新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月23日 その2 オリンピックが始まってしまった #2

2021-07-23 10:45:27 | コラム
男子のサッカー対南アフリカ戦:

「あの何とも例えようがない愉快ならざる条件下で、善くぞ勝ってくれた」と褒めてやりたい。理由は数々あるが、最大のものは何と言ってもあのベネズエラだったかのレフェリーの判定である。NHKの解説に最近頻繁に登場するようになった嘗てのデイフェンスの強者・森岡隆三が遠慮がちに「あの判定は・・・」と言っていたのが良く物語っていた。まさか、意図的だったとまでは思わないが、一度あのような基準で笛を吹いてしまうと、その後でも、そうしないと首尾一貫しなくなるのは解る。だが、どう考えても「偏向した判定」だったと言わざるを得ない。

それは、私は南アフリカのサッカーを初めて見たような気がするので、あのような当たられてもいないのに倒れ込んで、のたうち回ってみせる所謂中近東方式で来るとは知らなかった。レフェリーも承知していたのか惑わされたのか、兎に角そのシミュレーション的な悶え方に騙されたのか、明らかに何も反則がなかった場合でも、全て日本側の反則とするのだった。選手たちは随分我慢していたようで、森岡も「感情的にならないで欲しい。ジャッジに文句を言わないように」とまで言っていたほど理解に苦しむ判定だった。

その為に堂安と遠藤と、交替してベンチにいた板倉?にまでイエローカードを出してしまった。これでは、我が方は迂闊に当たることも出来ず、ついつい遠巻きにしてボールを持たせるような攻守になっていた。それに加えるに、南アフリカ側は所謂「引いて守っている」だけで、中盤では当たらずに自由にパス回しを許して、隙が出来れば逆襲を狙う戦法に出てきたので、見ている方も相当以上に苛立たされた。簡単に言えば「余り愉快ではない試合」だった。南アフリカ側は殆ど黒人だったが、彼らが中近東スタイルで来るとは、大いに勉強になった。

勝敗の読みはと言えば、まさか負けることはないとは思っていた。だが、この儘攻め手を見出せないでいれば引分けもあるかも知れないが、何時かは何とかなるだろうという予感はあった。そこを左サイドで張っていた久保建英に見事な長いパスが通って、彼が左足で蹴りやすい方向にドリブルでペナルティーエリアに入り、左足で左側のポストに当たってはいる強烈なシュートを決めてくれた。結局は前線に置いておいた者たちの能力では決めきれずに、MFのはずの久保が頼りという形になってしまった。

不安な点を言えば、その前にフランスを撃破して見せたメキシコと次に当たるのでは、あの寝っ転がり戦法の南アフリカの引いて守るデイフェンスを突破しきれなかったのでは苦しめられるだろう。あの素早いパス回しと身体能力と何処まで戦えるのかという点が気になる。点取り役として最前線に置かれている上田、前田ともう一人の奮起を促したい。ここでも女子と同様に、シュート力が弱いのと、弱敵を相手にして尚且つ後ろ方向にばかりパスを展開する安易さというか、弱気が気になる。もう少し「我こそは」という気迫を見せて突っかけて欲しいと願うのは誤りか。

女子のソフトボール:
ここにも難しい問題があるように思えた。それは、余りに偉大な功績を残した上野由岐子の使い方だ。何となく、未だに三浦知良を外しかねている横浜FCのように思えた。上野由岐子は未だ未だ通用するような球威を持っているし、それ以上に精神力も衰えていないとは思う。だが、昨日のメキシコ戦では、私の目には最終回である7回の表は逃げ切れないと見えたほど、疲れが明らかだった。だが、宇津木監督は交代を躊躇ったと見えた。そこにセンターの山田の落球が出た。勝負とはそういうものなのだ。後藤があれだけ投げられたのだったらと言うのは、結果論だ。

監督は何処で上野由岐子を見切るかで苦心して、腐心しておられたのだとは解る。しかし、上野自身が「この暑さの中でこれほど投げたのは初めて」と言ったほど、39歳の体力には酷暑はきつかったのだろう。では、上野を休ませて、藤田か後藤でやっていけるかとなれば、宇津木監督にとっては未知の世界になるだろうから、容易には踏み切れまい。まして残る最大の難関はアメリカなのだから。だが、暑さと戦うのはアメリカも同じ条件だろう。矢張り「やってみなければ解るまい」と思う。

私が怖れていることは、アメリカが相手だと身体能力はとの争いになってしまうだろう事だ。我が女子代表は何処まで体幹と身体能力を強化するトレーニングを積んで来ているのだろうか。何とか、再び優勝して欲しいと願って終わる。


本日のウンザリ

2021-07-23 08:17:40 | コラム
ウンザリさせられてばかり:

日本側の説明不足だと:

ユネスコ(UNESCO=United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization)の世界遺産委員会では「軍艦島における韓国が言い募る虚偽の徴用工虐待問題についての日本側の説明不足だと決めつけた」そうである。「落胆した」とか「何故韓国の捏造の言い分が通るのか」などと嘆く前に、「外務省だかどの官庁の所管だか知らないが、何故もっとより明解に韓国が事実をねじ曲げて、虚偽の申告をしていると訴えられなかったのか。またもや彼らのロビーイングにしてやられたのか」とウンザリしている。

私は今日までに繰り返して「我が国からの海外向けの情報発信量が少なすぎるし、その内容も説明不足で理解されにくい。可及的速やかに改善すべきだ」と唱えてきた。更に言わずもがなのことを敢えて言えば「外務省の英語は堅苦しすぎるし、誰に配慮したのか遠慮がちであり、時代遅れの言わば文語体であって、誰もが喜んで読んでくれそうもない」と判定していた。

対照的に韓国だけを取り上げてみれば、国を挙げて英語教育の充実を図っているので、発音から何から立派な英語力が深く広く浸透しているのだ。何時だったか、韓国のゴルフの女子選手がアメリカで優勝インタービューをされた際に、実に綺麗で正確な英語で答えていたことを取り上げた事があった。ゴルファーがあそこまでの次元に達していれば、我が国を悪し様に言う担当官庁の者どもの英語力が高くても、何ら不自然ではあるまい。我が国で俄に英語力を上昇させる訳には行くまいから、せめてUN等の場では言うべき事を思いきり言うような最低の努力をして貰いたいものだ。

上記のようにユネスコとは我が国に未だに崇め奉っている我が国に敵国条項を当て嵌めているUNの機関である。彼らを尊重して何か得るところがあったか。そんなUN信仰という迷信に何時までもとらわれていないで、言うべき事をチャンというように努力して貰いたい。韓国にしてやられてばかりいて何とする。ウンザリだ。

そんな昔の事まで調べられないとご理解を:
これは今回の小林賢太郎解任問題の説明の席で、武藤敏郎事務総長がシレッとして述べた責任回避の弁である。未だと言うか、またそんな責任逃れを言うのかと、心からウンザリだった。尤も、報道では「組織委員会が直接選んだのではなく、依頼された者たちが仲間を集めたのだから・・・」との解説もあった。マスメディアも逃げを打っているのだ。芸能等の分野を担当している記者たちが知らなかったのでは職務怠慢であるし、仕事をしていないと言われても言い逃れは出来まい。

では訊くが「サイモン・ウイーゼンタール・センター(Simon Wiesenthal Centerで、これはサイモン・ウイーゼンタールというユダヤ人の名前だそうだ)がアメリカにいながら、何で小林賢太郎のお笑い時代の企画を承知していたのか」という問題だ。事務総長は調べきれなかったと責任逃れの言い訳をするが、SWCはどうやって知ったのだろう。考えなくとも解ることは「何処かに告げ口をした者がいたから」ではないのか。尤も、我が国にはかなりの数のユダヤ人とその系統の方が、芸能界にもおられると聞くが。

余談の部類に入るかも知れないが、カタカナ表記を論じてみよう。何故、マスメディアはSimonを「シモン」と表記しなかったのだろう。今日まであれほど奇っ怪なローマ字読みに徹底して来たにも拘わらず、何が故に突如として本当のサイモンを採用したのだろう。彼らはModernaを「モダーナ」ではなく「モデルナ」と馬鹿な表記をして、私をウンザリさせてくれていたのだった。

ある専門家が「組織委員会は官庁を含めて方々からの出向者で構成されていて、オリンピックが終われば解散して、それぞれが所属していた官庁や会社等に戻っていくのだ」と解説していた。これは、言外に事務総長を筆頭とする責任回避体質が何処から来ているのかを説明していたと解釈した。矢張り「ウンザリ」だった。