新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカの会社での仕事の進め方

2018-10-06 14:02:22 | コラム
矢張り文化比較論になる:

証拠(evidence)を残すこと:

1972年に最初に転進したM社では、日本の総支配人(general manager)に十分に留意せよとして申し渡されたことが「日々の行動については細大漏らさずGM宛の報告書(業務日誌とでも言おうか、reportである)を英文で提出し、本部から来る手紙(当時はPCも何もない時代でタイプライターで打った手紙が意思疎通の手段だった)は必ずファイルしておくこと」だった。強調された点が「証拠即ちevidenceを残すこと」だった。

すると、ある時に突然本部の副社長から私のある動きが「越権行為であり、彼にはかかる権限を認めていない」と強烈なお叱りが来たのだった。私には全く思い当たることがなく、その件についてはGMに報告書を提出してあった。GMからは副社長宛に越権行為はなかったと言わば抗議の手紙も送られた。しかし、要するに典型的とも言える水掛け論となって、副社長と何本かの手紙の交換が続いたが、決着しなかった。私は元起こしとなった本部からの手紙は勿論ファイルしてあった。

そこに海外部門担当の副社長も兼務されていたオウナーの日本出張の機会が来たので、本部の副社長を伴って東京に来られた。そして、オウナーのご臨席の上で本部対東京の対決となってしまった。GMと私は仕事の手順には何らの瑕疵がないので強気で会談に臨めた。本部の副社長はかなり強硬な態度で越権を糾弾した。だが、そこに私のGM宛のこの件での報告書と本部からの手紙が入ったファイルを提示したところ、一目見たオウナーが「本部の副社長の負け」を宣告されて一件落着となった。

私はここで40数年前の手柄話をしようとしているのではない。アメリカの会社ではと言うかアメリカ人の思考体系では「口先だけや記憶力からの発言には全く効果がないことであり、通用しないという証拠主義しかないのだ」という点だ。換言すれば、上記のGMの指示のように「何事にもよらず、証拠となる報告書を残し、本部からの指示等の書面は必ずファイルしておくこと」が重要なのだということで、レポートを残す手間を厭わないことが肝腎なのである。

私はこのように証拠を残すことが如何に重要かを肝に銘じる結果となったのである。即ち、仕事の手順としては「どれほど忙しくても当日に経験したことを必ずレポートとして書き残すだけではなく、本部でその件に関係するだろう人たち全てにコピーを送る(Ccを入れる)必要があるのだ」となるのだ。この点はW社に移っても励行し、最大1日に15通のファクシミリ(FAX)を送ったことすらあった。要するに「言った言わない」というか「報告したかしないか」の議論にならないように「証拠」を残すことが必須であるのだ。

この辺りには我が国の会社での仕事の進め方とは基本的に異なると思う「証拠を残すこと」が重大であるのがアメリカ式で、私は文化の違いだと思っている。

記憶力から発言するな:
実は、私は抜群の記憶力(photographic memoryなど言うようだが)を誇っていたので、在職中には余程のことがない限り電話帳など作ったこともなく、番号は一度見れば覚えてしまう自信があったが、それは一種の特技だったかも知れない。それ故に、仕事上でも上司に口頭で報告する際などには、全て記憶から引き出して語っていた。だが、日本の会社時代には問題となったことはなかったが、「記憶から」は「証拠主義」のアメリカのビジネスマンたちには先ず受けなかった。

特にW社での直属の上司には何度か「何故ファイルホールダーをブリーフケースに入れて持ち歩かないのか」と詰問されたものだった。即ち、「記憶力には自信あり」は通用しなかったのである。一度は彼に「せめて白紙でも良いから紙を綴じ込んだファイルホールダーを開いて語ってくれ。私は何の証拠能力もない記憶力からの報告は信用したくないのだ」と言われたことすらあった。だが、「それがどうした」と思っていたので何ら従おうとはしなかった。

その直後に本社に出張の機会がやって来た。すると、私が使う臨時のオフィスのデスクの上には私のイニシャル入りの大きなW社のカラーである緑色のブリーフケースがドンと置かれていて、上司からは「もう待ったなしだ。これからはこの高級なブリーフケースに君が関連する全てのファイルホールダーを入れて持ち歩け。君がこれまでに提出してきたレポートだけでもこのケースが一杯になるはずだ」と宣告されてしまった。「記憶力からの報告と発言」は完全に否定されたのだった。

話は少し本筋から逸れるが、アメリカの会社での仕事進め方ではCcが送られてきた者が「読んでいなかった」とか「知らなかった」という言い訳は一切認められないのだ。必ず読んでおいて何時でもその件で討論が出来る態勢になければならないのだそうである。と言うことは、副社長兼事業部長ともなると1日に読み且つ内容を把握しておかねばならないレポートがコピーを含めて無数に入ってくるのだ。中には直ちに反応して返信するか指示をせねばならない案件もあるから大変なのだ。

彼(または彼女)の年俸が際だって高いのも、単にそれだけではなく広大な範囲の責任を負っているからだと思えば納得できるだろうと思う。だからこそ、私の生涯最高の上司だった副社長は朝は7時には出勤し、夜はアメリか時間の8時でも9時でも電話をしてきていたし、土日でも出勤していた。だからこそ「彼奴は好きで偉くなったのだし、部内で最高の年俸なのだから良く働くのは当然」と言って誰も同情していなかった。ここまでも「文化の違い」の範疇に入れて良いと思っている。