どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

打ったボレーは必ず自分に返ってくる

2009-12-18 06:57:57 | シュワッチ

昨日はテニスの納会。

『打ったボレーは必ず自分めがけて返ってくる』。どうしてか分からないが、テニスでコーチが口をすっぱくして言う言葉。打った瞬間返ってくることを前提にして、準備をしておかなくてはならない。準備とは、自分のベースの位置に戻り、きちんとステップを踏んでラケットを構える。打ったまま自分のボールの方向を眺めていたりすると、返ってきたボールには反応できない。

昨日は練習の後、遅くに帰宅した息子が、すき焼きの材料を買いに行こうという。金曜の放課後から合宿があって、その夕飯のメニューをすき焼きにしたという。遅い時間だったので、朝行くことにしてもらった。今朝は朝5時から二人で買出しに出かけた。

息子の担任の先生のご指導の下、クラスの全員が学校で学習合宿をする。それも3日間(金曜日の放課後から日曜日まで)。学校に泊り込んで、全員が学習する。授業ではない。それぞれが自分の勉強をする。が、先生が頼んでくださって、ボランティアで何人かの先生が、教科別に指導に入り、質問に答えたりしてくださるらしい。

こんな素敵なチャンスを子供たちのために用意してくださる先生は、何かを言いたいとき、その前に必ず褒めることから入る。高校生、反抗期?の息子が、素直に話を聞く。私は、先生の話を伺いながら、居心地のよさをいつも感じる。気持ちが温かくなる。息子の学業の成績を責める気持ちもなく(もともと、彼の人生なので責める気持ちはないが・・・・)がんばれそうだね、とやさしい気持ちになる。

褒める効能は計り知れないのだと思う。実は私もいつも自分の中で課していることがある。『あなたは、ひとりひとりの生徒のいいところを10個、即座に言える?』。

テニスのコーチの言葉は非常に興味深く私の中に残る。自分が放ったベクトル、自分が打ったボレーは必ず自分に返ってくる。自分が人を見つめる目で、その同じ尺度で今度は相手が自分を見つめ返してくるということだ。だから、基本姿勢でステップを踏み、リセットして、自分で自分をもう一度見つめるという準備をしておかなければならない。

素敵な出会いに感謝する一年だった。私と出会ってくださったすべての人に感謝したい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日は期末試験

2009-12-17 15:27:04 | シュワッチ

やっとできあがった、試験問題。

ここにくるまで、ほぼ二週間は頭の中から離れなかった。皆に点数を取らせてあげたいとは思うものの、努力した人の努力がまずは報われる試験にするというのが、私の考え方だ。また、授業で、きちんと話を聞いていなければできない問題も必ず入れる。

昨日は、休みが多くてテストを受けてない生徒を救済すべく学校に行っていた。でも、その生徒にテストを受けさせることはできなかった。

ふとスタッフルームで、進路指導の先生と話している、生徒が目に付いた。悩んでいる様子は、わかっていた。色々な事情があるのだろう。日本にいる外国人留学生は、様々なバッククラウンドを持っている。ひとりひとりに心を配りたいが、担任をはずれると、現在の担任の先生に気を遣って・・・と、いうこともでてきて、なかなか気軽に声をかけることができなくなってしまう。

歩く方向が一緒になった。声をかける。お茶にでも誘おうかな・・・・。名前を呼ぶと、元気のない顔で、それでも微笑んでくれる。ふと、抱きしめてあげたいと思う。往来でだきしめて・・・一年前の私なら、それも簡単にできたのだが・・なんたってバリバリのヤンキーだったから。今は大分日本に適応してきた。ハグすることにも、ためらいを感じてしまう。

USにいるとき、どれほど友達に先生にハグしてもらいながら、慰められたかわからない。喜びに、悲しみに、落ち込んでもハグだった。大きなアメリカ人にハグされると自分がすっぽり甘えられるような心地よさがあった。

国境を越えて日本に来ている外国人に、クラスの壁はないよなあ・・・ごめんね。だめな先生だね。

明日の試験勉強したのかな? 一年前、目が私を受け入れていなかった彼女。今は、すんなりと気負いのない目を私に向けてくれる。でも、その一年で彼女の状態の何かが変わったのだろう。個人的ナ状況に入り込んではならない。それをしてしまうと、どこまでもキリがない。それよりも、しっかりと日本語を教えるプロとして、かかわってほしいというのが、私の敬愛する上司のスタンスだ。

