を手放していたのかも知れない。なお、残念ながら彼は故人である。
先ほども級友と語り合ったのだが「実務の世界に身を置けば、政治の世界からは望見できないような『コインの裏側』を経験できるので、実際に政治家になれば大いに役に立つことがあるだろう。だが、政治の世界には、我々のように実際のビジネスの裏と表しか知らなかった者には、想像も出来ない難しさや『コインの裏側』があるのだろう。と言うことは、政治家は両方の世界の裏も表も、酸いも甘いも経験して置くことが理想的かも知れない」ということでお仕舞いにした。西村氏が経験された経産省は真の実務の世界だったのだろうか。