新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

COVID-19感染の時代のオリンピック

2021-07-10 08:42:05 | コラム
オリンピックの無観客の決断に超後期高齢者は思う:

ワクチン接種の2回目は終えたが:
ワクチンの効果は感染から防ぐためのものではないと承知している。故に、お陰様で先月の19日に2回目の接種を終えても、その後の行動範囲を拡大することは毛頭考えていない。あれから3週間経ったが、徒歩で行ける先で最も遠かったのは職安通りにある「すし三昧」の支店だけだった。勿論、感染の危険性は出掛ける先までの距離とは無関係であると分かっている。ではあっても「密」になる危険性が高いところは避けるべきだと信じているので、慎重に出掛ける先を選んで動いている。

しかし、このような慎重な行動には余り意味がないような気がするのだ。それは、他人様に感染させる確率も、仮に感染しても重症化しないと聞く安全な高齢者がいくら自重していても、接種されておらず、感染しても無症状になってしまう若者どもが大手を振って街中を彷徨い歩き路上飲みまでするようでは、感染源を野放しにしているのと同じではないのかと考えているからだ。他人様に感染させる確率がある程度低いと保証されている我々が動き回らないのでは、折角のワクチン接種の効果が速やかに出てこないのではないのかと、接種済みの高齢者は密かに憂いているのだ。

マスコミの不当な報道の姿勢:
新聞は兎も角、テレビを見ていれば毎日のようにニュース速報として東京都の感染者数を流し、その数を前週と対比し、年齢層別の分析を流して「さー、怖いぞ。再拡大の徴候が著しいぞ。これでは緊急事態宣言が必要になるのではないか」と強調する。私はこの脅かしの姿勢を何度か採り上げて批判した。彼らは決してワクチン後では死者が減少したし、重症者も減少傾向にあるという点は強調しないのだ。「犬が人を噛んだ」では面白くないと思っているのだ。そして、彼らの言う専門家の方々に登場願って「恐怖」の専門的な裏付けをして頂くのだ。

彼らマスコミは我が国の感染者数、不幸にして亡くなった方の数が、多くの先進国と対比して著しく低いことには焦点を当てない。彼らは誘導尋問的な設問を世論調査とやらを実施しては「菅内閣のウイルス対策を評価せず」が過半数を占めたと騒ぎ立てるのだ。要するに、彼らは何としても感染の再拡大の責任は菅内閣にあると国民に思い込ませ続けたのだ。決してスタンドプレーが多く実効性に乏しい小池都知事のウイルス対策は批判しようとしなかった。私は彼らが意図的に都議会選挙で自公に過半数を獲らせないように仕組んだのだと、本気で疑っている。

オリンピックは無観客にすることで決着した:
敢えて後難を怖れてでも極端な表現を用いれば「オリンピックの無観客の決断」にはマスコミの「ウイルスの恐怖、菅内閣に対策不行き届き批判報道」が大いに影響したのではないかとすら考えている。朝に夕なに、再再再再拡大の危険性を強調し、医療崩壊の危険性を憂いて見せ、変異株の脅威を過剰に報道し、政府のワクチン接種の遅れと配分の不手際をこれでもかと報道すれば、あの五者会議に臨まれた組織委員会長、担当相、東京都知事が最も無難と思われたのだろう無観客を選択したのも、止むを得なかったのではなかったか。

確かに、バッハ会長は同席されていた。だが、IOCと彼にとってはNBCから放送権料が入りさえすれば、観客の有無はさほど重要な問題ではなかったのかと、私は怪しんでいる。では、例えば「地元の有利性乃至は優位性」(カタカナ語を用いれば「ホームゲーム」であること)を失ってしまう我が国の代表選手たちのことに配慮して「有観客」とした場合に、どれほどの感染者が出るのかとの問題が出ると思う。だが、既に来日が始まっている数カ国の選手団からは「続々」と感染者が出ているではないか。そうであれば「無観客」は誰のための安全・安心かとなりはしないか。

無観客なら参加しないと表明した外国の個人種目の選手は数名出ている。だが、団体競技ではそういう話は聞こえてきていない。何れにせよ、無観客で走ることに決めてしまった以上、如何なる結果が出るかは、遺憾ながらやってみないことには分からないのだ。我が国で幾ら安心・安全対策を立てても、やって来た選手、監督とコーチ、多くの関係者たちがキチンと規定に従ってくれなければ「百日に説法何とやら」になってしまう事になりはしないか。

マスコミは無観客の決定を何処と何処の国がこのように批判したなどという類いの、如何にも外国の意見を有り難がるかのような報道を控えて貰いたいのだ。主催するのは我が国なのだ。「外野が何を言うか。言うのは勝手だが、どれほど大変なことなのかを、現場に来てみてから言え」くらいの反論をする気骨が必要だ。