新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカ人の世界に単独で入っていった経験から言うのだ

2019-10-19 16:21:39 | コラム
如何なる世界かも知らずに入っていった:

アメリカ人の世界と言わずに「白人たちの世界に」と表現した方が適確かも知れないとも考えている。私は1972年の8月から94年1月末のW社をリタイアするまで、2社に日本駐在マネージャーとして勤務していた。より正確に言えば「その事業部には初めての日本人であり、日本人は自分だけだった」という世界である。英語はある程度以上解っていたし、旧制中学の1~2年生の頃からアメリカ人との接触があってアメリカ人(外国人でも良いか)には普通の人よりは馴れていたと思う。戦後間もなくではアメリカ人たちが我々をどのように見て(見下してでも良いか)いるかも承知していた。

だからと言って良いだろうが、1955年には新卒として日本の会社に雇って戴き、偶然の積み重ねでアメリカの会社に転進するまでアメリカとも英語などとも全く無縁の17年間を過ごしていた。しかるが故に全くお恥ずかしながらnaïveにも「アメリカの会社の仕組みは我が国の会社とはまるで違う」などとは全然認識していなかった。別な言い方をすれば「我が国とアメリカの間に厳然として存在する文化の違い」や「社会における差別だとか格差」などは全く考えてもいなかった。だが、アメリカの会社では給与に見合わない働きと結果では簡単に馘首されるとは承知はしていた。

入って見れば「仕事の進め方が“job description”の下に、全く個人の能力と努力と経験と才能に任されているし、社内は言うに及ばず同じ部内でも誰にも依存は出来ず、頼りにするのは後にも先にも自分だけだと言うことくらいは『ドジでのろまで鈍感』の私にもイヤと言うほど解った。即ち、何が何でも与えられた課題をやり遂げていく以外に生きる道がない世界だ」と解ったのだった。この頃から、私は半分以上本気で「命がけでやるしかない」と日常的に言うようになっていた。

W社に転じてからはM社とは組織が異なっていたので、我が国では考えられないことだが「本社の組織とは全く異なる地方採用であり、先ず本社機構に組み込まれることがない人たちとの日常的な仕事の繋がりが出てきた」のだった。これだけの説明では解り難いだろうと思うので追加すれば、工場には製造部長級の幹部以上には本社採用か本部から派遣された社員がいるが、それ以下の事務部門で実務を担当している者たちは、そこから先ず本部に転勤乃至は栄転してくることはない、身分違いの人たちの世界なのである。この人たちに「ここで認められて何れは本部に」などというギラギラした出世欲は無用なのだ。

最近「アメリカの一定以上の規模も会社で職の安定(job security)を確保し尚且つ出世しよう(高い年俸が取れてボーナスを貰える地位にという意味)と思えばMBAが最低の条件になりつつある」と述べてきた。アメリかでは一時「MBA有害論」が広まっていたが、今や有用論に変わっているのが重要な点だ。この実体をより詳しく述べれば「今や年間の学費が700万円を超えてしまったIvy League乃至はそれと同等(例えばカリフォルニア州の名門スタンフォード大学)の私立大学のビジネススクールでMBAを取得する必要がある」ということだ。

それは4年間に3,000万円近い学費を負担可能な家に生まれねばならず、その上更に1,400万円の学費がかかるビジネススクールに受験資格となる、4年制を大学を卒業後に4年間の実務経験を積まねばならず、場合によってはそのビジネススクールの学費を自分で貯金するか、学生ローンに頼られねばならないのだ。これだけの経済的負担に耐えられる家庭となれば、おのずと如何なる階層の家柄かは限定されてくるのがアメリカだ。即ち、アッパーミドルがそれ以上の家庭の出身者が大手企業の経営者か幹部を占めることになっていると言えるのではないか。

これも既に何度か指摘したことだが、こういう世界であるから大手の製造会社の事業部長の下にはごく普通のように彼乃至は彼女よりも年下の部員がいるのである。そしてそのような人たちはMBAではなく、4年制の州立大学の出身者が多く、それではその時点で与えられた地位というか身分から垂直に上昇することなど先ずあり得ないのであり、その人事権は事業部長が持っているのだ。

これも既に繰り返し指摘したことで、労働組合は法的にも会社とは異なる存在なのだから、本部の組織には(我が国とは異なって)組合出身者がいることはあり得ないのだ。逆に言えば、本部の幹部社員は組合の経験はないのが普通だ。この点を我が国の会社と組合組織と比較すれば、彼我の違いが良く解ると思う。

こういう世界だと本当に理解し認識して知り得るまでには、私にはかなり長い時間を要した。深く考えなくとも解ることかも知れないが「身分の垂直上昇がない」と解って勤務している人たちは「取得する年俸の額に見合っている」と思っている程度の熱心さ?でしか仕事をしないのである。そこにある英語の表現が“That’s what I’m paid for.”である。それは「高給取りの事業部長のように朝は7時には出勤し、夜は8時でも9時でも残っているし、土日もなく出勤する事など考えてもいない。9時に出勤し定時に帰る」という意味だ。

その仕組みが解らないうちは、私はノンビリと、適当に、言われたことだけしかしない「一般事務員」とでも言いたい者たちの仕事の遅さ、要求したことに素早く答えてこない事に腹を立てて「君等の不真面目な仕事の進め方為に、我が社と私が大事なお客様の信用を失いそうだ。もう少しまともに仕事をして我が社の名声を傷つけないよう心掛けよ」と何人かを何度も怒鳴り上げたものだった。だが、彼らは中々言うことを聞かず、かえって副社長などに「東京にはうるさい奴がいる」などと泣きを入れたりしたのだった。

