新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月10日 その3 カルロス・ゴーン氏に反論するには

2020-01-10 14:21:35 | コラム
森法務大臣は外国人記者クラブで反論なされば良い:

私は繰り返して「我が国の海外向け向けの情報の発信量は不足なだけではなく、その質も不十分だ」と主張してきた。海外にいて新聞やテレビ等で我が国に関連するニュースに十分に接する事は本当に希である。情けないし不満足だった。そうなっているのは言語能力不足だけが理由ではないと思っている。担当すべき官庁の怠慢であると断じたい。彼等は何かに遠慮するというか「これを言うことで何か失う」とでも恐れているのかと疑う。

今回のゴーン氏の嘘九百くらいのレバノンでの記者会見での長広舌には、森法務大臣は直ちに反論されたのは大変結構だったと思うし、ホームページに英語とフランス語で掲載されたのも宜しいとは思う。だが、それをゴーン氏寄りの海外のメデイアがどの程度まで読んで本気になって報じるだろうかと不安だ。テレビ報道で見た限りでは「朝日新聞のような」反日的な外国人は多いようだった。この状態は何としても打破したいと思う。

その為には折角都内の一等地である有楽町駅前のビルに外国人記者クラブがあって、日本国の事情をチャンとした眼鏡か色眼鏡で見ている有能な(日本語も上手に操る)記者たちが集うのだ。森大臣でなければ何方でも良いから、政府からまともな論客を選んであのクラブで我が国の正当性を語れば良いのだ。例えば「ゴーン氏は起訴されれば99.9%有罪となる」といった戯言を言っていたが、検察官ご出身の宗像弁護士は「有罪に出来るだけの証拠を固めて起訴するだけであって、そういう確信がない件は不起訴か起訴猶予としている」と指摘しておられた。かかるゴーン氏の詭弁は論破せねばなるまい。

情報量の増加も大臣による反論の記者会見も当然必要だろうが、そこに外国人の記者も老いなければ効果は半減ではないのか。私は何時も菅官房長官の反論されているかのような記者会見は生煮えであると不満足である。ゴーン氏があのような手段に訴えてきたのであれば、もっとより激しく公開の場で反論しないことには「日本は彼の(出鱈目であるが)の抗議を認めた」と国際的に看做されてしまうと危惧する。言うべき事はどう堂々と、ゴーン氏のように味方ばかりを集めた公開の席で言うべきだ。そうすることで「何かを失う」とでも思っているのか。



1月10日 その2 私のアメリカ論 #2

2020-01-10 13:42:46 | コラム
忖度はない国民性:

“quick response”も教えておかないと:
これは屡々採り上げてきたアッパーミドル・クラスの夫婦共にMBAの奥方と語り合った経験から。彼女は労務や勤労問題のコンサルタント事務所を運営していた。誠に才女で私が本部に出張する度にほとんどと言って良いほど、昼食会等で語り合い意見交換をしていた。ある時に中小企業の事務員の指導に使うテキストを見せて貰った。その項目の中に「クイック・レスポンスをせよ」というのがあった。その内容はと言えば「顧客等から引き合いや照会があった時には直ちに返信せよ」というものだった。

そこで敢えて質問したのは「こんな事を事務担当者等に殊更に教えるべきなのか」だった。その答えは「我が国の事務員の素質と事務能力は日本のように高くないのだ。貴方に理解して認識しておいて欲しいことは『彼等は言われていないこと、決められていないことを自主的に判断して動くことはしない』のだと認識せよ」というものだった。当世風にいえば「彼等は忖度して事務手続きを進めない」とでも言えば良いのだろうか。このような彼等事務職の者たちの意識の低さの為に、私は何度も自社内で彼らの怠慢に怒り怒鳴っていたのだった。これ以降は「教え諭す方向」に変更した。これぞアメリカである。

見本紙発送の手配は君の仕事だ:
これは私の危うく重大事態を招きかけた失態の例である。1980年代前半のことだった。こちらの大手取引先で大きな品質問題を起こしたので改善策を打ち合わせた上で、それを携えて本部に出張した。本社には副長以下営業担当のマネージャーは言うに及ばす、工場長も主任研究員等も集まって大会議となった。品質改善策が定められた後で私から「得意先からは斯く斯く然々の寸法に断裁したテスト用の見本紙をX枚航空便で送れと依頼を受けている」と告げて、次の目的地のシカゴに飛んだ。そしてその週は5日間滞在した。

