新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月11日 その2 例によって例の如くマスコミ批判

2019-10-11 14:46:18 | コラム
マスコミは何が故に未だに海外での成功を喜ぶのだろう:

この度の吉野彰氏のノーベル化学賞は誠に素晴らしいことであるとともに、企業内の方の研究に賞が与えられたことも大いに意義があると思っている。私は我が国の何事につけても世界的に見て水準が高いことをあらためて実証したのだという見方をしたいのだ。それにつけてもテレビや新聞でのあの大騒ぎは、私には鼻につくのだ。私は彼らの感覚では「我が国は未だに敗戦直後の世界に置いて行かれた低水準の国で、その小国が欧米人の世界で認められたとか乃至は漸く我が国も認められたと言って騒いでいる時代錯誤の世界にいる」としか思えないのだ。

戦後間もなくの私が未だ5年生の中学校にいた頃に、近所で貿易商を営んでおられた方が「喜んでください。我が社も漸く認められる存在になってアメリカ向けの輸出が成約しました」と歓喜しておられたような感覚を未だに引き摺っているような気さえするのだ。違うだろう、我が国は既に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代を経て世界の一流国なのだ。ノーベル賞受賞は確かに素晴らしいが、それが天からでも授けて頂いたかのように褒めそやし、吉野氏ご夫妻をインタビューして夫婦間の会話まで聞き出すような愚にもつかぬようなことをしている場合かと言いたくもなる。

私も戦後間もなくから英語を話すように仕付けられたし、中学生の身でGHQの中に入っていた経験もしたので、早くから外国人との接触があった。その上に39歳からアメリカの会社に変わったので、彼らの文化(言語・風俗・習慣・思考体系の意味)の中で仕事をしたし、アメリカ以外のヨーロッパ人とも仕事上での交流が出来た。ここで学んだというか知り得たことは「私(というか我々日本人)は彼らの世界に後発で入ったいったのであって、彼らから見れば異邦人であり、異種のゲームをしている人種だ」と看做されているようだという点だ。

考え過ぎだという方もおられるだろうが、実際に彼らの中に入って20年以上も彼らの為に(対日輸出に)それこそ命を賭けて働いてみて、何処からともなく現れた日本という国は端倪すべからざるものだと恐れさせていたのだった。だが、彼らの中で懸命に働けば働くほど「自分がやっていることは、彼らが創り上げたゲームの中に外から分け入っていって、彼らを凌駕する実績を挙げることは大いに評価されるが、所詮はこれは彼らのゲームであって我々のものではないようだ」と解ってくるのだ。

例えば、「目下あれだけの人気を見せて、あれほど方々で賛美の声が上がっているラグビーを見よ」ということだ。このままスコットランドに勝つか引き分ければ世界の八強に入って行けるのだ。だが、あの出場している国々を見れば英連邦の諸国が圧倒的に多いのだ。彼らのゲームだったのだ。そこに我が国が台頭してあそこまでのし上がっていったのは快挙だ。ノーベル賞にしたところで、北欧のスエーデンが発祥の地だ。その賞を今や毎年のように我が国から受賞者が出ているのだ。彼らのゲームに馴れたのではないのか。

それを当たり前の現象とは言わず、未だに「アメリカに輸出が出来ました」という1940年代の感覚にとらわれているのが、我が親愛なるマスコミなのだ。吉野彰氏が奥方に隠れて煙草を吸われることまで取り上げることと、リチュームイオン電池の発明と何の関係があるのか。もう好い加減に世界の市場、学会、スポーツ界に出ていき成功される人々を大事のように騒ぎ立てる報道姿勢から脱却したらどうだ。永年彼らの中で過ごした私は、我々はアメリカやヨーロッパ人の後ろについて行く国ではないのだと良く解っている。もっと自国に誇りと自尊心を持って報道すべきではないのか。

