何故俺を素通りするのだろう:
私はこれまでに何度か「ウエアーハウザーをリタイヤーした後の20数年間に、有り余る英語力を抱えながら、東京都内でも何処でも外国人に(英語で)道を尋ねられたことは3回しかなかった」と嘆いてきたものだった。自分でも不思議なほど外国人たちは折角そばにいる私を通り越して別な人に尋ねて、見ていて気の毒になるほど概ねきりきり舞いさせてしまうのだ。「俺は余程英語が解らないような顔付きか、さもなくば妙な服装をしているのか」と何時も嘆いてるのだ。
去る14日にもJR山手線恵比寿の駅の外で迎えの車を待っていると、私の隣に英語を母国語していない外国人の男女が2組、熱心にスマートフォンを見ながら一所懸命にどの方向に進むべきかを検討していた。すると、間もなく小柄な女性が近付いて何やら相談していたので道案内役がいたのかと思った。ところが、その女性が案内した方向は不正解だったようで元の場所に戻ってきた。そして、次には中年の白いワイシャツ姿の男性にスマホを見せて助言を求めていた。
その男性は困ったような表情で懸命に手を振り首を動かして、ある方向を示しただけで英語らしき言葉は一言も話さなかった。それでも、どうやら男性がその指し示した方向が正しかったようで、ご一行様は無事に駅前から離れて行かれた。何れにせよ、4人の外国人は私には一顧だにしなかったのだ。何という屈辱だろう。
その私の当日の出で立ちはPOLOのキャップをかぶり、Brooks Brothersのシャツを着て、POLOのチノパンをはき、NIKEの靴を履いていたし、ショルダーバッグはアメリカの格式高いブランドのhartmannなのであり、何処から見てもアメリカ風に徹していたのだ。彼らにはこの服装でも英語が解らないと見られたのかと慨嘆すると、愚息のが言うには「外国人は一般論として老人は英語が解らないと思うようだ」とのことだった。
彼らは外国人は哀れにも我が世代がTOEICの如き愚かな制度に毒されていないとは知らないらしい。何時かは目に物見せてやれる機会が来るとは思っているがね。
私はこれまでに何度か「ウエアーハウザーをリタイヤーした後の20数年間に、有り余る英語力を抱えながら、東京都内でも何処でも外国人に(英語で)道を尋ねられたことは3回しかなかった」と嘆いてきたものだった。自分でも不思議なほど外国人たちは折角そばにいる私を通り越して別な人に尋ねて、見ていて気の毒になるほど概ねきりきり舞いさせてしまうのだ。「俺は余程英語が解らないような顔付きか、さもなくば妙な服装をしているのか」と何時も嘆いてるのだ。
去る14日にもJR山手線恵比寿の駅の外で迎えの車を待っていると、私の隣に英語を母国語していない外国人の男女が2組、熱心にスマートフォンを見ながら一所懸命にどの方向に進むべきかを検討していた。すると、間もなく小柄な女性が近付いて何やら相談していたので道案内役がいたのかと思った。ところが、その女性が案内した方向は不正解だったようで元の場所に戻ってきた。そして、次には中年の白いワイシャツ姿の男性にスマホを見せて助言を求めていた。
その男性は困ったような表情で懸命に手を振り首を動かして、ある方向を示しただけで英語らしき言葉は一言も話さなかった。それでも、どうやら男性がその指し示した方向が正しかったようで、ご一行様は無事に駅前から離れて行かれた。何れにせよ、4人の外国人は私には一顧だにしなかったのだ。何という屈辱だろう。
その私の当日の出で立ちはPOLOのキャップをかぶり、Brooks Brothersのシャツを着て、POLOのチノパンをはき、NIKEの靴を履いていたし、ショルダーバッグはアメリカの格式高いブランドのhartmannなのであり、何処から見てもアメリカ風に徹していたのだ。彼らにはこの服装でも英語が解らないと見られたのかと慨嘆すると、愚息のが言うには「外国人は一般論として老人は英語が解らないと思うようだ」とのことだった。
彼らは外国人は哀れにも我が世代がTOEICの如き愚かな制度に毒されていないとは知らないらしい。何時かは目に物見せてやれる機会が来るとは思っているがね。
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