期末試験を作りながら、1年を振り返っていた。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テニスの忘年会

2009-12-16 07:28:22 | 舞いあがる

10月に 『もう決めるの?』と、決めた忘年会。もう、その日がやってきた。

総勢10名の女性たちが集まった。日頃テニスの格好でしか会わない10人。やはり、皆いつもとどこかが違う。一番違っていたのがコーチ。シルクハットのような帽子をかぶっていて、半そで。宝塚の男装の麗人のようだった。身長が153cmと小柄なので、どこかかわいさが残って、そこがまた素敵。

女性10人が集まると、たいていは話はひとつにまとまることはなく、少なくて2グループ、ひどいと5グループ位に別れて、ついさっきあった出来事から話が始まる。コーチが大好きな私は、どうしてもコーチを中心に全体をまとめたかった。そこで、頼まれもしないしきり役、司会を買って出る。飲み放題だったので、会計だけは他の人に頼んだ。お金を預かる自信はなかったから・・・・。

事前準備。今度の忘年会は、コーチが変わってからテニスがもっと面白くなった、そして全員が上達した ことに対して感謝の意を伝えるため 最初から最後まで『コーチをヨイショ』の会であることを、メールで周知徹底。加えて、クイズ。コーチを色で表すなら何色? 動物にたとえると何? 。誰にも何もいわず、私にメールで返事をと依頼。一人を除いて全員から答えが返ってきていた。。

さて、その答えをどういう風に使うがそれが問題だった。全体の中で、主役はあくまでもコーチ。そして、参加者全員が自分をアピールし楽しめること。つまり出番を作ること。コーチにはその場で、自分を色にすると何色? と 動物にたとえるなら何?について、答えてもらう。その答えを、事前のみんなの答えにどう絡めるか、アレンジするか・・・問題はそこだ。まあ、考えても仕方がないとも思ったが、考えないでもいられなかった。

結果は、お蔭様で・・・手前味噌ではあるが・・・クイズはとても盛り上がった。全体がひとつになって、全員でおなかを抱えて笑った。コーチは赤 攻撃的だから とか 金色の後光 とか、まあ皆言いたいことを言っている。小柄なコーチを動物なら 熊 と答えた人もあり、なんで? どうして?で、また話が盛り上がった。

クイズは答えを当ててもらうのではなく、その答えをした人は誰でしょう?と、人を当ててもらった。これが、結果よかったかな。コーチは全員の顔を何度も見渡していた。あー面白かった。

会も終盤に近づく頃にはきちんと、これからの予定を確認。同じメンバーで(もちろん新しい会員もOK)3月には、打ち上げ、夏にはビアガーデン、そして来年の忘年会もやることになった。担当幹事も、司会者の独断で指名させてもらった。

コーチに別のレッスンをお願いする算段もつけた。私たちのテニスクラブは3のグループに分かれていて、コーチも3人がローテーションで回っている。来年4月にはコーチは必然的に変わることになっている。そこで、今のコーチとレッスンを続けるには、他のレッスンをアレンジして作らなくてはならない。みんなのやりたいという意思はすでに確認してある。が、人気のコーチのスケジュールは空きがない。

『私たちにはコーチが必要です。上手な人たちより、もっと必要です』 コーチ曰く そうねえ。やった!!優先権を保障してもらった。競合相手を一歩リードしたと確信。

最後に、皆から 誰よりも今のコーチになって、あなた(つまり私)が、一番上手になったよ、と言われる。そうでしょう? はい 私もそう思います。^^だって、コーチがめちゃくちゃ好きだから、きっと私が一番素直なのよ^^

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Well Come Kuriko

2009-12-15 12:31:17 | シュワッチ

お知らせがあります。

Miss Kurikoが 年末に仙台に遊びに来てくれます。27日28日の予定です。

どうして我が家? かというと、実は私とKuriko は とても仲良しなのです。

どうして仲良しになったかというと、一緒に歌を歌っていたからです。彼女と一緒に歌を歌っているときは、とても楽しかった。そういえば、.O先生も加わってくださっていました。毎週月曜の夜に歌っていました。

