新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月25日 その2 世界最大の輸出国・中国の考察

2016-08-25 20:07:47 | コラム
これは昨年の8月25日に掲載したものです。1年を経た今でも大筋で通用するかと思い、敢えて再録します。なお、多少「テニオハ」は修正してあります。

習近平さん、過剰生産設備にどう対応するのですか:

中国が抱え込んだ全面的な製造能力過剰が世界に与える脅威を考えてみることにする。

昨日から中国の人民元切り下げと株式市場の混乱が世界の株式相場や為替に与えつつある大いなる影響が大きく報じられている。私は経済の評論家ではないし、況んや中国の事情通でも何でもない。だが、「やはりこういうことになったか」と「秘かに危惧していた来たるべきものの芽が漸く出してしまったか」と「中国が内蔵してきた過剰生産設備の恐ろしさ」をあらためて痛感している。

しかし、ここに2010年元日に加州でアメリカを中心にファンドを成功裏に運営しているLM氏が語ったその年の経済予測「アメリカ経済は中国が世界の各国、就中アメリカに順調に輸出を続けていられるうちは安泰だ。その反対で中国経済はアメリカがその製品を受け入れている限り安全だ。更にこの二国間関係が安定している限り日本には安んじて投資できる」を当て嵌めると、事態は容易ならざるところに差し掛かってきたのではないかと思わざるを得ない。

私はアメリカ、イヤ世界最大級の紙パルプ・林産物メーカーに1972年から22年以上も勤務した経験を通じて「紙パルプ産業人としての目から見た中国の製紙産業が持つ『世界最大の紙生産と輸出国』としての能力に潜む危険性」を何度も採り上げてきた。また、アメリカやEUでは既に反ダンピングと相殺関税(AD&CV)で中国やインドネシアや韓国からの印刷紙の輸入を締め出してきたとも指摘してきた。

さらに、ヤンワリとではあるがこの明らかな過剰設備を抱えながら国内需要の伸び未だしの世界第2の経済大国では他の産業界も同様な問題を抱えているはずだとも述べて、不安材料の存在を暗示してきた。同時に、私はこれくらいのことは経済の専門家たちは言うに及ばず、諸官庁の高官や国会議員の諸先生や、マスコミの担当記者は知って知らん顔されて「迂闊に触れる訳にはいかない」と沈黙されだけとお察し申し上げてきた。

しかし、今や事態がNYと東証で株価急落し、為替が一時¥116にまで至れば中国経済が全世界に及ぼす影響は予想通りとなって来たのではないか。私は今更騒ぎだてする報道の姿勢を非難したい。今朝の産経では田村秀男が「中国の鉄鋼の余剰生産能力が日本の年産規模の1億1千万トンの4倍はあり、自動車の年産能力は4千万台を超え今年の販売予想の2倍はある」と紙パ以外の実例を示して私の援護して下さった。

中国で上海や北京を歩いた経験をお持ちの方はお解りだろうが、市内を走っているタクシーの90%以上はVWの”Santana”で、聞けばノックダウン車とのこと。国産車もあるとは聞くが、紙パの生産能力を論じて何度も述べたことだが、中国等の新興勢力が導入した生産設備のバッグには超大型で飛距離が出る最新鋭のドライバーしか入っておらず、きめ細かいショット放つためのクラブなど一本も入っていないものだ。

良く考えなくとも営業一筋だった私にも解る理屈で、21世紀にあって新規の設備投資用の生産設備製造を請け負う大企業が今更工夫を凝らし「パター」だの小回りがきく「ピッチング」等のウエッジのような機器を多品種少量生産しようと心掛ける訳がないではないか。製造業界にしてみれば「超高能率」、「大規模」、「大生産量」のマシンが最高の品質の製品を最小限の労働力で生産したいと狙って当然ではないか。それが皆中国に集中してしまったと考えれば解りやすくないか。

そこで、念のために世界最大の製紙国となった中国の「製造能力対実需」を中国当局の公式発表を元にしてざっと計算して見れば「1億トン対9千万トン」となる。「何だ、僅か10%の超過ではないか」などと言うなかれ。1千万トンは世界第3位の我が国の年産量の38%に迫る大きな量なのである。これでは輸出に対しては国内で免税を認め奨励金を出す輸出振興策を採るのは当然ではないか。我が国だって昭和30年代には・・・等とはこれ以上触れないで置くが。

