新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

マイクロプラスティックス問題

2018-08-27 15:14:20 | コラム
マイクロプラスティックは公害なのか:

近頃この件が方々で採り上げられて問題とされているので、どのような物質を称しているのかをWikipediaに訊いてみた。簡単に纏めてみるとこのようなことになるようだ。

>引用開始
環境中に存在する微小なプラスチック粒子であり、特に海洋環境において極めて大きな問題になっている。一部の海洋研究者は1mmよりも小さい顕微鏡サイズのすべてのプラスチック粒子と定義しているが、現場での採取に一般に使用されるニューストンネットのメッシュサイズが333μm (0.333 mm) であることを認識していながら、5 mmよりも小さい粒子と定義している研究者もいる。
・海洋生物がマイクロプラスチック自体と、それに付着した有害物質(PCBやDDTなど)を摂取し、生物濃縮によって海鳥や人間の健康にも影響することが懸念されている[5]。科学的な検証・検討は途上であるが、発生を減らす取り組みが始まっている。
・特に海洋ゴミなどの大きなプラスチック材料が壊れて段々と細かい断片になる結果、環境中に形成されたマイクロプラスチック(いわゆる"二次マイクロプラスチック")。この崩壊をもたらす原因は、波などの機械的な力と太陽光、特に紫外線 (UVB) が引き起こす光化学的プロセスである。
・家庭での衣類の洗濯による布からの合成繊維の脱落。下水道に流れ込む洗濯排水中のマイクロプラスチック粒子と環境中のマイクロプラスチックの組成との比較により、1 mm未満の粒径のマイクロプラスチック汚染の大半が脱落した合成繊維から構成される可能性があることが示唆されている。

<引用終わる

そういうことかと納得もするが、我々人類がすることか、してしまったことの結果が、かかる事態を引き起こしていることを見れば、果たして我々の知恵と学問と研究と技術の進歩と発達が創造した物が、賢明な発明であったのか愚かな所業であったのかが、俄に判断できないという気さえもしてきた。

戦後数年を経て塩化ビニルなる石油化学の産物がこの世に現れた時には、我々はその素晴らしさを賛美したものだった。私の記憶では塩化ビニル製のベルトを貰ってその美しさに見とれていた。誇らしい思いで学校にして行ったものだった。それ以降塩化ビニル製品が街に増えるようになって行き、何時の間にか全ての石油化学が産み出す合成樹脂製品を「ビニール」と一括りに呼ぶようになってしまった。言わば、私が忌み嫌うカタカナ語の走りだったのだ。

今や、家中の何処を見回してもプラスティック製品ばかりである。いや、どれが合成樹脂製品でどれが木製で、どれが金属製品かの見分けが難しくなってしまったとすら言えるかも知れない。また、街に出てみれば、何処に行ってもPETボトルが遍く普及しており、嫌でも目に入ってくる。それどころか、そこいら中にPETボトルの空き瓶が捨てられていると言ってもそれほど誤りでは無いかも知れない。

我が国ではゴミの分別回収がキチンとおこなれているので、PETボトルはリサイクルに回されていると報道されていたが、近年では回収されてもリサイクルの能力が追い付かないほど空き瓶の回収が増えてしまって、中国等に輸出して切り抜けているとも言われるまでの事態になっていたそうだ。ところが、その中国もアメリカからの故紙の輸入を「選別が杜撰であり受け入れがたい」と拒否するようになったほどで、PETの受け入れも拒むようになったとも聞いた気がする。

合成樹脂製品は確かに再生原料として使えるのだが、現在の我が国のように内需の不振が続けば再生品ではなくとも(如何なる製品でもと言えるかも知れないが)需要が伸びない時代になってしまった。それに、経験上も言えるのだが、明らかに合成樹脂製品で再生されたと思える品物は劣化が早いし壊れやすい欠陥があると思う。それに、我が国にも公徳心に乏しい者がいるようで、勝手に道端でも河でも海にでもPETボトル等のプラスティック製品を捨ててしまうようなのだ。

それだけが原因ではあるまいが、海にマイクロプラスティックが著しく増えてしまい、ある研究者が特に我が国を取りまく海ではマイクロプラスティック濃度が他国よりも高いという調査の結果が出ていると語っていた。大きな問題であるとの指摘だった。結局は自分で掘った落とし穴に落ちたのと同様の事態を招いていると聞こえた。言うなれば、自縄自縛のようだとも聞こえた。

私が今後の大きな課題だと思うことは、我が国だけではないことで、今更合成樹脂製品を使わないで過ごせるかという点である。そういう分野には大手の化学品メーカーが全世界的に数多く進出しているし、恐らく多くは装置産業で「そうですか、マイクロプラスティック問題があるのですか」と言って、安易に機械を止める訳には行かないと思って見ている。また、如何に廃品回収の機構を整備して回収しても、リサイクルの能力が追い付かないのであれば、これも大きな障害となる。

それに中部大学の武田邦彦教授のように「古紙のリサイクルでさえ、それに消費するエネルギー等々を考える時に経済的な意義があるのか(誤ったカタカナ語で言えば「メリットがあるのか」となる)と言われている。嘗てW社の我が事業部では州知事の依頼で州内で使用済みの牛乳パックと紙コップを可能な限り回収して再生パルプにする試験的なプロジェクトを手がけたことがあった。

その結果は無残なもので、使用済みの牛乳パックと紙コップを再生してパルプにする設備を常にフル回転させて採算が取れるようにする為には、遙か南のカリフォルニア州と東というか内陸になるアイダホ州の先までトラックを走らせないと原料が間に合わないと判明したのだった。指揮を執った副社長兼事業部長が州知事にに提出した報告書には「結局、我々はトラックの輸送費を再生する事態に陥った」と記載されていた。州知事がこの事業を諦めたのは言うまでもないこと。

やや話が脱線したかも知れないが、再生可能なと言うか最終製品を原料に戻せるという「リサイクル」が可能だということは必ずしも事業としての経済性というか効率を伴っていないということ。だからと言って、公徳心を忘れて無闇にその辺に捨ててしまえば現在問題となりつつあるマイクロプラスティックの害を招いてしまうという教訓にもなっているのだ。私にはここから先に如何なる手段を採るべきかなどは解らないが、重大な問題であるのは間違いないことだと思う。

終わりにカタカナ語排斥論者として一言述べておけば「マイクロプラスティック」の英語表記は microplastics であり、本来は「マイクロプラスティックス」であるべきだった。と言うことは「プラステイック」も正しくは「プラスティックス」だったのだ。

参考資料: Wikipedia