私が一番気に入っていたのは、やはりアメージンググレイスですね。基本的に私は、リードしかできなくて、Kuriちゃんがいつも素敵にハモリを入れてくれていました。

私の友達でも Kuriちゃんに会いたい人がいることでしょう。よかったら、仙台にいらっしゃいませんか?教え子のみなさんも、よかったらどうぞ。

Kuriちゃんは、同じ女性として、いつも応援したくなる、エネルギッシュな人です。傷つき易くて、それでも自分から立ち上がっていける人です。オタガイニ素敵な女性として、意識し合えればいいなあと思っていました。もちろん、今もそうです。なので、私も素敵だと思われる女性でいなくては・・・と、思っています。

27日の夜は、Kuriちゃんを囲んで、そしてピアノを囲んで素敵な音楽が溢れると思います。よかったら、どうぞ我が家へいらしてください。

お知らせでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010年1月1日に会う

2009-12-14 03:52:11 | るんるん

『人生、生きた限りが一生』

ひとつ年上の同級生が大学時代に、熱く力説していた言葉。彼がまるで自分に言い聞かせるように私にも言い聞かせていた?ので、いつのまにか私の体の中に刻印されているようでさえある言葉だ。

恋愛関係にあった彼ではない。恋愛感情をもったこともない。しかし、あちらは、私がまるで彼に恋愛感情を持っていたかのように感じていて、何度否定しても受け入れてもらえない。全くたいした自信家だよなあと、思っている。繊細な自信家とでも言えるかな。

『生きた限りが一生』だと、思っている私は、平均寿命とかあまり考えない。ひとつの指標であるのかもしれないが、何歳くらいまでと考えるのには意味がないような・・・短い人生もあるのだし、長い人生もある。たまたま短いそれにあたってしまったらどうするんだ・・と、思う。長いと思っていて短いと人生設計は大きく違ってくる。スピード感が全く変わってくるはずだ。

逆はどうか?短いと思っていたら長かった。でも、どちらかというとこちらの方が、考えていて楽しい違いのような気はするが・・・・経済的には、実はこちらが、より困ったちゃんになるかもしれない。が、現実はどうだろう。

刻印されている言葉にしては、実は日頃このことを考えることは少ない。私自身その言葉を意識して生きているならば、もっとましに生きているような気はする。いつも反省とともに、この言葉を思い出す。

秋に、定禅寺通りのケヤキ並木が美しかったから・・・ふっと思い立って、恋愛感情をもったことがない彼に、仙台でデートをしようとメールをしてみた。『生きた限りが一生』を意識すると、行動がスムーズになる。返事はすぐに返ってきた。 帰ったら連絡する。

ところが、私の都合で秋は無しになり、それでは・・・と、新年に会う約束をした。銀行員の彼は忙しいらしく、2日には首都圏にリターンするとのこと。元旦にある息子のセコンドラグビー部の定期戦観戦後に会うことになるかな。

わくわくしている。あくまでも、ドキドキではない。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隣人と忘年会

2009-12-13 10:51:49 | おっとこどっこい

終の隣人をお招きして、忘年会。

やった!やっとできた。思い描いて何年だろう・・・。これからは年中行事として、毎年やりましょうね・・・と、ほとんど最初に約束する。

お料理は朝からマラソンの練習も休んで用意した。チキンときのこのシチュー トマトソース。クレソン、ルッコラ、みずな にんじん パセリ のサラダ ホタテソース。高野豆腐のひき肉詰め煮物。ごぼうのキッシュ そして、ホカッカチャを焼いた。

隣人はご夫妻とも秋田のご出身だそうで、はたはたの焼き物 をお土産に持ってきてくださった。郷土の話題、野球の話題、アイスダンスの話題。尽きない、尽きない。家族全員で楽しい宴となった。

ただ、今までは、私と隣人の ほとんど二人だけの付き合いだったが、家族にその輪が広がっていく心地よさがある。

引っ越さないでください 隣人は自分で選べません 

わかりました引っ越しません  

そこから始まった私たちの隣人関係。昨日は最近ピアノの音が聞こえませんよ と、やさしく練習不足を指摘される。

あちらは、実は顔にお怪我をされていて・・・その顛末をお聞きしたのだが、ちょっとお気の毒で・・・。言~えない。でも、隣にいて、毎日隣にいるのに、そんなお怪我をさえていたことも知らないなんて・・・。隣人ってそんなもんなものかな・・・・。

