強い方が勝った:
テレビと新聞の過剰だと言いたいほどのラグビー礼賛に言うなれば食傷気味だったが、イングランドというイギリスの本家対分家とでも言いたいニュージーランド(NZ)のラグビー戦を「イングランドが勝つのではないか」との閃きの下に、昨26日に観戦していた。敢えて「イギリス」という言葉を使ったが、これを広辞苑で見れば「(The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)の西方、大西洋上にる立憲連合王国グレート・ブリテン島・北アイルランド及び付近の900以上の島々からなる。面積24万4,000平方キロメートル・・・」とある。
イングランドとはその中の一つである。それを知らなかった1969年頃に、この国から来ていた人に「イングランドからお出でか」と尋ねて「イングランドではない、UKと言え」と厳しい顔で言われたものだった。ニュージーランドは広辞苑によれば「1840年にイギリスとマオリ人とのワイタンギ条約によりイギリス領となる」とある。独立は1947年とある。この試合は言わば親子間の争いかというような気もして興味深かった。我が事業部にはニュージーランド人でオックスフォード大学のMBAのマネージャー(後にSales and Marketingの副社長までなった)がいた。
私の関心と興味はイングランドのヘッドコーチ(HC)が前回のW杯までの我が代表の指揮を執っていたエデイー・ジョーンズ氏がHCであることにあった。それは、どちらかと言えばラグビーの本家であったはずのイギリスの霞み気味だった存在を、ジョーンズ氏がその猛練習というか指導法でどのように立て直しているかが勝敗の鍵を握っていると思っていた。ボンヤリと考えていた事は「我がマスコミの過剰なNZの強さの称え方があるとは言え、NZと雖も人の子である以上、そう易々とは3連覇できるものか」という疑問もあった。イングランドの試合振りはほとんど見ていなかったので、どの程度の強さかは解っていなかった。
しかし、試合が始まってみるとイングランドの勝ってやろうという気迫と、やれるところまでやってやろうじゃないかという、古い言葉で恐縮だが「張り詰めた敢闘精神」の勢いは凄まじく、キックオフ後間もなくイングランドは結果的にはこの試合で唯一となったトライを決めてしまった。NZは油断していたのか乃至はイングランドのジョーンズ氏に鍛え上げられたのであろう精神力と鋭い出足とデイフェンスの当たりに圧倒されたのか、解説の広瀬がこれほど乱れているNZを見たことがないとまで言ったほど劣勢だった。
先日指摘したようにラグビーはアメリカ系の球技のように「モメンタム」に左右される性質ではないので、一度劣勢に立たされたNZは最後まで大勢を挽回するチャンスもないままにミスと反則を繰り返して、イングランドに4本もペナルテイーキックを決められて、如何ともする術もなく敗退してしまった。私にはラグビーの微妙な技術を判定するほどの眼力はないが、両者にほとんど力の差がなかったように思う。だが「勝って見せよう」という精神力の強さ(これを「メンタル」などという妙なカタカナ語で言うな)においてはイングランドの方が上で、それが試合を決めたと思っている。
見方を変えれば「両者ともあらん限りの力を出した素晴らしい試合だった」と褒めても良いのだろう。だが、私にはNZのミスの多さが気になったし、ウエールズ人のレフェリーがTMOだかに依存した判定でイングランドのトライを2本「ノートライ」という音声が聞こえたと思うが、無効にしてしまったのは気の毒だったとついつい思ってしまう。あれをトライと判定しなくてもNZの劣勢は明らかだったと思うので。ラグビーの面白い点は、レフェリーは試合を指導しているという点で、その判定には野球の球審よりも癖というか、極言すれば独断的のように見えるということだ。
本日はもう一つの準決勝戦である「南アフリカ対ウエールズ」の対戦がある。この試合にはさほど関心がない。だが、関心はあそこまで勝ち上がったイングランドが他国よりも1日休養日が長い利点を活かして優勝できるか否かにはある。イングランドはジョーンズ氏の指揮の下に組み合わせが決まった時点から、対NZのゲームプランを練り上げて練習してきたとアナウンサーが言っていた。であれば、南アフリカかウエールズ相手のスカウテイングとゲームプランは出来ているのだろうか。あの対NZの精神力は決勝戦でも発揮できるのだろうか。その辺りに私の関心と興味がある。
言い古された表現だが「技術力が同等ならば、精神力が強い方が勝つ」というのがあり、私もそれを信じている。だが、ただ精神力だけを鍛えてあれば良いものではないのが難しいところだ。最後にもう一度言うが「メンタル」などと言う形容詞をさも名詞の「精神力」のような意味で使うのを止めろ。「フィジカル」だって同様に形容詞だ。好い加減にしろ。