私の予期せざる新たな仕事は「そういう連中の意識改革」という結果が出る訳がない課題だった。何度も採り上げたご夫婦でコンサルタント事務所を持っておられたMBAの奥方の社員教育のテキストを見せて貰った際に「クイックレスポンスをする」との項目があったので「何故こんな当たり前のことを教える必要があるのか」と質問すると「我が国と日本では事務職の者たちの質が違う。彼らは教えられていないことはしないのだ」と答えられて正直に言って仰天したし、「なるほど、そうだったかのか」と納得もした。

私の直接の仕事上の上司は東京事務所にはおらず、私はの身分は英語では“direct report”と言っている副社長兼事業部長の直轄の日本駐在マネージャーだった。彼は大変なやり手で切れ者だったが、私よりも10歳も年下だったので、時には無謀で危険ななことだったが彼に対しては真っ向から直言していた。副社長もそれを受け入れてくれていたし、私の目から見た他の部員の評価のようなことをかなり直接に聞きたがることもあった。これも何度も触れたことで、アメリカには人事部などなく、部員の評価と査定は雇用主である副社長兼事業部長の権限の下にあるのだ。

副社長のこのようなご下問に対して未だアメリカの組織というか「事業部長が持つ絶大な権限、即ち製造・販売・営業・人事勤労・総務・経理等々全て」を完全に認識で切り前には、誠に迂闊なことに率直に各人の長所や短所や改善させるべき事等をあからさまに答えてしまっていたのだった。これは副社長の査定にかなり影響を与えたようで、本部の部長に一人には「ものの言い方に注意しろ。君は影の人事部長だと仲間に恐れられているぞ」と忠告されたし、東京の日本人社員の代表者にも注意された。

その結果というか何と言うべきか、私が本部に出張し副社長の部屋に入って行く途中で何人かの同僚とい言うか本部員に呼び止められて「これから副社長に会う時に自分の話題が出たら、必ず“He is going a very good job.”と言ってくれ」と依頼されたのだった。これだけで理解して戴けたかどうか解らないが、アメリかではこのような身分の差というか学歴の差と言うか、裕福な家庭の出身であるかないかが、企業内の身分を決定的に決めてしまっているのだ。そういう意味では、外国人であり有名大学のMBAでもないような者が迂闊に入っていくべき場ではないのだと思う。

アメリかでは労働組合というものの在り方がどういうものかは何度も述べた。でも、私は組合員たちが身分というか社会的地位の垂直的な上昇を望んでいるかいないかなどは知らないし、確認したこともない。だが、そういう労働者階層の支持を得ているのがトランプ大統領の強みであり、彼はその他にも言わば差別された格差を付けられていると言われている階層にも強いようだ。しかも、一般論的には、何れアメリかではそういう連中の他にも所謂少数民族、ひっくるめて“minorities“とでも言うべき者たちの数が白人を超えるとされている。

私が彼らの一員として経験し且つ見てきたアメリカという世界は、明らかにごく少数の白人の富有層が支配するアメリカだった。だが、トランプ大統領の主たる支持層は上記の所謂「プーアホワイト」以下のminoritiesも含まれており、共和党の一部にも強力な支持者がいると聞かされてきた。しかし、このままトランプ氏が再選されれば、アメリカ大統領を支持する層は全く新たな人たちで構成されてしまうようにも考えられる。即ち、これまでに支配してきた層が招き入れた者たちではないと思うのだ。

その時期にあって、民主党はトランプ大統領弾劾の為にウクライナ問題の調査を開始したそうだ。共和党から見れば招き入れたくない左派が台頭するかも知れないのだ。アメリカが何処に向かって行くかからは益々目が離せない状況だと思う、今日この頃だ。


拡大する一方のスマートフォン包囲網

2019-10-19 14:01:52 | コラム
21世紀最悪の開発商品の包囲網に思う:

私はこの文明の利器が普及し始めた頃に掲題のように批判したものだった。しかしながら、私の批判などはものともせず老いも若きもこの文明の利器を利用している。この端末でちょいと決済してしまう流れは、「キャッシュレス」なるものが軽減税率が始まる前から方々で見かけていた。当方には別段時代の流れに乗り遅れまいとする気がない訳ではないが、超後期高齢者の年齢に達してしまったこの年齢になって、今更スマートフォンに投資する意欲も、毎月の出費を増やす勇気もない。しかし、この端末と使わないと時代の流れには乗れないとは十分に弁えている。

ところが、19号台風があれほど大きな災害を主に東から北日本にもたらしたと思ってれば、テレ朝がこの被災者の為に「ドラえもん募金」を行うとアナウンスし始めていた。その画面を見て「時に流れはそこまで押し寄せていたか」と痛感させられていた。即ち、テレ朝は「この募金には固定電話からは応じられない」と言っているのだ。そこにどのようなアプリケーションというのか何かがあるのかなど想像も出来ないが、これではまるで「早くスマートフォンに切り替えなさい」と言外に言っているのと同じではないのかと思わせられた。

先ほども大久保通りまで出たが、UBER EATSの自転車が疾走するのに出会ったし、黒くて背が高くてスライドドア式の「アプリで呼べるタクシー」にも何台かすれ違った。「ここは中国とは文化も国情も経済の仕組みも違うのだから、今まで通りに現金で支払って生活していてはいけないのかな」などと考えながら外国人ばかりが通っている通りを歩いていた。すると、アイルランドのラグビーのシャツを着た一団が小さなホテル方出てきたのにも出会った。彼らはもうキャッシュレス世界に馴れているのだろうか。