たぶんそんなもんだ。年中行事で、ああだった、こうだった、と、後日談で話すでいい。後日談だから、深刻な話も、大変な思いも、笑いのある思い出に変わっているだろう。そんな距離感が必要だと思う。そして、毎年、毎年の後日談の積み重ねが自然に、距離感もある信頼関係を作ってくれるだろうと思う。本当に大変な時には助け合いもできるはずだ。そんな肩の凝らない信頼関係がいい。

最高に幸せだったのは、隣人は選べないからよかったですね、隣人になれて・・と、あちらから言われたこと。私も終の隣人として認められていることが嬉しい。

オタガイニ・・・・が、確認できたときに、本当に充実したものを感じる。これって、そのほかのことでも然り。

12月12日 イッチニイッチニ 終の隣人忘年会 は 最初から語呂よく始まった。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木曜日に・・・

2009-12-11 05:27:11 | 徒然に

毎週といかないかもしれないが、木曜日にお茶のみをしたいと思っている。

実はすでに始めている。昨日で二回目だった。今は月に一回のペースになっている。

これは、私の新しい夢でもある。

我が家で、木曜日。将来的には、木曜日には仕事を入れない。ランチでもいい、ティータイムでもいい。木曜は朝からゆったりと、ケーキやパンを焼く。おしゃべり仲間が集まってくる。美味しいお茶と、食べ物があれば話もきっと弾むだろう。

何を思った? そうね。いろいろと考えた。色々とそのきっかけはある。

友達が入院した。彼女のストレスに気付いてあげられなかった。きっと彼女自身もそれに気付いてはいなかったのかもしれない、モンスターストレス。それにしても・・・・と、後悔が先にたつ。彼女の症状は決して、軽いものではなく、いまだに入院が続いている。何もしてあげられない。毎日のメールもすこし間を置くことにした。症状が改善しない状況で、どうですか? 元気になった?のメールは彼女の心の重荷にしかならないような気がするからだ。

私自身もストレスに気付かず、体調を崩していった時期がある。モンスターストレスは、静かに浸透し、本人が気付かない、そんなストレスだ。

もっとリラックスして、気持ちを開放する空間があってもいいのではないか。一人で悶々と考えるのではなく、健康情報を交換し、近況を話しあい、心から笑える空間はないだろうか・・・。

そうだ、作ればいいんだ。居心地がいい空間作りをしたい。

三人よってする噂話ではない。もっと、自分の人生を大切にしたいと思う気持で繋がりあえる、そんなお茶のみがしたい。人生を大切にしようと、照れもなく、まじめに話せる時間があったらいいと思う。そこに、友だちがいたらいいなあと思う。もっといえばそれが広がっていけばいいなあと思う。色々な出会いをしたい。

加えて、人生、いつの時期と区切った行き方ではなく、できることは今から始めていいのではないか。連続体で、自然体で、時間の経過を楽しもう。~になったら、~をしよう では、実は夢はどんどん遠くに離れていくのではないか。人生は一回きり。

木曜日に我が家にどうぞ。今は月に一回です。^^

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

色彩

2009-12-10 04:56:29 | 舞いあがる

私の色彩感覚はとにかく人に影響を受けてきた。

流行には逆の意味で敏感で、なるべく流行っているもの、皆が同調する傾向には向かわず、好きなものを選んで着ているという、自分の着るものに関する自己主張とは全く対照的だ。

高校まで私は自分で洋服を選んだことがなかった。すべて母がそろえてくれたものを着ていた。下着にいたっては、お恥ずかしい話だが兄が着ていたシャツでも違和感なく着ていた。夜勉強するときに愛用していたのが、父のらくだの股引シリーズ。あれはとてもあったかく肌にもやさしい素材だったような気がする。

母は子供は地味な色が似合う という信念に基づき?(そう思わせるくらい徹底していた)、私は白、紺 を基調とした、たまに茶色 の洋服しか持っていなかった。(ような気がする・・・・・)。グリーンのスカートはあったかな?

