新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月24日 その2 アメリカの労働力の質の考察

2018-10-24 15:39:50 | コラム
内側から見てきたアメリカが抱える労働力の質の問題:

労働組合とは如何なる存在か:

この点を以下の挿話(カタカナ語ならば「エピソード」だ)をを使って表してみよう。ここには経験談と伝聞(secondhand)と二種類がある。

先ず経験談では、1988年にW社のある事業部のマネージャーから副社長までの30数名の集団に混じって我が国でデミング賞を獲得している(TQCに優れた)工場を2週間かけて勉強の為に回った時のことだった。一行がトヨタの系列の工場を「カンバン主義」を学びに訪れたのだった。私は視察団の一員として参加していたのだったが、工場見学する我々の最後尾についてこられた工場の方が「今日は面白いことを準備してありますから」と私に囁かれたのだった。

それは後で解ったのだが、確かに「面白い」どころではない大変な企画で、私は「流石にトヨタで、そこまで熟知しておられたか」と感嘆させられた演出だった。見学が終わった後で講堂のようなところで質疑応答になった。我が方には“Question asking team”が組織されており、質問は準備されていた。ところが、司会役の工場長が壇上に並んだ人たちを紹介して「私の右側が工場の幹部で、左側が組合の幹部」と述べられたところで、我が方は大いに動揺して「何で我々の面前の壇上に組合員如きが並ぶのか」と憤慨したのだった。

この時点で工場の方が私に囁かれたことの意味が理解できた。多くの方には直ちに理解できないかも知れない出来事だろうが、「苟も副社長兼事業本部長以下の幹部が顔を揃えた席に、組合員の代表が同席して質疑応答をするのか」という怒りなのである。解りやすくズバリと言えば「身分が違うだろう。ふざけるな」とでも表現すれば良いのかも知れない。アメリかでは労働組合とはそういう位置づけになっていると言うこと。

私は既に会社側と労働組合とは別個の存在であると指摘したが、「別個」とはこのような身分の違いだったのである。海外経験が豊富なトヨタはこのような「企業社会における文化の違い」を十分に認識された上での演出だったのだ。だからこそ「流石」と恐れ入った次第だった。通訳としてずっと一緒に旅をしてきた2人の通訳の女性たちも少し戸惑っていたが、やがてアメリカ側も落ち着いて質疑応答は穏やかに進行したのだった。勿論、帰りのバスの中で私から敢えて「文化の違い」の解説を試みておいた。

委員長は本社ビルの外にいた:
次は伝聞である。これも非常に印象的で、後難を恐れずに言えば「我が国の大企業の経営者と雖も、両国の間に存在する文化の違いをご存じではなかった」という良い(悪い)例だと思う。それは、ある我が国の大企業の社長さんがアメリカの関係先のCEOとの会談をする運びとなって、アメリカに出張されたそうだ。その際に「労働組合の委員長とも会談したいので」とお願いして快諾を得ていたのだそうだ。

ところが、CEOとの会談が無事に終わったが、彼からも周囲にいた誰からも労働組合の「ロ」の字も出てこなかったのだそうだ。この際、社長さんが単身で出向かれたか否かは措くとして、何のお知らせもないとはおかしいと思われたし、あるいはキャンセルになっていたのかとすら考えたのだそうだ。そして、壮麗なる本社ビルを出てみるとそこの外の階段に敝衣を身にまとった男が座っていたのだそうだ。その男が「貴方はXXさんですか。私がお約束を頂いた委員長のQQです」と名乗ったのだそうだ。

当惑した社長さんは取り敢えず挨拶は返したが「何故この本社ビル内の然るべき場所でお待ち頂けなかったのか」と当然の疑問をぶつけられたそうだ。ところが、委員長の答えは「滅相もない。我々如きが本社ビル内に立ち入って、貴方のような方をお待ち申し上げることなどあり得ないのです」だったそうだ。私には十分にその答えが意味するところは理解できる。だが、我が国の常識からすれば「それはないだろう」となるだろう。

だが、これがアメリカにおける労働組合の企業社会におけるstatusだと言えば解りやすいか。これこそが、私が指摘してきた「別個の存在」の意味を具体的に表す一例であると思って採り上げた次第だ。彼らが自分たちの社会が決めたというか、法的に定められた地位をどう考えているかはここで論じようとは思っていない。かかる違いがあるのがアメリカの企業社会の文化であると認識して頂ければ幸甚だ。

