9月になった。年度の後半になった。
そこに飛び込んできたニュースは、若い友達の死去だった。 それも、一週間前に彼が主催してくれた飲み会があり、となりの席で肩を叩き合った。その友人が亡くなってしまった。
年齢は40歳 奥さんと子供さん 10歳と3歳 がある。
彼とは一年間の日本語教師養成講座で知り合った。7月入学の私はイレギュラー入学。彼とその他のメンバー30人くらいは4月からの入学だった。4月からの人たちの人間関係がまとまってきた、そんな時に私は入学した。
人見知りの私は出来上がっている人間関係の中に自分の居場所を見つけるのが大の苦手。 彼は大人の講座の中で、まるで自分からクラス委員を買って出たように、クラスをとりまとめようとしていた。
飲み会を企画し、試験を受ける仲間たちに、合格祈願の鉛筆を配った。日本語教師になるには、とにかくたくさんの教科を習得する必要がある。文化的背景から、歴史の問題、言語学から音声学。日本語文法も国文法ではなく、スタンダードに外国人も学べる「やさしい日本語」からアプローチできるようになっている。したがって、講義を受ける先生方も三人であれこれと掛け持ちをされていた。
その先生方のラスト講義には、彼が音頭をとり、お花を送り、全員で写真をとった。
訃報はあまりに突然で、どう考えていいのか・・・・。ただ、彼は無念だっただろうと思う。
日本語教師になって、奥さんや子供さんと海外に行こうと思っていたのかもしれない。とにかく、彼の夢は途中で打ち切りになってしまった。
母が亡くなった13年前、父は、「人は必ず死ぬ。順番さえ間違っていなければ、それは幸せなこと」と、泣きじゃくる私に言い聞かせた。
今は順番がむちゃくちゃになってはいないのか・・・。
家族葬という葬儀に集まれるクラスの仲間で出向いた。通夜のあと「、のこっって話をしていってください 供養ですから 」といわれる。
御親戚の方々とご一緒に席に着かせて頂いた。故人のお母様が、自ら名乗られ、私たちのもとに来てくださった。私たちは、彼がクラスでどれだけ活躍してくれたか、どんなに素敵な人だったかをたくさんお母様に伝えようとした。
息子の話を聞くお母様はとても嬉しそうにされていた。
喪主の奥さまは、ただ、あちこちと席の間を行き来し、色々な対応を一人でこなされていた。
こんなことがあるのだろうか・・・彼は天国へ行くのだろうか。気持ちが残って成仏できるだろうか。
現実を受け止めながらも、気持ちは沈んでしまう。