私はここまでに雑ぱくに触れたように中国には市場経済(とその原理)は理解するもしないも、国内経済の停滞と過剰設備を抱えていれば、現実には既に自国の都合だけで世界の輸出市場に突入し方々で衝突を起こしていると言ってきた。彼らにとっては"orderly marketing"等という高尚な理念は存在せず、自分たちの好き勝手な政策で原理原則を忘れて先進国市場に参入している。製紙を例に採れば、我が国でも背に腹は替えられずにそのやり方を利用したユーザーもあれば、果敢に拒否された国内の需要家がおられるのは事実だ。

1997年に、私はインドネシアのジャカルタの近郊に華僑系大財閥が経営する超近代的な製紙工場を見学する機会を得た。そこでは通常許可しない三菱重工製の新マシンの写真を撮らせてくれた。自信の表れであると些か毒気を抜かれた。これを我が国最大手のメーカーの研究所の所長だった著名な技術者(当時70歳台)にお目にかけたところ、何とも言えない悲しそうな表情をされて「私にはもうこういう最新鋭の機械を論じるだけの経験も知識も無い。時代は変わってしまった」と言われた。余談だが、私はフィンランド人の工場長には何者かとの経歴を明かして撮影の許可を取っている。

私自身この工場には20年以上慣れ親しんできたアメリカの大手メーカーの工場や、世界最高と私が確信する我が国の工場の技術は別にして、その超近代性と合理性と生産能力と優れた品質と、工場内の品質検査室等、全てのシステムが整っていることに例えようもない衝撃を受けた。陳腐な表現をお許し願えば腰が抜けそうだった。過剰な表現を使えば「アメリカの製紙産業などは最早博物館にでも置いておくしかない代物と化していた」とすら感じたほどの素晴らしだった。

その根拠か理由を敢えて述べておけば、アメリカ式資本主義では所期の利益が挙がってこない限り、新規の設備投資は言うに及ばず、近代化等の小規模な手直しの投資すら避けて、場合にもよるがその場その場で小口の応急の改善措置を講じて、言わば年代物のマシンを騙し騙し使っているような経営をせざるを得なかったほど製紙産業とは利益が挙がらない業種になっていたのだった。勿論、その陰には印刷媒体の低迷があったのは疑いようもない事実だが。

ご参考までにアメリカの製紙産業界の経営の哲学の一端を述べておけば、新規に導入した設備には通常15%の”RONA”(=”Return on net asset”→総投下資本利益率)が求められる。これはかなり厳しい課題だ。そして仮に「猶予期間が5年」と設定されたとしよう。5年が経過して14.9%だったならば「予め決めたことが達成できなかったのだから」と経営陣はあっさりと撤退・売却・廃棄の何れかを選択するだけだ。これを「アメリカの経営は厳しい」と誤解するのが我が国の評論家たちだと言いたい。決めたこと通りにするのが厳しいのか?自分たちが甘いだけではないのか。

そのような考え方である所に、先進工業国である以上ICTに大波が急激に急速に襲ってきて、先ず紙の新聞が10年間で60%の需要が消滅し、印刷用紙等が早足で後を追っていったのだから一溜まりもなかったのだ。自動車産業がどのように衰退したかなどは今更ここで云々するまでもあるまい。私独特の偏見と言われるのを覚悟で自説を披瀝すれば「この時期にあの大統領を選択したアメリカ国民のオウンゴールである」なのだ。

余談ではあるが、私が1997年に見学した工場はその後経営問題もあって主力の生産設備を中国で拡張し、大規模工場を数多く建設し、マシンもより高能力で大規模な新製品を数多く導入しだ。更に、成長が期待できるブラジル進出は言うに及ばず北米の経営不振の工場まで買収し、世界的な大メーカーに成長した。新工場で作られた高品質の紙には旧態依然たる設備のアメリカやEUのメーカーは太刀打ち不可能で、AD&CV等の関税で対抗する以外なかったようだというのが、現実に起きている事態なのだ。

我が国の紙需要も一時は新興勢力からの輸入紙に席巻されかかけたが、現在は円安傾向もあって国内メーカーに需要が戻ってきているようだ。だが、そこに円高が再来すればまた先行き不透明になる危険性も秘めている。既に指摘したことだが、これから先は何も紙パ産業界に限ったことではなく、中国対欧米各国の国内のメーカーとの対立が長期化し深刻化すると私は予測する。

そこに為替の変動が加わるのだからこれから先の展開などは軽々に予測できないが、中国が如何に対処していくかが大きな鍵の1本や2本を握っていると見ている。換言すればアメリカやEUが紙パのように中国製品の締め出しを継続するのか、あるいは何らかの厳しい双務契約的な条件でもつけて市場を少しずつでも再解放する気があるのかというようなことではないのか。