週が明けて他の要件もあってワシントン州南部の工場に向かった。見本の発送が気懸かりだったので技術サービスマネージャーに見本紙は空輸してくれただろうと確認した。答えは凄まじかった。「誰もそんな手配はしていない。それを本部のカストマーサービス担当者に手配するのは君の担当だから、誰も手出しはしない」だった。慌てた。マネージャーが言うには「未だ現場に行けば見本紙を切り取れるだけの巻取仕上げ前の紙があるから、現場に走って依頼せよ。同時に本部の担当者に直ちに手配書を切ってくれるよう依頼の電話をせよ」という事態だった。

私の手抜かりは未だアメリカの仕事の進め方に慣れていなかった事だった。私は「副社長兼事業部長以下全幹部が列席した会議での決定事項であれば、直ちに誰かが工場に命令してくれるだろう。私が直ぐにシカゴに向かうのは全員が承知しているのだから」と、誰かの忖度を浅はかにも信じ切っていたのだった。私は最低でも列席の誰かに見本紙の手配を依頼するべきだったのだ。彼等は先ず絶対に自分の担当以外の業務には手を出さないものなのである。ましてや、日本向けの見本紙の手配などはしてくれる訳もない管理職ばかりの会議だったのだ。

これも上記の例も「これぞ、アメリカ」だったのである。我が国の会社での経験からも、このような重要事項であれば列席の誰かが気を利かしてくれるだと思っていた私が愚かだったのだ。そうそう、結果としては工場の建屋まで疾走したお陰で見本紙発送の手配は間に合ったのだった。教訓は「アメリカという世界では他人様の好意に依存しようなどとは夢にも考えてはならない」なのである。ではあっても、それに馴れてしまえば実に気楽な世界だった。何しろ、誰も助けてはくれないのだし、他人様を手伝うとか救ってやる必要もないのだから。


私のアメリカ論

2020-01-10 08:25:51 | コラム
私が実体験したアメリカを語る:

先ずお断りしておくと、これはアメリカ批判ではなく「アメリカの会社の一員として、実際に経験したと同時に細かく観察してきたアメリカを論じていくもの」なのである。後難を恐れて言えば「留学するとか駐在されただけでは見えてこないだろうアメリカという国を、私なりに分析しよう」ということだ。予めお願いしておくと「読者の方々の常識と違うではないかと、抵抗なさりたい点が多々あると思う」のだ。

100人に1人だ:
これはこれまでに何度も採り上げてきたアメリカ人の総合的な質の問題点である。内容は出張の帰りの機内で偶々隣に座られた某大手企業の(確か技術系の)アメリカ支社長との会話だった。色々と論じ合った後で「アメリカにいると一般的なアメリカ人の教育乃至は教養の程度にウンザリとなることが多く、我が国のようなまともな人たちは精々100人に1人だ」という結論になったという話だ。この議論の意味は「現実に社内でも街中でも日常的に広くアメリカ人と接触していないと出てこない話だ」と後承知置き願いたい。

私は結論を出してから迂闊にも「アメリカにいてイヤになるのは空港やホテル等でチェックインをしても、買い物をしても対応してくれる連中ののろまなな事だ」と言ってしまった。それに対して、支店長氏は「貴方の言うことは自己矛盾だ。たった今、まともな者に出会える確率は1%だと合意したばかりではないか」と笑われたのだった。この議論は解りやすくする為にやや極端な表現を用いているが、我が国との違いを簡単に言えばこういうことにもなうのだと解釈願いたい。

識字率と初等教育の充実を図るべし:
この点も何度も採り上げた元USTR代表のカーラヒルズ大使が1994年7月にNHKと読売新聞が共催したパネルデイスカッションにおける指摘だ。ヒルズ大使は「アメリカが対日輸出を増やす為には識字率と初等教育の充実を図るべきだ」と発言されたのだった。これは経験上からも言えるので「労働力の質を上げないと日本市場に受け入れられる製品の製造は難しい」という意味で、その経験そして来た私は「そこまでお解りであれば、是非とも産業界を督励されるべきではないか」と思って聞いていた。それほど「職能別労組には問題点が多い」とも言えると思う。


これだけではなお理解に苦しむ方がおられると思うので、先日の「私とアメリカの間」からその説明になると思う点を抜粋してみる。それは朝鮮動乱中に休暇で日本に来て買い物をするアメリカ兵を相手にしたアルバイト中の経験談である。初等教育を経ていないとしか思えない兵士の発言だ。

「デイナーセットを買いに来た白人の兵士がケースの中のセットを指さして“Me lookin’ lookin’. OK?”と言ったのだった。既に兵隊たちのこの手の英語に慣れていた私は「そこのセットを出して見せてくれないか」と言っているのだと解った。どういうことかと言えば、ヒルズ大使が指摘されたように初等教育をまともに受けていない者が軍隊に入っていたのだという意味だ。このような言葉しか言えないのであれば、識字率だって高いとは思えないのだ。」