とにかく、赤、ピンク、黄色 の類の女の子がよく来ている色の洋服はなかった。

高校になったとき、好きな男の子から、もっと赤を着ろ と言われた。その命令口調に、にこにこと従った。それ以来、赤ばかりを着るようになる。

大学生になって、一緒に三年間同棲した親友は、油絵をよく描いていた。彼女は、紺、白、黒、グレーの洋服を着ていた。曰く、同じような色彩でそろえておくと、コーディネイトがし易いという。なるほどと感心した。彼女の場合、ティッシュペーパーもネピアのグレーとネイビーのものと一貫していたから、加えて感心したものだ。

その頃、自分で洋服を買うようになったこともあって、私のタンスの中は、色とりどりの洋服で占められていた。といっても、そなんに量があったとは思わないが、その時に素敵だと思ったものを買うので、色合いはバラバラ、色彩感覚はバラバラだった。

そんな、バラバラな感覚しか持ち合わせていない私が、一貫して持っていなかった色が、青色だった。水色も含めて、濃淡の青は一切持っていなかった。はっきり避けていた。なぜかな・・・きっと青が寒色だからかな。家庭科の時間に習った、暖色と寒色についての内容かな・・・暖色は暖かな感じがするが、寒色はどこか冷たい感じがしていた。

USにいるとき、カラーコーディネイターの資格をもっているらしいと噂があった知人から(定かではない)、青が似合うね といわれて、仰天したことがある。たまたま、すかっとした青に魅せられるように買った、一枚のトレナーを私が着ていたときのことだった。青を着たのをみたことがなかったけど、今までと違う顔の色をしているような感じがするくらい似合うと言われた。

あれから、何年もたって今、とにかく青に惹かれている。色彩の感覚ってどこか精神的ナものに作用されるのだろうか・・・。ここ最近買った洋服はすべて青、ペンも青。

今年の私の勝負カラーは黄色と決めていた。マラソンのレースは黄色を意識して着ていたし、新しいランニングシューズも黄色にこだわった。

火曜のテニスのレッスンで、コーチが目の覚めるような黄色のシャツで登場。中には青色のタートルネックのシャツを合わせていた。これがベストマッチ。とっても素敵だった。思わず、黄色と青色が合うのだとわかってウキウキとした。

黄色と青。まだまだ、未知の出会いがありそうだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

腰が・・・・いたい

2009-12-09 07:28:25 | おっとこどっこい

昨日は腰が痛くて・・半日起き上がれなかった。

冬になると、気持ちの中で、あれも、これもやっておかなきゃ・・と、思う。それらが全部腰に悪いとは思わないが、漬物をつけること これは絶対に腰に悪い。

一週間前に沢庵を漬けた。昨日は、青菜と白菜を漬けた。漬け込み作業の中で・・腰が痛いなあとは思っていたのだが・・重石を持ち上げたところで、はっきりこれはだめだ~と自覚した。

それ以後ちょっと動けない。仕方ないので午後の大半をゆっくりいすの上で過ごした。

子供のころ、近所には腰がまがって歩き辛そうにしている、おばあさんたちがたくさんいた。家事労働は確かに腰に負担がかかる。今、これだけ家事を負担してくれる電気機器がそろっていても、尚腰が痛いのだ。その昔、水を井戸から汲み上げていた頃などは、もっともっと腰に負担がかかったろうと思う。

今、私は意識して、伝統の食文化を食卓に取り入れている。誰もが、買ってきて食べた方が楽だと思ってしまったら、継承という大事な作業がすっぽりと抜け落ちてしまうではないか。私自身、もう少し母にきちんと聞いておくべきだったと後悔しているから。

ただ、幸いなことに、私は子供の頃から、家族の中での作業で、子供に割り当てられた手伝いもしたし、何度も味見もさせてもらったから、色々なことがある程度理解できる。

かんぴょうを干して作っていた祖母の手伝いで、かんぴょうを剥いたこともある。渋柿を吊るして作る、つるし柿(干し柿)も作る手伝いもした。味噌を作るところも見ていた。これらは家族それも、女性の年中行事だった。

祖母は柏の葉を取ってきて、柏餅も作ってくれた。柏の葉の香りがきちんと餅についている、祖母が作る以上に美味しい柏餅を私は知らない。祖母が亡くなってしまったときから、柏餅は私の好物ではなくなった。

