新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月10日 その2 「苛め」と「ハラスメント」を混同していないか

2018-08-10 14:32:20 | コラム
気軽に英語の単語をカタカナ語にして使うな:

「戯れに英単語を使うな」でも良かったと思う。マスコミが言う日大のチアリーデイング部の監督の「パワハラ」なるものの詳細を聞いていると「これはもしかすると単なる『苛め』ではないか」と思わせられた。要するに「苛め」と「ハラスメント」を混同していないかということだ。マスコミは何かというと「ハラスメント」という言葉を使いたがるようだが、原形の動詞であるharass の意味はジーニアス英和には「人を厄介なこと・心配なことで(絶えず)困らせる、(繰り返し)悩ます」となっている。その名詞形でharassmentとなった場合の用例がsexualかracialが頭に付くことは先ほど指摘した。

因みに、毎度お馴染みのOxfordにはharassは [often passive] to annoy ~ by putting pressure on them or saying or doing unpleasant things to them とある。ジーニアス英和かこれの何れを採ってみても、今回のチアリーディング部の監督が行ったこととは「ハラスメント」とは一寸違うような気がしてならない。私は解任されたという監督がやったことは「苛め」とする方が適切ではないかと思うのだ。我が親愛なるマスコミが何でもかんでも「ハラスメント」にしてしまうのはおかしいと断じたい。

それでは「苛め」を英語では何と表現するかだが、私には在職中に飛行機の中で見たと記憶する警察学校の映画(原題はPolice Academyだったか)の中で教官が「彼奴にいじめられたのか」と尋ねる場面があった。ご存じの方は多いと思うが、アメリカ映画では字幕の方が先に出てきて音声は後追いの形になるのが普通だ。その時に聞こえた台詞は Did he give you a hard time? だった。字幕の訳が上手いなと感心したものだった。

尤も、英語には「苛め」に当たる単語もある。それは bully であり、Oxfordには a person who uses their strength or power to frighten or hart weaker people とある。ジーニアス英和の訳は「弱い者苛めをする人、いじめっ子、人をいじめる、おどす」とある。私にはこの言葉の方が、今回の監督が行ったことは「ハラスメント」よりも「バリー」か「バリーイング 」の方が当て嵌まると思うのだ。

私が強調して言いたいことは「セクシュアル・ハラスメント」という歴とした英語があるからと言って、何でもかんでも、そこから借りた「ハラスメント」にして使うのは奇妙なことだという点である。私には何でもカタカナ語にして日本語本来の使い方を放棄するのは、とても感心できないし看過する訳にはいかないのだ。毎回同じことを指摘するのだが、カタカナ語の創作を担当する連中にはoxfordを使えとまでは求めないが、せめて英和辞典くらい引いたらどうなのかと言いたいのである。


「パワハラ」をおかしいと思わない感覚を疑う

2018-08-10 07:48:25 | コラム
カタカナ語排斥論者に言わせれば:

先ず言っておくが「パワハラ」か「パワー・ハラスメントは英語としては意味を為していないのである。私はこのカタカナ語をおかしいと思わないマスコミの神経を疑っているのだ。

昨日から日大のチヤリーデイング部で女性の監督が部員を「パワハラ」したと各テレビ局が「また、日本大学が」と騒ぎ立てている。そのこともさることながら、カタカナ語排斥論者の私としては、この奇妙な英語の単語を並べただけで恐らく外国人には意味不明だろう言葉をここまで堂々と使うマスコミの無神経さと英語に関する無知振りに呆れる他ないのだ。ここにあらためて言う必要もないと思うが、カタカナ語をどう使おうと勝手だが、このようにほとんどが言葉の誤用であり英語としてはまるで意味を為さないと承知して置いて欲しいのだ。

またうるさい事を言っていると思われても結構だから、ここにあらためて「パワー・ハラスメント」の何処かおかしいのか、何故英語として意味を為さないのかを、後学の為に解説しておこう。そもそもこのharassmentという言葉がアメリカで現れた時には、その前に形容詞のsexualが付いていた。他にも使われた例はあったが、その時にも「ハラスメント」の前に racialという形容詞が付いて「人種的に悩ますこと」という意味だった。即ち、「悩ますこと」という単語の前に来るのは形容詞だという理屈である。

そこで「パワー・ハラスメント」(power harassment?)の「パワー」はどう考えても形容詞ではない。その意味はジーニアス英和にも名詞で「権力、勢力、(法的)権限、実行力、能力等々」の意味は載っているが、形容詞として使われている例は出ていない。即ち、理屈を言えば「これは無理筋な言葉の使い方である」となる。私には「パワハラ」には「権力の濫用」という意味もあると思うが、それを英語にしてみれば power abuse という一寸難しい言い方があると思う。

何れにせよ「パワー・ハラスメント」のなどという好い加減な言葉を並べて、それが「相手を悩ます」とか「権力の濫用」というような意味に解釈してしまう我が国の学校教育で英語を学んだ方々の融通無碍に英語擬きを解釈してしまう英語力には恐れ入るしかない。いや、後難を恐れずに言えば「かかる言葉を創り出してしまうカタカナ語製造担当者?の創造力と英語の理解力不足には、最早笑うしかない」とすら考えている。学校で英語を教えておられる教師の方々はこういう事態をどう考えておられるのだろうか。