新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

あーあ、大坂なおみさん

2018-10-27 08:46:07 | コラム
折角世界のランクが第4位まで上がったが:

我が国の多方面からの期待を担って大坂なおみさんはテニスの大試合「WTAファイナルズ」に出場した。結果ら言ってしまえば、まさかの三連敗で遺憾ながら次の段階には進めなかった。私はあのプロテニス界での短い経験と20歳という年齢であそこまで上がっていったのは立派であり、今回の言わば予選落ちを恥じる必要はないとは評価してあげている。

しかしながら、私は大坂なおみがUSオープンを制覇してしまった時には、未だその実績と実力については半信半疑だった。事実、その直後の9月18日には以下のように「大阪なおみが心配だ」と題して疑問を呈していたので、あらためて再録してみよう。

<引用開始
“明日彼女は東レのトーナメントに出場するそうだが、心配性の私は一寸気懸かりなのだ。そこにいくつかの理由があるが、先ずはマスコミの持ち上げ過ぎと騒ぎ過ぎを挙げたい。恐らく彼女は日本語の新聞は読むまいし、読めないだろうが、新聞とテレビ各局の持ち上げ過ぎは気になる。あの女性は年齢の割に落ち着いているように見えるから自戒する余裕があるのだろうが、あれだけ方々に出演して特集されれば「ひょっとして自分は偉いのでは」と錯覚を起こすことがありはしないかと懸念している。

私事で恐縮だが、1994~95年にかけて「アメリカの製紙会社の実力恐るるに足らず」であるとか「日本とアメリカの企業社会における文化と思考体系の違い」を業界内等方々で講演して回っていた時にもっと恐ろしかったのは、行く先々で「先生扱い」して頂くことだった。自分はそれに相応しくないと心得ていたし且つ自戒していても、一寸気が緩めば、のぼせ上がりそうになるし「もしかして俺も大物だったか?」などと思うこともあった。しかし、60歳を超えた私は何と踏み止まることが出来た。

その持て囃され方のように、過剰に「チヤホヤ」されることが怖いのである。それは「人は思いきり煽て上げられれば、誰にでも自惚れてしまう危険性があるという意味」なのだ。故に、なおみさんが何処までその褒めそやし攻勢に耐えて自分を律しているかにかかってくるし、Sasha Bajinという精神面の指導にも優れたコーチが付いているそうだから、その点は上手く切り抜けていくだろうと期待している。

次は忌憚のないところを言うが、私はあのUS Openでの優勝が「出会い頭」的と言うか実力以上の出来ではなかったと危惧しているのである。私は確かに彼女には人並み以上の素質があるとは認めるが、あの表舞台でそれまでの限られた経験で、世界的な大試合で優勝出来るだけの本当の力が備わっていたのかという疑問を抱いているのである。私が常に述べて来たように勝負には運・不運はあるが「勝ちに不思議あり、負けに不思議なし」なのである。「勝った者が強いのだ」が大原則だが、大坂なおみが勝ってしまったところには、実力以上の運があったのではなかったかなという疑念である。

確かにセリーナ・ウイリアムスは要らざる不当な感情の赴くままの抗議をした。その為に1ゲームを失ってしまった。それが勝敗に大きく影響したのも確かだと思う。そういう幸運を引っ張り込んだのが大坂の実力と「運」だったのか、出会い頭だったかはテニスを知らない私には不明なのだ。但し、間違いない事実は「あの幸運の1ゲームを活かして、運を自分の味方にしてあのセットを勝ち取ったのが大坂なおみの実力だったのかも知れない。私が解らないのは『あの時点で本当にUS OPENを獲ってしまう実力があったのか』」ということ。

次なる心配事というか期待は「東レのトーナメントでどのような試合をして何処まで勝ち上がっていけるか」なのだ。それ即ち、あのUSOでの優勝が出会い頭だったか、本当の実力が付いた成果だったかが明らかになるということだ。恐らく参加する世界2~4位のランクにある連中は「ポッと出の若者を叩いて目に物見せてやろう」とばかりにかなり力を入れて当たってくるだろう。「出会い頭であったか否か」は、そこで何処までやれるかで明らかになるだろう、非常に怖いトーナメントであると言うことだ。

勿論、彼女にはバイン・コーチを始めかなりの人数の所謂スタッフがついているので、それくらいのことは良く解っていて、それに対する備えが出来ていなければならない。私の心配事は「帰国(なのだろう)以来テレビ等のメデイアに引っ張り回されて十分な練習の時間が取れていたのか」なのだ。テレビは録画で撮りだめしたとは思っているが、その辺りの調整が上手く出来ているのだろうと希望的に考えている。要するに、下手な試合をするとUSOの勝者の鼎の軽重が問われる結果になるのだ。“
>引用終わり

という具合でかなり大阪なおみの実力を不安視していたし、マスコミが常に報じているような精神的な不安定な要素があって、その辺りをバイン・コーチが適切に指導し、助言を与えているようだ。余計なことだが、マスコミの間抜けはバイン・コーチを「サーシャ・コーチ」と表記することが多いが、サーシャ(=Sasha)は名前であって名字ではない。何時になったらこれくらいのことが解るのだ。バイン・コーチと呼ぶのが正しいのだ。

WTAファイナルの結果に戻れば、私は「大阪なおみの実力が未だこの大会に出てある程度以上の成績を収める段階には到達していなかったのだろう」と見ている。それに1戦目か2戦目で負傷したという報道があったが、これも実力のうちで大きな試合が続いた結果で体力が追い付かずに故障したのだと察している。きついことを言うが「怪我をするのもも実力のうち」なのである。古い言い慣わしに「無事これ名馬」というのがある。連戦を乗り切る体力と体格を作り上げるのも実力のうちである。

彼女には未だこれから先の長い将来がある。一層の技術を磨くことも勿論肝要だが、身体能力と体格と精神力を鍛え上げることも重要な課題となるのだ。取り敢えずは来年の期待しよう。