こういう話し方をする者が21世紀の現在でもいるかどうかはご想像に任せるが、ヒルズ大使の指摘はこの兵士がいた頃の40年以上も後のことである点にご注目願いたい。

アッパーミドル・クラスの存在:
この点も「私とアメリカの間」にも採り上げたし、私は常にその存在と彼等との付き合いを語って来た。勿論、我が国にもアメリカの中産階級に相当する方々は沢山おられると思う、だが、忌憚のないところを敢えて言えば、ごく一般的な我が同胞がアメリカ人と付き合われても、仕事上で交流されても、アメリカを個人的かパック旅行ででも旅されても、滅多に私が言うアッパーミドルの人たちと膝つき合わせて語り合うとか丁々発止と議論をされるような機会が巡ってくるとは思えない。まして、彼らの家にでも招待されて家族全員と食事でもされるような機会は滅多に訪れないと思う。


つい先日も採り上げたと思うが、永年の友人である某財界人OBのお孫さんはIvy leagueの一角である大学に進学されたそうだが、そこでは授業料だけで7万ドルになっていたそうだ。私のW社における元の上司2人は共に2人の子供さんをIvy leagueに送り込んだが、1980年代でも既に年間の学費は合計で1,000万円超だった。彼らの収入と資産ではこの程度の出費は蚊が刺したほどにも感じていないのだ。簡単に言えば、彼等がアッパーミドル・クラスを構成している人たちなのだとお考え願いたい。

そして、この子弟たちは先ず間違いなく4年制の大学(念の為に言えば“under graduate”などと呼ばれている)を終えた後はビジネススクールに進みMBAそ取得して、大手企業に幹部候補生として採用され、俗に言う「スピードトラック」に乗って出世して経営者となって行くのだ。即ち、アメリカの社会構造では資産家というか裕福な家庭に生まれた者たちが、こういう教育課程を経て、企業内でその地位を確保していくのである。私が思うところでは「アメリカにおけるこのような階層を占めている人たちは精々全体の5%以下ではないか」なのだ。

解りやすいと思って言えば「ヒルズ大使が指摘されたような教育に問題がある層は、明らかにアッパーミドルの人たちよりも圧倒的に多く、Ivy leagueの東海岸の大学に余裕を持って子弟を送り込めるアッパーミドル・クラスかそれ以上の人たちはごく僅かである」というのがアメリカの社会の構成要素であるのだ。と言うことは、トランプ大統領がその支持層として確保されている階層は今や絶対多数であるということだし、3億2千万人も膨れ上がった人口の中には“minorities“がそう遠からぬ将来に「多数派」となってアメリカを左右する存在になってしまうのだろうということだ。

労働組合員たち:
これまでに何度も「アメリカの企業社会では会社側の管理職たちや経営者と労働組合員たちとも交流は先ずあり得ないし、会社側には組合員として製造の現場を経験した者がいることは考えられない」と指摘した来た。この点は我が国とも明らかな文化的な相違点である。だが、会社側の一員だった私は、ほぼ(恐らく日本人社員としても)例外的に本部の指示もあって組合員たちと何度も何度も接触もしたし交流もあれば、彼等を全員集めて「これまでより以上に品質の向上に努力せよ」と言ったような訓話もしたし、その為のプリゼンテーションもやって来た。


その結果として組合の最も年功経験の長くなって現場を離れて試験室等の中で現場や製品のデータを取るような言わば優雅な仕事をしている者たちとは「ニックネーム」で呼び合うような間柄になっていた。誤解なきよう申し上げておくと「ニックネームで呼び合うことは特に親密であるという意味ではなく、ただ単にお互いに名字を知らない」というだけの場合があると言うこと。私の場合には会社側の者たちが私を“Mas“というニックネームで呼んでいるのを真似ただけだ。なお、ニックネームとはファーストネームから採った愛称のことを言う。

私はこういう組合員たちとの交流があったので、彼等がどういう者たちで構成されているのかを知り得たので解説しているのだとご理解願いたいのだ。品質改善の必要性のプリゼンテーションをした際に熱心に片言の英語で質問してきたアジア系の顔付きの小柄な者がいた。こちらも懸命に答えた。後で工場の管理職に聞いたのだが、彼はベトナム難民だったので、特に“job security”に熱心なのだそうだった。因みに、白人の組合員からは質問は出なかった。