彼らに解るかどうかは解らないが、異国に出て行って彼らが定めたルールと体格を基準にして出来上がっているゲームをするのは容易ではない。だが、私は我が国は既に自分たちの国独自のゲームを確立しその基準の下にプレーしているのだとも身を以て体験した。現時点で確かにGAFAには置いて行かれたようだし、中国の電子産業の分野におけるアメリカをも凌駕する台頭振りには劣っているのかも知れない。だが、こういう現象が何時までも続くものではなく、何時かはまた「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時がやって来るかも知れないではないか。

マスコミは卑下するような姿勢をもう好い加減に捨て去るべきだ。彼らだって「特派員」などと言う大時代な感覚の名称の駐在員を海外に派遣しているのだから、我が国が如何に優れているかくらいは解るはずだ。それくらいは外国語をまともに勉強していれば掌握できるはずだ。私には見えたのだから。「何、学校で教えてくれた英語では通用しなかった」とでも言うのか。


10日の夜はテレビを見るので多忙だった

2019-10-11 08:29:26 | コラム
結局は「報道1930」が主体になった:

昨10日はラグビーの中継放送こそなかったが、サッカーのW杯予選にNPBのクライマックスシリーズの2試合が重なって、頻繁にチャンネルを変えることにはなった。しかし、結果的にはTBSの報道1930に新藤義孝氏が出ておられるのを見て、これに焦点を絞ることにした。それは事韓国問題となると、新藤氏の発言が最も信頼するに足る堂々たる正攻法というか正論で我が国の立場を主張されるからだ。藪中元外務次官も出ておられたが、矢張り外務官僚の発言には事なかれ主義が見え隠れしすぎるので、信頼する訳には行くまいと思っている。

この番組で驚かされたのが、司会の松原が事もあろうに徴用工問題(この言葉を使うこと自体にTBSの偏向振りが現れている)の解決案を韓国側から提案されたと言って、例の「1+1+α」を言い出した事だった。私は大体からして訪韓した元河村建夫官房長官が持ち帰ったことそのものがとんでもないと思っていたのに、この期に及んで勿体を付けて取り上げるべき案件ではないと思って聞いていた。案の定、新藤氏は穏やかに否定されたが、藪中氏も共同通信の平井氏もそれほど否定的なことを言わなかったのは「そんなものだろう」と思って聞いた。

結局は対韓国問題を解決する為の妙案などないというような結論になったと聞こえた。当たり前のことで、文在寅大統領がその地位に止まっている限り改善される訳がないのであって、即位の礼に李首相が来日されるからといって、仮令安倍総理が言わば何の権限もないとしか見えない首相と会談したとしても、何の進展もあり得ないと思っている。藪中氏は先頃ソウルに出向かれてかの国の要人たちと懇談されたそうだが、彼らは65年の合意は軍事政権が決めた悪い協定だから変えてくれと言っていたそうで、そんな程度のことも解っていない連中を相手にするのでは埒があかない訳だ。

私は新藤氏が毎回主張される「国際的な条約を守ってキチンと我が国との話し合いの席につくべきだ」という以外にあり得ないと思っている。その新藤氏にもあの大法院の判決を支持する弁護士団が今年末か来年早々に差し押さえた三菱重工や日本製鉄等の資産を換金するのを阻止する明暗の持ち合わせはないようだった。韓国のあの浦項製鉄を築き上げたのが八幡と富士製鉄だったことなど忘却の彼方であるようだ。いや、都合が悪いことは忘れるのだろう。その恩義ある会社の資産を差し押さえるとは非道徳的な暴挙という以外あるまい。

矢張りサッカーにも一寸触れておくべきかと思う。FIFAのランキング183位のもモンゴルから6点取ったといってマスコミは喜んで見せている。だが、私に言わせて貰えば当たり前のことが出来ただけであって、あそこまで褒めるべきではないと見ている。それにしても彼らは何故久保建英が出る出ないにあれほど執着するのだろう。昨日も森保監督が最後まで使わなかったのは、何となく意地になっているようにすら思えた。あの監督でも本当に使えると思えば、始めから出しただろう。それともマスコミの連中の話題作りか。