新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月31日 その2 内部留保は諸悪の根源か

2019-10-31 14:47:06 | コラム
30日の「報道1930」を聞いて:

私はこの番組はどちらかと言えば偏ったゲストを呼んでいることと、司会の松原が偏向気味なので余り重きを置いていない視聴者だ。昨30日も言わば時間潰しのような感じで聞いていたが、自民党の税制調査会副会長の山本幸三が割りに思い切ったことを言うのと、獨協大学教授・森永卓郎の発言が面白かったので、体調の不備を何とか持ち堪えて途中まで聞いていた。

私が特に面白いと感じた点は、森永教授の「我が国の企業が蓄えに蓄えた460兆円余りの内部留保は経営者たちが短期で利益を挙げねばと思い込んで積極的な投資もせず、ひたすら内部留保に回し、株価を上げて株主を喜ばせる一方で、給与水準を引き下げて(労働分配率を低く抑え)、結果的に彼らの報酬を1億円超にまで上げていった者までがいるからだ。長期的な展望がない」との決め付けだった。誠にその通りだとは思うが、私はその他にも「経営者の質の劣化がある」と喝破された、私と同年の元社長がおられることも付記しておきたい。

私が面白いと言った意味は、私が転進した1970年代では既に「アメリカの経営者というか事業部長たちの事業部運営の姿勢というか、利益というものに対する考え方だ。ご存じだとは思うが、アメリかでは早くから四半期毎の決算の結果を発表する制度になっていて、その結果次第では事業部長は言うに及ばすCEOなどもいともアッサリと追い出されている」のだった。それは予め設定された売り上げと利益を達成できなければそうなるのが、アメリカ式の経営であるから仕方があるまい。

その為と言って良いだろうが、General managerかそれ以上の役職にある者たちの間には「敢えてリスクを取って云々」というか、自分の在任中には新たな設備や合理化等の投資を避けて短期的な利益追及にひた走る傾向があった。であるが故に、何も紙パルプ産業界だけの現象とは思えないが「在任中に設備投資などを強行して利益目標を達成できなければ職の安全が確保されない」と危ぶむ者たちが、古くて時代遅れの生産設備を使い、強硬な組合の昇給の要求を受け入れでいたのでは、アジアや南米等の新興勢力に国際市場で負かされたのは当たり前だったと思う。

このような経営の姿勢だけではなく、会社とは別の法的存在である職能別労働組合を抱えているのだから、物作りの分野では空洞化が続き、アメリカで造ったのでは効率が悪い非耐久消費財を主に中国を筆頭に所謂発展途上国に依存するというか、輸出させるという状態になって行った。その解りやすくて典型的な例が、ロスアンジェスル市の郊外にあるファッション・デイストリクトである。我が国の横山町・馬喰町の数十倍のような繊維品を中心とする問屋街では、圧倒的な“Made in China”製品で埋め尽くされ、ヒスパニックと韓国人が商売をしているのだ。

話を本筋に戻そう。昨夜の結論めいたことは「内部留保を何とかせねばなるまい」とうことで、山本副会長は「自民党の税制調査会では提案しても受け入れられない内部留保税をかけよう」と語っていた。森永教授は法人税が29.4%であることは再検討を要すべき、全世界でも高過ぎる」と言い、山本太郎が言う消費税を止めようという暴論的なことも強ち誤りでもなく、ゼロにしても成り立つとまで延べていた。誰もそうだとまでは断定的に言わなかったが、私は彼らは経営者の質の低下が問題であると言いたげだったと解釈していた。

私は1994年にリタイアしてか有り難いことに色々な仕事させて頂いた。そこで出会った多くの20代後半から30代前半の若手の俊英たちは異口同音に「現在の我が社の課長以上を何とかして貰わないと我々の前途は極めて暗い。彼らはこのまま55か60歳の定年を迎えて高額な退職金を受け取って引退できるだろうが、我々がその年齢に達するまでに我が社は没落する危険性が高い」と言っていた。その憂いが一つの結果となって現れたのが、内部留保と実質賃金の止まらない低下傾向ではないのかと思って聞いていた。


私が経験したアメリカ論

2019-10-31 09:04:39 | コラム
私が内側から見たアメリカ:

先日は私は22年余りのアメリカの会社勤務の経験上から、アメリカ側が国を子会社の如くに見ていたという見解を披露したが、今回は言うなればその続編である。

私が1975年にウエアーハウザーの東京駐在マネージャーに転じた頃は、製紙産業や印刷・加工業の分野ではそろそろ日本がアメリカに追い付き追い抜きそうな徴候が見えていた。当時の技術サービスマネージャーは古き良き時代の技師だった。彼に我が国のアメリカとは異なる日本独特の闊葉樹の原木を使った密度が高い表面が非常に平滑に仕上げられた上質紙(我が国では一般的に模造紙と呼ばれているコピー用紙のような白い紙)を見せたところ感嘆して「私はこれを紙と言うよりも鉄板と呼びたい」と言った。針葉樹が主体のアメリカとは違うが、技術が違うと認識していたのだったと言えると思う。