労働力の質の問題が何故生じるのか:
この点は先日採り上げた「我が国とアメリカの労働組合の違い」のところで、

「組合員の仕事は年功序列というか勤務年限によって一段ずつ上の段階に上がり、そこで時間給も昇給していく仕組みになっているのだ。我が国との大きな違いは「彼らは時間給制度の下で働いている」のである。」

という表現で概要を説明しておいたのだった。この表現は「言うなれば、こういう形でアメリカの労働力の質が決して高くないのは何故か」という解説を密かに埋め込んでおいたつもりだった。かかる実態は、アメリカの企業の外におられる方に対しては、会社側が敢えて見せようとも思わないだろうし、また一度や二度アメリカの工場の現場を見学したところで「なるほど、そういうことだったか」と認識できるような性質ではない」のである。

即ち、私が「別個な存在」と表現したのは、組合員たちは“union card”という身分証明証を得て何らかの業界横断の職能別組合員となって就職することから始まるのだ。私が教えられた限りのことでは、新入りは先ず雑役というか場内の清掃作業員から始めて、時が経つにつれて段階的に上の(というか熟練を要するような)地位というか仕事に就けるようになって行くのだ。既に何度も指摘したことで、組合員は時間給(hourly wage)であるから、仕事が高度化した技術を求めていくのと勤務年限に伴って、自動的に昇給していくのだ。

即ち、ここには年功序列制があって、技術が向上したかどうかとは別なことで昇給はしていくのである。私はこの辺りに問題があると思っているし、会社側の者たちもその点は十分に認識している。勿論、、経験者からの指導もあるだろうが、アメリカの現場には非常に良く出来た「作業のマニュアル」が用意されていて、英語が解る限り(英語が理解できれば)誰にでも仕事のやり方が解るような、嘗ては多くの日本からの工場の訪問者が感動した指示書が常備されているのだ。

問題はここから先にあるのだ。これまでに何度述べたか解らないが、USTRの代表だったカーラ・ヒルズ大使が1994年に「アメリカの労働力の質を高める為には識字率の向上と初等教育の徹底が必要」と言われた事を想起して頂きたい。工場の管理職は言う「読めない奴がいるので」なら未だ良い方で「読んだ振りをしやがる奴がいるので」と。折角優れたマニュアルが用意されていても「読めない」のではどうしようもないのだ。そういう層に属する者もいれば、トランプ大統領が排除しようとされた海外からの英語もままならず移民もいるのがアメリカの組合なのである。

問題はここまでで終わってはいない。私は年功序列制で職位も上がれば時間給も上がっていくと指摘した。ということは「敢えて向上心に燃えて自らの職場での敢えて「スキル」と表現するが、言い方は悪いが「努力しなくとも時間給は上がっていく」のである。「簡単にこういう環境下にある組合員たちを奮い立たせる為には何をすべきか」については、我が社は色々と創意工夫して彼らを叱咤激励もしたし、何故に品質を向上させねばならないかを機会があるごとに説いて聞かせたし、褒めるべき時は褒めてきた。

また、各シフト明けの組合員に残業料を支給して一堂に集めて「君たちはこれまでも素晴らしい仕事をしてきてくれたが、世界の市場にその地位を確立し、世界の#1のサプライヤーになる為には君等のより一層の努力が必要である。事業部の命運は君たちの双肩にかかっているし、我々は君等ならばやって見せてくれると確信している」といったようなプレゼンテーションを丸一日かけてしたこともあった。兎に角「品質なくして成功もなく、job securityもない」と説き続けた。

ある時、組合員の中でも最もボス的な存在で工場の管理職たちがその扱いに苦心惨憺していた大男が、偶々出張で現場にいた私に「今仕上がっている紙を見てくれ。俺は問題があると思うが、班長が『何でも良いから沢山生産すれば良いのだ』という主義で合格品にする気だ。お前の意見を聞かせてくれ」と申し出てきた。それは私も一目見て「規格外品」と判定した。そこで私は直ちに技術サービスマネージャを現場に呼んで判断を求めた。

勿論、規格外品と判定したのだったが、彼が何事にもまして感激したことは「あの男がそこまでの品質についての意識を持ってくれるに至ったか。我々の積年の組合員たちの意識改革の努力が結実したとは」という点だった。これは決して過ぎた昔の自慢話をしているのではなく、「アメリカの労働力の質の問題は彼ら組合員たちの質の問題でも理解力の有無ではなく、如何に彼らの意識を改革していくかにも大いにかかっている」という経験談を述べているのだ。

彼らに目的意識を持たせ、向上心を植え付けて、何を為すべきかを説いて聞かせる努力を怠れば、何時まで経っても輸出市場での地位は確立できないし、輸入品の流入を防ぎきれない事態が生じるという意味である。