テレビと新聞の過剰だと言いたいほどのラグビー礼賛に言うなれば食傷気味だったが、イングランドというイギリスの本家対分家とでも言いたいニュージーランド(NZ)のラグビー戦を「イングランドが勝つのではないか」との閃きの下に、昨26日に観戦していた。敢えて「イギリス」という言葉を使ったが、これを広辞苑で見れば「(The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)の西方、大西洋上にる立憲連合王国グレート・ブリテン島・北アイルランド及び付近の900以上の島々からなる。面積24万4,000平方キロメートル・・・」とある。
イングランドとはその中の一つである。それを知らなかった1969年頃に、この国から来ていた人に「イングランドからお出でか」と尋ねて「イングランドではない、UKと言え」と厳しい顔で言われたものだった。ニュージーランドは広辞苑によれば「1840年にイギリスとマオリ人とのワイタンギ条約によりイギリス領となる」とある。独立は1947年とある。この試合は言わば親子間の争いかというような気もして興味深かった。我が事業部にはニュージーランド人でオックスフォード大学のMBAのマネージャー(後にSales and Marketingの副社長までなった)がいた。
私の関心と興味はイングランドのヘッドコーチ(HC)が前回のW杯までの我が代表の指揮を執っていたエデイー・ジョーンズ氏がHCであることにあった。それは、どちらかと言えばラグビーの本家であったはずのイギリスの霞み気味だった存在を、ジョーンズ氏がその猛練習というか指導法でどのように立て直しているかが勝敗の鍵を握っていると思っていた。ボンヤリと考えていた事は「我がマスコミの過剰なNZの強さの称え方があるとは言え、NZと雖も人の子である以上、そう易々とは3連覇できるものか」という疑問もあった。イングランドの試合振りはほとんど見ていなかったので、どの程度の強さかは解っていなかった。
しかし、試合が始まってみるとイングランドの勝ってやろうという気迫と、やれるところまでやってやろうじゃないかという、古い言葉で恐縮だが「張り詰めた敢闘精神」の勢いは凄まじく、キックオフ後間もなくイングランドは結果的にはこの試合で唯一となったトライを決めてしまった。NZは油断していたのか乃至はイングランドのジョーンズ氏に鍛え上げられたのであろう精神力と鋭い出足とデイフェンスの当たりに圧倒されたのか、解説の広瀬がこれほど乱れているNZを見たことがないとまで言ったほど劣勢だった。
先日指摘したようにラグビーはアメリカ系の球技のように「モメンタム」に左右される性質ではないので、一度劣勢に立たされたNZは最後まで大勢を挽回するチャンスもないままにミスと反則を繰り返して、イングランドに4本もペナルテイーキックを決められて、如何ともする術もなく敗退してしまった。私にはラグビーの微妙な技術を判定するほどの眼力はないが、両者にほとんど力の差がなかったように思う。だが「勝って見せよう」という精神力の強さ(これを「メンタル」などという妙なカタカナ語で言うな)においてはイングランドの方が上で、それが試合を決めたと思っている。
見方を変えれば「両者ともあらん限りの力を出した素晴らしい試合だった」と褒めても良いのだろう。だが、私にはNZのミスの多さが気になったし、ウエールズ人のレフェリーがTMOだかに依存した判定でイングランドのトライを2本「ノートライ」という音声が聞こえたと思うが、無効にしてしまったのは気の毒だったとついつい思ってしまう。あれをトライと判定しなくてもNZの劣勢は明らかだったと思うので。ラグビーの面白い点は、レフェリーは試合を指導しているという点で、その判定には野球の球審よりも癖というか、極言すれば独断的のように見えるということだ。
本日はもう一つの準決勝戦である「南アフリカ対ウエールズ」の対戦がある。この試合にはさほど関心がない。だが、関心はあそこまで勝ち上がったイングランドが他国よりも1日休養日が長い利点を活かして優勝できるか否かにはある。イングランドはジョーンズ氏の指揮の下に組み合わせが決まった時点から、対NZのゲームプランを練り上げて練習してきたとアナウンサーが言っていた。であれば、南アフリカかウエールズ相手のスカウテイングとゲームプランは出来ているのだろうか。あの対NZの精神力は決勝戦でも発揮できるのだろうか。その辺りに私の関心と興味がある。
言い古された表現だが「技術力が同等ならば、精神力が強い方が勝つ」というのがあり、私もそれを信じている。だが、ただ精神力だけを鍛えてあれば良いものではないのが難しいところだ。最後にもう一度言うが「メンタル」などと言う形容詞をさも名詞の「精神力」のような意味で使うのを止めろ。「フィジカル」だって同様に形容詞だ。好い加減にしろ。