難しい顔をして折手本に漢詩を肉筆で書き入れる我が書道の先生「石塚鳴峰」
金子鷗亭の門下である先生に書のい・ろ・はを習い始めて40年も経過してしまいました。
最近は90歳の高齢になって体の不調を理由に休み勝ちとなっていました。ご自分自身はまだ生徒の前に立ちたいお気持ちはあるようですが、足元もおぼつか無いほどで、お稽古の時に先生宅まで送迎をしてはいるものの、公民館の教室まで歩くのも容易ではなくなって来ていました。
私達も歳が進むに連れて、あっちが痛い、こっちが痛い、調子が悪いなどと言う事が多くなってきているので、お互いに大事にならないうちに、我等が属する“書道研究会”はこの辺で解散しようと言う声が大きくなったので、言いにくい事なのですが、先生にはその旨をお伝えして希望を述べて見ました。
とうとう猫の首に鈴を付けに行ったのでした。
土曜日のお稽古日に先生をお迎えに行った私がその役を勝手に引き受けてしまったのでした。
その日は体調がやはり悪いと言う事で自習となり、自習をそっちのけで
とうとう鈴をつけた事を話をして今後の事を皆で話し合いました。
その夜先生の方からの連絡で、もはやこれまで・・・皆さんに迷惑を掛けるので
解散を呑む。という結果となりました。
思い返せば息子が3歳の時、人前で筆でもって自分の名前が書けたらいいな~と言う思いで先生にめぐり合いました。“子供がちょろちょろすると気が散って書けない!”と叱られながら教室のある公民館へ通うようになりました。
その息子も一児の親となっています。思えばあっという間のようですが、くじけず良く頑張ったと思いました。
先生のお陰様で、昇段試験を受け、「師範」にもなれ、号を先生の名前(鳴峰)の一字を戴いて(鳴秀)の号をいただけました。感謝で一杯です。
なんだか一末の淋しさを感じています。
何とか人前で恥ずかしくなく、自分の名前は書けるようになりましたが・・・今ではコンピューターが発達して、フォントを変えれば、楷書・行書と書いて印刷してしまうので、一寸がっかりです。肉筆はその者の性格を現す文字となるので、コンピューターの文字とは違った味のあるものに書けるものだと思っています。
先生これからは、ご静養され、のんびりとお元気でお過ごしになられる事を切にお願いしたいと思いました。
先生長い間、有難うございました。
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