私如きにはどのように展開するかにこれ以上のことを解らないが、私が最も怖れるのは中国が経済的な立ち直りに努めるだろうとは予測できるが、その前に南沙諸島の例であからさまに見せたような南進を強引にアメリカとの対立を怖れずに継続し、優れた経済国である台湾どころか尖閣の更に北方にある第2の経済大国を標的にしてくるのではないかという根拠がないようでありそうな不安があるのだ。笑う勿れ、安保法制案は何のためにあるのかな。

私が中国について怖れることの一つに若手の経営者や大学生がアメリカのIvy Leagueのビジネススクールで何を学んであったか、これから学ぶ気かが大きな要素になるという点がある。この辺りの話は我が友YM氏に訊くしかないが、少なくとも彼はビジネススクールで最優秀の成績でMBAを取得していくのは圧倒的に英語力にも優れた中国人だと言っている。即ち、彼等は我が国の学識経験者よりもアメリカで最新の経営爆を学んでいると見えるのだ。

「それがどうした」という反論もあるだろう。だが、変化は早く激しくなってきたこの時代に、世界に影響を与える大きな変化の波の源は概ねアメリカにある。その波は何れ我が国を襲ってくる。私は英語力がどうのという前に、為政者は揚げ足取りの弁論大会を避けて広く世界の変化を自分の目で見て回って欲しいと願っている。マスコミも知っているのか知らないのか知らないが、リベラルに偏向を避けて忠実に世界の急激な変化の実態を視聴者と読者に正確且つ適時に知らせるべきだと要求しておきたい。




英会話の勉強法

2016-08-25 08:10:23 | コラム
易しい言葉だけで会話は可能:

昨24日は気温はそれほど高くはなかったが、台風の悪影響だったのが湿度が高く苦しめられた。その状況の中で専門商社の方と易しい言葉(口語か慣用句を指すことが多だろう)で出来る英会話の文例をメールで語り合っていた。思うに、このような文例を習得するのは容易ではなく、外国人と話し合っている時にその手の耳慣れない表現に出会って「今何と言われましたか」と尋ねては不躾だろうと思ったのが悩みだったと彼は回顧された。

その点では私はアメリカ人の中にあっては”gaijin”だったので、寧ろ気楽に「What do you mean by saying “I will take a rain check?”」のように尋ねることが出来た。いきなり余談かも知れないが、我が国では普通に「もう一度言って下さい」を”I beg your pardon.”と教えているようだが、私は寡聞にして彼らがこういう表現を使ったのを聞いた記憶がない。なお、”take a rain check”は「今回はご招待を辞退して次回は」と言いたい時に使える。”rain check”は「雨天順延の試合に再入場できる半券」のこと。

多くの場合は仲間内では”What’s that?”と簡単に言うか、”Excuse me.”を語尾を上げて言うか、”What did you say now?”か、”I'm sorry.”の”sorry”にアクセントを置いて語尾を上げるか、”Please say that again?”とズバリと来る場合もあるが、ここでは前に”Could you”と付ければ丁寧になる。一寸ひねった言い方では”Would you please rephrase rain check for me?のように解説を求める言い方をしてくることもある。

私の経験の例を挙げれば、1970年代前半にあるカナダ人の青年をどうしても捕まえてフランス語と英語の日本語への通訳を依頼せねばならないことがあった。そして知り合いのカナダ大使館の商務官に依頼の電話をした。その時に電話の向こうで聞こえたのが誰かに向かって”Do you know his whereabouts?”だった。「彼の所在を知っているか?」をこう言うのかと知った。更に”Can you get hold of him?”が聞こえた。「彼に連絡がつくかい」と言えば良いのかと知った。私は”Can you reach him?”は承知していたので、表現集が増えた次第。

これらの表現は言わば口語体での会話にはごく普通に出てくるのだが、私の現場での経験では我が国の学校教育ではここまでの表現に踏み込んで教えられていないようだと思った次第だ。実は、この種類の表現を覚えていても、現実にはなかなか使える機会は訪れないだろうと思っている。だから敢えて教えないのかとも考えた。だが、現実の会話ではこのような表現の洪水である事多い。

それも、「何時始まって何処で切れるのかサッパリ解らない早さで話されるので、”rain check”のような言葉が出てきたところで集中力が切れてしまうようだ。対策はどうすれば良いのかと尋ねられれば、結局は「習うよりは馴れろ」となるのだが、「今何と仰いましたか?私には聞き取れませんでした。もう一度言って下さい」と言う「訊くは一時の恥」の勇気も必要だろう。”What did you say now? I could not hear you. So, would you be kind enough to say that again (rephrase) for me?”辺りかな。