新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月17日 その2 英語が話せます

2018-07-17 14:20:24 | コラム
ENGLISH SPOKEN:

掲題は何のことかと思われる方もあるだろう。先ほど英語の件を採り上げたのでもう一席と企画した次第。これはアメリカでは余程運が良くない限り、まともに英語が出来るタクシーの運転手に出会えないい、妙な車が来ると言いたくて採り上げたのだ。

在職中の事だったが、シアトルのフォアシーズンズ・ホテル(非常に良いホテルだったが、2007年に行ったら「フェアモント・ホテル」になってしまっていた)で客待ちしていたタクシーのフロントガラス(正しくは windshield)の内側に“ENGLISH SPOKEN”と書いた紙が貼ってあった。思わず笑ってしまったが、事ほど左様にアメリカのタクシーには英語をろくに話せない外国人が多いのだ。

しかも、英語が出来ない割りには所謂雲助が多く、こちらが外国人だと見るや知らん顔で遠回りして法外な運賃を取ろうと企むのだ。その危険を避ける為は乗ったら直ちに流暢でなくても何でも良いから「俺は英語が解るし、道も知っているぞ」ということを言って聞かせる必要があると思っている。それだけではなく、外国人(私の経験ではアフリカ系が多かった)の運転手には、本当に道を知らないポッと出が多いので要注意である。英語で道案内をするのは流石に一寸しんどい。

92年に2度目にNYに入った時にJFKから乗ったタクシーはエチオピア人で、十分に経験を積んだとかで道を知ってはいたが、何故母国を捨ててアメリカに来てタクシーの運転手にならねばならなかったと言えばと、母国の非民主的な差別の政治の批判を延々と聞かせられた。これは、当方が乗った途端に「英語が出来るぞ」と示威行為をしてしまった結果だった。迂闊に英語を話すとこういう目にも遭うこともある。

一度、W社の本社から誰もシアトル市内まで送ってくれる人がいなかったので、タクシーを使って戻ったことがあった。この時は白人と言うか普通のアメリカ人の運転手だったの運が良かったと思った。だが、こやつは話が通じるとばかりに良く喋っていた。そして話に夢中になって市内でフリーウェイの出口を通り越して「おいおい、出口を通り過ぎたぞ」と言った時は既に遅く、遙か北の方向のワシントン大学の方まで行ってしまった。この時はこの運転手は割りに素直な奴で、余計に走った分の料金は運転手が自己負担することで決着した。

また、荒廃した感が濃厚だったデトロイトで乗ったタクシーは雲着くような大男のアフリカ系の運転手だったが、何とメーターが壊れていて目にも止まらぬスピードで料金が上がっていくのだった。「おいおい、大丈夫か」と尋ねると「目的地までの料金は勘で分かるから心配するな」と言って請求された。訪問した先で確認したとこと妥当だと聞かされて一安心だった。ところが、帰りに呼んで貰ったタクシーも同じ車で同じ運転手だったのには驚いた。メーターは壊れたままだったが、料金は往路と同じだった。

アメリカでタクシーを利用する時にはここまでの例が示すように要注意であるという事を申し上げたかった次第。

英語なら解るのに

2018-07-17 11:10:39 | コラム
何故俺を素通りするのだろう:

私はこれまでに何度か「ウエアーハウザーをリタイヤーした後の20数年間に、有り余る英語力を抱えながら、東京都内でも何処でも外国人に(英語で)道を尋ねられたことは3回しかなかった」と嘆いてきたものだった。自分でも不思議なほど外国人たちは折角そばにいる私を通り越して別な人に尋ねて、見ていて気の毒になるほど概ねきりきり舞いさせてしまうのだ。「俺は余程英語が解らないような顔付きか、さもなくば妙な服装をしているのか」と何時も嘆いてるのだ。

去る14日にもJR山手線恵比寿の駅の外で迎えの車を待っていると、私の隣に英語を母国語していない外国人の男女が2組、熱心にスマートフォンを見ながら一所懸命にどの方向に進むべきかを検討していた。すると、間もなく小柄な女性が近付いて何やら相談していたので道案内役がいたのかと思った。ところが、その女性が案内した方向は不正解だったようで元の場所に戻ってきた。そして、次には中年の白いワイシャツ姿の男性にスマホを見せて助言を求めていた。

その男性は困ったような表情で懸命に手を振り首を動かして、ある方向を示しただけで英語らしき言葉は一言も話さなかった。それでも、どうやら男性がその指し示した方向が正しかったようで、ご一行様は無事に駅前から離れて行かれた。何れにせよ、4人の外国人は私には一顧だにしなかったのだ。何という屈辱だろう。

その私の当日の出で立ちはPOLOのキャップをかぶり、Brooks Brothersのシャツを着て、POLOのチノパンをはき、NIKEの靴を履いていたし、ショルダーバッグはアメリカの格式高いブランドのhartmannなのであり、何処から見てもアメリカ風に徹していたのだ。彼らにはこの服装でも英語が解らないと見られたのかと慨嘆すると、愚息のが言うには「外国人は一般論として老人は英語が解らないと思うようだ」とのことだった。

彼らは外国人は哀れにも我が世代がTOEICの如き愚かな制度に毒されていないとは知らないらしい。何時かは目に物見せてやれる機会が来るとは思っているがね。