どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

2010年1月1日に会う

2009-12-14 03:52:11 | るんるん

『人生、生きた限りが一生』

ひとつ年上の同級生が大学時代に、熱く力説していた言葉。彼がまるで自分に言い聞かせるように私にも言い聞かせていた?ので、いつのまにか私の体の中に刻印されているようでさえある言葉だ。

恋愛関係にあった彼ではない。恋愛感情をもったこともない。しかし、あちらは、私がまるで彼に恋愛感情を持っていたかのように感じていて、何度否定しても受け入れてもらえない。全くたいした自信家だよなあと、思っている。繊細な自信家とでも言えるかな。

『生きた限りが一生』だと、思っている私は、平均寿命とかあまり考えない。ひとつの指標であるのかもしれないが、何歳くらいまでと考えるのには意味がないような・・・短い人生もあるのだし、長い人生もある。たまたま短いそれにあたってしまったらどうするんだ・・と、思う。長いと思っていて短いと人生設計は大きく違ってくる。スピード感が全く変わってくるはずだ。

逆はどうか?短いと思っていたら長かった。でも、どちらかというとこちらの方が、考えていて楽しい違いのような気はするが・・・・経済的には、実はこちらが、より困ったちゃんになるかもしれない。が、現実はどうだろう。

刻印されている言葉にしては、実は日頃このことを考えることは少ない。私自身その言葉を意識して生きているならば、もっとましに生きているような気はする。いつも反省とともに、この言葉を思い出す。

秋に、定禅寺通りのケヤキ並木が美しかったから・・・ふっと思い立って、恋愛感情をもったことがない彼に、仙台でデートをしようとメールをしてみた。『生きた限りが一生』を意識すると、行動がスムーズになる。返事はすぐに返ってきた。 帰ったら連絡する。

ところが、私の都合で秋は無しになり、それでは・・・と、新年に会う約束をした。銀行員の彼は忙しいらしく、2日には首都圏にリターンするとのこと。元旦にある息子のセコンドラグビー部の定期戦観戦後に会うことになるかな。

わくわくしている。あくまでも、ドキドキではない。

 

 

コメント
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