こういう実例で私に印象深かった典型的な例には、W社と十條製紙(現日本製紙)と合弁で1970年代後半にワシントン州で稼働を開始していたノーパックという新聞用紙メーカーでは、技術面で主導権は日本側にあった事だった。アメリカの豊富で高質の木材資源と日本の優れた技術を組み合わせれば、世界最高の新聞用紙が生産できるという誠に合理的な合弁事業である。生産設備にはアメリカのベロイト(嘗ては世界最大最高の抄紙機メーカー)と三菱重工の合弁の三菱ベロイトの抄紙機をが導入された。

私はその頃でも既に我が国の自動車製造の技術水準はデトロイトを抜いていたには明らかだと思っていた。アメリかでは自らが設定した排気ガスの基準を達成できずにもたついている間に、我が国の技術に先んじられ日本車が大量に輸出されるようになって、結果的にはアメリカにトヨタを始めとする億の日本車の工場が進出する(アメリカで製造せよと要求されてか)結果となった。

私はこれらはほんの一例だと思ってみてきたが、産業界では多くの分野でアメリカが豊富で優秀な人材と資金をR&Dの面に投資してきた。そこで開発された世界最新の技術が我が国に導入されると、我が国ではそれを基に遙かに優れた技術に仕上げてしまう傾向が方々で発生していた。唐津一氏は我が国の産業界には創造性に欠けているのではないかとの批判に対して「海外で開発された新技術を更に進化させる技術こそが我が国の創造性である」と指摘されたのは印象的だった。アメリカの問題点はかかる新技術を商業生産に持っていく時に労働力の質が妨げになっていたことだと言えた。

私が担当した分野では日本ではアメリかでは一度使われたら捨てられるだけの牛乳パックに美術印刷は無用だし、挑戦するのも無駄な試みだと言われていたオフセットやグラビア印刷を我が国は無造作にやってのけた。それだけに止まらず、パックの内側の接液面に断裁された紙の端がある構造では、そこから浸水(浸アルコール)して紙の強度が低下するので絶対に無理だとされた牛乳パックの形の容器にワインを充填する技術を、凸版印刷が仕上げて、アメリカに逆にライセンスを下ろしたという実例も出てきた。

こういう事例が数多く重なって行く状況を見て、NBCが「日本に出来て何故アメリカに出来ないか」との大特集番組を組んで大ヒットとなり、我が国でも日本語版が放映された。親しくしていた退役陸軍中佐は国内で見損なって、我が国に出張してきた際にその放映を見にわざわざ藤沢市の我が家まで時間を取って観に来たほどの人気だった。88年には我が社が各事業部のマネージャー以上副社長までの団体を派遣してデミング賞を受賞した工場を回らるプロジェクトを組んだ。即ち、親会社だったはずのアメリカが子会社に倣おうという時期が北ということ。

しかし、大国アメリカは何時までも我が国その他の後塵を拝している訳ではなかった。私が何度も指摘して来たアメリカの職能別労働組合という組織では、容易に進歩・改善が出来ない労働力の質に依存することを回避するかのように、具体的な生産設備を要しないGAFAのような分野で物造りの劣勢を挽回したどころか世界席巻するようになったのではないか。アメリカが研究とR&Dに多額の投資を惜しまない姿勢というか方針が、世界中の優れた技術者を惹き付けているようだと思って見ている。

しかしながら、トランプ氏は親会社だった頃のアメリカが強く且つ世界を牽引していた頃の状況が未だに頭の中にある様子だ。それが故に子会社如きが親会社に大量に輸出して黒字を出しているのは好ましいとは見ておられないのではないかと思わせてくれる。そこにはどうにもならない労働力の質の差があったのだが、その点をご承知かどうか自動車の輸入の削減を求めておられる。我が国に課された使命は、この辺りの歴史とアメリカの問題点を如何にしてトランプ大統領にお認め頂くかにあると思っている。

私は飽くまでもアメリカ側の一員として経験してきたことを基に語っているので、自分が22年アメリも懸命に支えてきたつもりもアメリカ製造業の実体を回顧したのだ。批判している訳でもでも何でもなく、実際に起きていたことと、W社で起こしたことを基に「内側見たアメリカ」の一部を語って見た次第。