新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

カタカナ語化された野球用語の考察

2018-08-20 08:01:05 | コラム
単語を記憶させる英語教育の負の成果か:

私は20数年以前から「カタカナで表す野球用語は、おかしなカタカナ語の宝庫である」と皮肉を言ってきた。野球用語は戦時中には敵性語として英語のカタカナ表記が禁じられていたが、今やほとんどの用語は英語とほとんど何ら関係がないカタカナ語になってしまっている。このようなカタカナ語化を成し遂げた先人のご苦労には寧ろ敬意を表したいくらいだ。

ところで、同じアメリカが起源である(アメリカン)フットボールなどは我が国では未だに「アメフト」か「アメフット」などという奇妙な略語で呼ばれているマイナー・スポーツの域を脱していないのは残念だが、不思議なことに競技の用語はカタカナ語化されずに元のままでカタカナ表記されているのだ。それだから普及しないって言うのか?

ではあっても揚げ足を取れば、少しは誤りもあって(ラグビーにも通じるかも知れないのだが)「インターセプト」と言っているのは動詞形だから、正しく「インターセプション」と名詞形にすべきだし、「インターファアー」も同様に正しくは「インターフェアレンス」とすべきだった。

そこで、野球のカタカナ語である。このところの猛暑に悩む夏場では、気が向けば甲子園の野球中継も見ている。そこで、アナウンサーも解説者も挙って使いまくる好ましいとは思えないカタカナ語の野球用語も聞いている次第だ。そこで、この際、丁度1年前に採り上げて批判した妙にカタカナ語化された野球用語をもう一度採り上げてみようと思い立ったのだ。重ねてお断りして置きたいことは、アメリカで聞いた用語とカタカナ語にはほとんど共通点がないという事実だ。

特に頻繁に聞こえてくるのが「ストレート」である。これは、その昔は「直球」乃至は「速球」と呼ばれていた真っ直ぐな投球のことだ。これを曲げて「ストレート」と解説中に言い始めたのは間違っていたらご免なさいで、中畑清だと思い込んでいる。

この語源は恐らく“straight”という単語が「直線の、直進する、曲がっていない」を意味するので、英単語の知識が豊富なことを見せたくて使い始めたと善意で解釈することにした。アメリカでの野球用語は“fast ball”だが、ストレート・ボールという表現は聞いたことはない。因みに、何事も大雑把なアメリカでは変化球全て“breaking ball”で括ってしまう。これは心臓系の病を全て“heart attack”と総称するのにも似ている。「心筋梗塞」には“myocardial infarction”という難しい名称があり、救急隊では“AMI”の略語がある。

次に気になるのが、何も甲子園野球だけに限ったことではないが、「インコース」だの「アウトコース」だのと言うのは、如何に英単語の意味を正しく理解していないかを思いっきり表している。学校教育における英語の教え方が如何に駄目かと言うことを悲しいほど表していると思う。

何処がおかしいかを理論的に言えば、“in”とは前置詞で「~の中に」と位置を示す単語である。打者に近い内側に寄った球筋を示すためには全く不適当な単語である。英語にはこれと似た表現を聞くことはないが、“high on inside”のような言い方を聞くことがある。これで「内角高め」を表現しているのだが、アメリカの野球中継ではこういう細かいことを言っていないと思うのだが。

「コース」も不思議である。これは名詞で「ある方向への進行または推移」か「方向または進路」とジーニアス英和には出ている。これと「イン」または「アウト」と組み合わせた知恵は素晴らしいが、英語をどう教え且つ学べばこういう発想になるかと思う時、理解に苦しむカタカナ語化なのだ。おかしいとも思わずに使っているアナウンサーたちは大学までで如何なる英語を教えられてきたのだろうか。それともNPBか高野連に「こういう言葉を使え」とでも要求されているのだろうか。または「野球用語ハンドブック」みたいなものが制作されていて「これに準拠せよ」とでも指示されているのだろうか。

以上の他にカタカナ語は多々あるが、敬遠の四球(intentional walk)、牽制球(pick-off throw (attempt)、サヨナラホームラン(walk-off home run)、前進守備(draw-in infield)、バックホーム(throw to the plate)等をこのように和訳した知恵は皮肉でも何でもなく、先人は偉いと思うのだ。

造語の中でも特に感心ている造語が「ネクストバッターズ・サークル」で、アメリカでは聞いたことがない。しかも、カタカナ語化される時にほぼ100%省略される「所有格のs」まで「バッターズ」のように付けてある点が凄いと思う。アメリカではこういう表現がなく、精々 Ichiro is on the deck. とするような言い方を聞いた記憶がある程度だ。

畏メル友・O氏は
<ええーつ、という感じがします。逆に言えば、「上手く訳したものだ」という気持ちにもなりますね。>
との感想を寄せられた。私も同感である。兎に角、唸らせられるほど上手い意訳というか、おかしなカタカナ語化だろう。

上記以外では「エンタイトルド・ツーベース」というのが凄いと思う。これの元の英語は“ground rule double”だから、これを先ず日本の感覚で"entitled two base (hit)"という英語にして、カタカナ語の「エンタイトルド・ツーベース(略してエンツー)」にしたと解釈している。何度か述べてきたが、私は"entitle"等という堅苦しい単語を使って話した記憶がないほど所謂「難しい単語」をこのように使った英語力に正直なところ感心している。

これは決して皮肉っているのではなく、それだけ「単語の知識」のみを与える英語教育の成果がこういう珍妙な形で表れたのだと思っている。後難を恐れずに言えば、文部科学省は長い間こういう形でしか結果が現れないような英語教育をしてきたのだと考えている。

余談の部類だが、私の大好きなカタカナ語の悪影響を示す挿話にこういうのがある。それは試合を決めるホームランを打った元MLBのアフリカ系の選手がヒーロー・インタビュー(これも純粋なカタカナ語であり、このまま hero interview などと英語にしても意味を為さない)で「ホームランを打った球は何でした」と訊かれた。球団の通訳は躊躇うことなく“What kind of ball did you hit homerun?” と訳したのだった。

そこで彼は皮肉な微笑を浮かべて「あれは確か野球のボールでフットボールではなかった」と答えたのだった。この話はロバート・ホワイティングという人がその著書に載せたので私は当時書いていたコラムではそのことを断って書くしかなかったのが残念だった。

投球は今では一般的に「球」と言われているが、英語では"pitch"か"delivery"なのだ。私はこれを最初は「投球」と訳し、後に「球」(タマ)に短縮したのだと思っている。だから、通訳さんは “ball” と訳したのだろう。

野球用語は言い出せば切りがないほど全部が巧みに意訳された英語擬きか、カタカナ語と言えるだろうと思う。しかし、「ストライク」と「ボール」は意訳しようがなかったようで、戦時中は「よし」と「駄目」(または悪球)だったかと記憶している。