季節の行事にあわせて、季節のものを作る。家族でそれを味わうことが、日本の文化、日本の食文化を継承することだと思っているから、息子にはせっせと母親の手料理を食べさせている。

節分に海苔巻きを食べることが伝統だっただろうか・・? 私のふるさと岡山ではそんな風習はなかった。それよりも、大豆を炒って、歳の数だけ食べることを教えられた。どうも、文化の継承が、マスメディアによって違うものに変えられていくような気がする。それも、作る文化ではなく、買う文化の方へ移行している。企業として、宣伝効果で売り上げを伸ばそうとするのは、成功例と言えるのだろうが、受けての側はもう少し考えがあってもいいのではないかと危惧するのは、私だけだろうか・・・。

ただ、保存食作りは確かに腰には悪い。あなたは、腰を痛めても、将来腰に重大なトラブルを抱えることになっても、食文化の継承にこだわりますか?

うーん。

つまり、こういうことで、食文化の継承がなくなっていくのかもしれない。

加えて椎間板ヘルニアを持病に持つ私には、さらに過酷な選択が迫られるのかもしれない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深夜に・・・

2009-12-08 05:03:29 | 徒然に

睡眠時間が極端に少なくなってきた。

よくないと知りつつ・・・美容にもよくないし・・・精神衛生上もきっとよくない。

日頃は12時前後に就寝し、4時にはおきている。それが、起床が3時になってきている。出来なかったことが翌朝に持ち越しになることが問題で・・・。

では、早朝に起きて何をしているか・・・思うように仕事がはかどることもあれば、そうでないこともある。しかし必ず、ラジオを聴いている。

NHK第一のラジオ深夜便は本当に聞き応えがある。今日の 五木寛之さんの『わが人生の歌語り 』は、氏が自らの生い立ちを、また戦争をはさんでの日本と大陸の世相を、流行の歌謡曲を軸に、語るるものだが、すさまじい体験であり、あまりに悲しい体験である。それが淡々と語られながら番組が進んでいく。私もシリーズを意識して聞いていたわけではないのだが、毎日深夜に起きてラジオをきいているので、自然に毎回欠かさずに聞いてきた。

氏の風貌からして、紳士的であり、知的であり・・その人が、戦後中学生で、一家を支えるという意識の下、ロシア兵の使い走りのようなことをしていたなんて・・・・今まで考えたこともなかった。

しかし、どこかでその人の生い立ちは、その人物を作るバックグラウンドであるから、人格形成に大きくかかわっているのだろう。

私は授業で作文を担当している。自分が作文を書いていた頃のことはどうだったのだろう・・・・と、思いながら・・。実は作文には、その生徒の生い立ちを垣間見ることができる。なんとなくであって、絶対のものではないが、その生徒がどんな風に育てられてきたのかイメージが伝わってくる。文章にはそんな力があるのか・・・。

結局、親にどういう風に育てられたのか、どういう環境で育ってきたかということは、自分では変えられない普遍的ナものになってしまうのか・・・。人格、みつごの魂とはこのことなのか・・。

私も自分で瞬間的に、自分が母親から言われたことを、そのまま息子たちに伝えていることに何度も気付く。これがつまり、結婚するときにはその母親をみて・・・ということに繋がるのかと、最近分かってきた。

どうしようもなく、自分の性格を変えたい と思ってみても、起源がこんなところにあるのでは、もう無理なのかもしれない。

それよりもっと大変なのは、息子たちの結婚相手はになるだろう人は、私をどういう目で見るの?

でも、そのセオリーでいくなら、私をみるということは、私の母をみるということになるから・・・なら大丈夫かもしれない・・。

そうそう、思い出した。なんでそんなに○○ちゃんが好きなの?と義母が義父に聞いたときの(それも、私の目の前で・・・。)義父の弁

いまは○○がいいとは思っていないけど・・いずれ○○の母親のようになると思うと、とってもいいと思うの だって。つまり、義父は私ではなく、私の母親が大好きなのだ。

褒めらている感じでもないが、けなされている感じでもないなあ。

そう、素直に認めてしまうところが、素直な私なのであって、それを変えたいと思う昨今の事情もある。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする