新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月18日 その2 19年12月の新宿区の人口

2020-01-18 10:25:32 | コラム
19年12月には111人の減少で349,192人となっていた:

昨19年の12月には、ここ新宿区の人口は111人の減少で対前月比で△0.03%、低前年同前月比でも0.03%の減少となっていた。外国人は43,068人となって対前月比では△0.3%、対前年同月比では△0.1%だった。それでも全体に彼等が占める比率は12.3%と12%台を維持していた。矢張り、大久保通りを年がら年中トローリーケースをガラガラと引っ張って動き回っている連中は居住者ではなく旅行者かと推理できるが、彼等が果たして観光にわざわざ身分不相応としか思えない投資をしてまでも、東京やたの地域にやってくるのだろうか。


私は飽くまでもこの現象は「この地区に何らかの手段で住み着いて、何らかの形で働ける場を得て、その収入から自国に送金をする連中がまたまた増えたこと」に他ならないと思う。それが証拠に、これまでは増殖し続けていた外国送金の事務所に続いて、近頃は「両替」との看板を出している店舗(事務所?)が目立つように変わってきたのである。私の疑いは「彼等は正当にと言うか合法的に自国通貨を持ち込んで日本円に交換できないので、両替屋に依存するのでは」という辺りになる。

先月もイスラム横町に連なる場所にあった伝統的な酒場の「仙力」が閉店してハラルフード店に変わったことを採り上げたが、この店舗はフードの販売だけではなく「ハラル料理をも提供する食堂まで運営する」との看板を掲げて未だに内装工事を続けている。イスラム教徒たちにとっては「ハラルフード」が買えるだけには飽き足らず、レストランをも欲しがっているのかと、私は疑っている。言いたいことを言えば「もう、お好きなようにやってくれ」となる。イスラム教徒たちの中には調理師免許を取っている者がどれほどいるのだろうか。

我がアパートがある百人町3丁目は、大規模な公務員住宅もある嘗ては静かな住宅地だった。「住宅地だった」というのには事情がある。即ち、大久保通りに繋がる数多くの路地とは異なって彼等アジア系とイスラム教徒たち向けの小さなホテルも、明らかに民泊が出来そうな個人住宅もない地区だったのだ。だがしかし、昨年辺りからその住宅地と新大久保駅との間を徒歩で往復する日本語以外の言語で語り合う者どもが急増してきた。まさか彼らの尾行をして何処に住んでいるかまでを追う気はないが、「正直に言って良い気持ちはしない」と眉をひそめる住人が多いのが実態だ。

私は何度も言ってきたが、「政府の観光客を増加させよう政策」は結構かも知れないが、その立派な「コインの裏側」にはかかるやりたい放題の、招いていないはずの外国人の増加傾向が続き、勝手気ままに彼等による彼等の為の商売が繁盛しているという、近所迷惑とでも言いたい現象は止まらないのだ、総理大臣も官房長官も「観光客誘致という大命題の前には東京に永年住んでいる人たちの多少の迷惑と不愉快さは蔑ろになさる気か」と伺って見たい。大久保通りなど3日も歩いて見なければ、日本人相手の店の業態が変わっているのだ。私は憤慨している。

間もなく、JR山手線の新大久保駅の増改築が終わって、近代的な駅ビルが開業するだろう。だが、良く考えなくとも解ることは「この新駅の最大の恩恵を受けるのは日本人の住民ではなく、何処からともなくガラガラを引っ張ってやってくる異邦人と、naïveにも訪れる若き女性たちである。為政者は一度でも良いから新駅が開業する前にこの駅の利用者の実態を観察願いたい。私は余程のことがない限り、シルバーパスを利用してエスカレーターもエレベーターも整っている高田馬場駅に回って、新大久保駅の異常な混乱と不便さを回避するようにしている。

何度でも言うが、政府の問題点は「外国人に対して寛容で甘過ぎるから付け込まれていることだ。更に、他国の連中は我が国民と同じように真面目で法律を遵守し、勤勉であり、虚言を弄しないと思い込んでいるよう」なことである。もし本当にそう認識していたのであれば、大間違いだと断じておく。自国で十分且つ満足な生活が営めれば、何も不良なブローカーに高額な金を払ってまで出てくるはずがないではないか。英語でバングラデシュ人を問い質したら「この国の方が物価は高いが、安全で暮らしやすい」と嬉しそうに言っていた。舐められていると思わないか。

参考資料:新宿区広報 令和2年1月15日号



桃田賢斗君に要らざる圧力をかけるな

2020-01-18 09:04:54 | コラム
交通事故の被害者は語る:

私は経験者として本当に桃田賢斗君が心配だから、敢えて再度語ることとした。それはマスコミ報道では「病院での精密検査の結果では問題なしで退院した。3月の全英オープンの出場に備える」となっていたので、余計に心配にさせられた。これはマスコミが意識していなくとも立派に圧力をかけていることになっているのだ。

それは、既に採り上げて心配して見せたことで、近代医学の精密検査を以てしても彼が被っただろう精神的な疵までは診断できないのではないかと危惧するからだ。私はアメリカの救急病院の粗雑な検査で頸椎の2と3番のズレ(というか捻挫)を見落とされ、故志澤先生に「最短でも4ヶ月休養しないと危険な状態になる」と警告されていた。


だが、担当する仕事と当時発生していた事業部史上最大且つ最悪の品質問題の解決の為には休養などしている暇はなく確か2週間ほどで復帰し、在宅中は電話で秘書と連絡していた。しかも、外相がなく普通とは異なって横から当たられた為に横の鞭打ち症では外見は全く正常で、誰の目にも「全く何事もなかった軽症」としか見えなかったのも後になって悪影響が出たのだった。即ち、自律神経失調症が発症し神経性下痢の為に新宿から湘南台駅まで戻る間に、大袈裟に言えば各駅停車で手洗いに駆け込まざるを得なかったのだった。この症状の為に2度の入院となった。

これは私だけの例かも知れないが、交通事故の被害はこういう目に見えないというか、外傷がなかったからと言って「問題なし」と診断することが適切かどうかは未だに私には解らない。1985年時点では確かCTやMRIによる検査はなかった。ではあっても「部分的な記憶喪失」(だと思う)はあったし、神経性下痢は昼間や事故対策で出勤中には起きないのだった。但し、精神的な問題は起こしていた様子で、電話での顧客との応対などでは何度も暴言を吐いていたようで、秘書がオフィスに駆け込んできて電話を切ったのだった。だが、当人は正常に対話しているつもりだった。

解りやすくするつもりで言えば、その桃田君が入院した病院ではこのような精神面の安定性までを検査したのだろうかという単純素朴な経験者としての疑問である。しかも、マスコミは何をとち狂ったか、3月の全英オープンに出場するべく調整すると言っている。桃田君当人にもその希望はあるのかも知れないが、そのような圧迫を加えるべきではない。私の経験では目に見えるような外傷はなくとも「担当するもは自分だけだから何としても復帰して何とかせねば」という焦りと本部からの圧力に近い要請に応えようと、足掻き苦しんでいた。それが自律神経を痛めたのだろう。

結論を言えば「マスコミは早期の復帰だの全英オープンがどうの」などと言わないように自粛すべきで、静かに回復を見守っているべきだ。協会もどれほど交通事故の被害が大変なことで、対処法次第では深刻な病状にまで至ってしまう危険性があると知るべきだ。このような気配りが不十分で、バドミントンをやろうと思ってくれた何十年中年に一度出てくるか来ないかという逸材を、要らざる圧力で潰してしまうことがないように万全の態勢を採るべきだ。事故が与えるだろう精神面の被害は、当人でなければ解らないのだと理解すべきだ。