海外の事件に思う

2018-10-24 07:55:12 | コラム
恐ろしい事が多い:

ジャマル・カショーギ氏(Jamal Khashoggi)の殺害:

最初に「かショーギ」と聞いた時には、一瞬サウジアラビアには同じような名字が多いのかなと思った。と言うのは、17年の6月だったかに亡くなったと聞いた有名な大富豪で武器商人だった人物がアドナン・カショーギ氏(Adnan Khashoggi)だったからだ。このカショーギ氏はその最盛期にはヨーロッパ中の保養地を豪華な自家用ジェット機で飛び回って優雅に暮らしていると報じられていた。

ところが、矢張り今回大きな話題になっているジャマル・カショーギ氏はアドナン・カショーギ氏の甥御さんだったと報じられている。そのような華麗なる一族の方が、反政府的な記事を書くジャーナリストだったというのはやや意外だった。私が恐ろしいと言うのは、そういう記事の事ではなく、イスラム教なのかイスラム教国のサウジアラビアという国そのものの方針なのかは知らないが、反政府的な人物を如何に治外法権があるとはいえ、自国の総領事館内で殺害してしまうような事を敢えてする点である。

私が僅かに大学時代に勉強した宗教学では世界三大宗教であるイスラム教とは、そのような恐ろしい事を敢えてさせるような教義ではなかったという微かな記憶しかない。だが、近年においては現実にISのような集団が現れて乱暴狼藉のやりたい放題であったと報じられていた。私には「イスラム」と名乗っているあの集団が、果たして「イスラム教」という宗教を代表しているのかという疑問を抱かざるを得なかった。

そして、ここ新宿区の実態を見れば、誰が名付けたか知らないが新大久保駅のすぐ前に「イスラム横町」が出現し、ハラルフードを商うイスラム教が運営する店が陳腐な言い方で恐縮だが、それこそ雨後の竹の子のように増えてきたし、あのサウジアラビアの長くて白い衣装を身にまとった者まで闊歩しているのだ。未だ現実にイスラム教徒による刑事的犯罪こそ発生していないが、正直に言って薄気味悪い事は確かだ。

政府はそんな一市民の恐れを知らないのだろうが、労働力としての移民の増加であるかとか滞在期間の延長を言い出している。私には彼らが現状を知らないのか、あるいは人手不足解消策の前には何事が起きても関知しないとでも言うのかと、不安感を覚えさせられている。

中国へのODAを終了:
これが40年も続けられ、漸くこの度の総理の中国訪問で「終わりにする」と李克強首相と合意する事になったと報じられている。以前に聞かされた話で、北京(だったと思うが)の空港は我が国のODAによって建設されたが、空港の何処に行ってもそういう表示はないのだそうだ。如何にも「大国」中国ならばやりそうな事だと思って聞いた。そのODAの恩恵を受けていた国がGDPでは我が国を追い越して世界第2の経済大国になってしまったのだ。

その成り上がった経済大国且つ軍事大国をトランプ大統領は徹底的に叩く決意を示され、既にマスコミ的に言えば関税賦課の応酬による「貿易戦争」という事態に突入していた。先日聞く機会があった産経新聞前副社長の斉藤勉氏はその講演で「アメリカは中国が駄目になるまで叩く方針である」とまで言われていた。そのような「叩くべし」、「潰すべし」という存在になり果せた中国に、我が国は40年にもわたってODAを続けていたのでは、トランプ様もさぞかしお怒りかなどと考えてしまう。安倍総理に李克強氏は感謝の意を表明するのだろうか。そこが疑問だ。

台湾の列車の脱線事故:

本日辺りから報じられるようになった事は「あの脱線は運転士が安全装置を切っていた事」が原因であったようだという点である。何処のテレビ局だったかは失念したが、事故の一報では「車両は日本製で名古屋の日本車輌製造が納入したもの」と嬉しそうに報じた。彼らはかかる自虐的な報道の仕方が好みらしいのだ。私に言わせて貰えば、「何も真っ先に如何にも日本製の車両が原因であったかの如き事を言う必要があるのか」なのである。

彼らがこんな事を言うはずもないが「当該車両は日本製だが、恐らく運転士が何らかの誤った運転をしてこの大事故を引き起こしたものと推察している」と言って見ろという気がした。近頃の我が国の一部の製造業では「製品の物性値を改竄する」などという論外な不正を犯すところが増えたのは極めて遺憾だが、いきなり日本製の車両までを疑うかのような自虐的な報道の姿勢にはウンザリである。