どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

明日を夢見る

2007-09-26 14:36:54 | 発っする(ハッスル)

明日を夢見て、深夜まで起きている。一時半になった。

実は、明日が、最初の絵本を使った、こどもたちへの読み聞かせとテーマに沿った討論。・・・・・という、課題に取り組む日。

ここまでくるのが大変だった。日本人に理解があるとか、優しいとか、の先入観を持たないために、正攻法で、校長先生にアポイントをとってという、手順を踏んだ。

電話をし、メールを書き、やっと会うことができ、二年生の先生を紹介してもらった。

英語に対するハンディを抱えているので、日本の紙芝居を使おうとする。が、これが結構大変な作業になってしまった。なんとも訳が難しい。面白い、とんちの利いた紙芝居もあるのだが、これをアメリカのユーモアに変えるのは本当に難しい。9月の敬老の日を紹介したくて、家族物の紙芝居を選んだが、なんせ文章が硬い。会話なのに、関係代名詞が出てきたりする。自分の英文法から何から、本当にまったくなってないことを、さらにされに思い知らされる。

次回は、英語の読み方を練習して、こちらの絵本にしようと思っている。

英訳は、最終的には、子供たちの意見も参考にさせてもらった。

それ以外にも、今はてんてこ舞い。サッカーの試合の差し入れを頼まれたのが昨夜遅くだった。早朝から、飲み物を買いに出かける。

エアロビクスのクラスでは、サーキットトレーニングをやらされた。

シカゴマラソンまで、二週間を切った。休みたくても、休むわけにはいかない。ここが、目標をもつことのすばらしさかもしれない。目標を具体化することの重要性を、実感する。

二年生のことを考えると、うれしくてしょうがない。どんな二年生が現れるのか・・。

準備不足は気になるが、にこにこと楽しんでこようと思う。ここまできたら、仕方ない。

 

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値段の落ち着きどころ

2007-09-23 19:13:11 | おろおろおろろ

G-RAYという、商品をTVショップで知った。

どうやら、アスリートたちの調子がよくなったり、そのほかの人でも、腰痛が緩和されたらいするらしい。早速ネットで調べてみる。

椎間板ヘルニアを持病に持つ私には非常に興味がある。最近は、なんで痛めたのか・・・歩き方が変わってしまうほど、痛い。でも、ランニングはやめていない。レースの前ということもあるが、じゃあ走らなかったからといって、この腰痛は治るわけではない。医者の言うとおりにしていたら、治る病気も治らない場合もある。もちろん逆もあるけどね・・・。

とりあえず、どうして・・・? アスリートにいいのか、腰痛が良くなるのかを知りたい。そこで、ネット検索をしてみる。最近よく、首や手首になにやらつけている人をよくみかける。同じなのかな?

どうも、磁気を利用して、血流の流れをよくするものらしい? 有名なプロ選手の推薦もあるようだ。

商品を探して見ると、日本のネットでも、USのネットでも簡単に出てくる。値段も様々有る。どうして、値段が様々にあるのだろう?効き方に違いがあるのだろうか?

安いものから、高いものまで、それぞれの端ををとると、10倍の開きがある。私にとって、安いがいいに違いない。安くて効き目が抜群!と、決まっていれば、必ず安いものを買う。しかし・・・・どうも・・・・安いと効き目が・・・・と、思ってしまう。

結局は安くはないが、高くもない、中庸の値段のものを購入した。レースを前にしている現在、わらでも、Qでもすがりたい心境であることに、間違いはない。

値段の落ち着きどころとは、なんとなくこんなもんだよなあと思う。もっとはっきりした、判断基準があればいいとつくづくと思う。

 

 

 

 

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選択

2007-09-22 03:58:38 | うるるん

人生は。選択の連続である。。。。過言ではないはず。

クッキーを食べるか、おにぎりを食べるか・・・これも、選択。

ピラテスは、ヨガに似ているが、ヨガではない。動きは非常にゆっくりで、呼吸法を重要視するところが気に入っている。

インストラクターは非常にまじめな女性で、私たちを4段階のレベルに分け、彼女の了承がないと、上のクラスには上がれない。最初は?と、思ったが、確かにやってみると、段階を踏んでいかないと、いきなり上のクラスは難しくてできない。

また、彼女は手とり足とりで、一人ひとりに注意する。名前も覚え、出席もチェックしている。褒めてもくれるし、直してもくれるから、一人ひとりが上達するのも早い。

そんな彼女には、着いていこうとする人と、離れていく人がいる。ちょと久しぶりに来ました・・・が、やりにくい分、離れていくほうも多い。しかし、ピラテス自体がブームだから、来る人もまた多い。

私は、まじめに取り組み、レベル2に上がり、益々の向上心に燃えていた。

ところが、彼女がインストラクターを辞めるという。理由は、経営者からのクレーム。レベルを四つに分けるのではなく、2つにしろということらしい。確かに、それぞれのクラスの生徒数を考えると、平均で4から5人。ビギナーはともかく、レベル4のクラスなんていったい何人の生徒がいるのだろう?

オーナーは、クラスが多ければ、その分、多くのお金をインストラクターに払うことになるのだろう。しかし、そのクラスの集客力を考えると。。。。、5人くらいでは、採算ラインに届かないのだろう。

彼女は、レベルを分けて指導するのが自分のやり方であるからと、やめることにしたらしい。え?????

来月からは、レベルを二つでやることを了承した、新しいインストラクターが来るらしい。

私たちはどうなるのだろう? 彼女は、場所を探して、新しいクラスを作りたいのだろう。でも、スポーツクラブは会員制だから、私たちは、会費を払って、そこのジムのクラスではなく、他に出向いていくのは、面倒だし、非常に割高になる。

こういう選択を迫られることは、誰しにもある。でも、全部を否定して、辞めてしまうことは、ちょっと短気過ぎないだろうか。少しは、妥協して、私たちのために残ってくれるという、選択肢はないのだろうか・・・・と、考える。

私も人に劣らず短気なので、彼女と同じような選択をするような気がする。正直、同じようなことがあった。じゃあ、なくていい。じゃあ、しなくていい。じゃあ、行かない。細かな妥協をしないで、全否定してしまう。

すこし、妥協して、続けながら、また、理解を得るという、方法はないだろうか。私は結構それで、要らぬ力をたくさん使ってきたような気がしているから・・・。

あたらしく始めるのは、大変だと心配する。

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驚いたのなんのって・・・・

2007-09-21 09:12:25 | かたまった

こんなに驚いたことはない。と、興奮している。

最近は、頭の中が一杯になっている、教育の授業のことばかりをブログに書いていた。心のなかが、素直に現れるのね。

ちょっとそれにかかわるのだが・・・・。他の授業をオブザーバーとして聴講し、レポートをテーマに基づいて作成するという宿題が、7回ある。現インストラクターは、その講義のインストラクターにアポイントをとる必要はない・・・と、説明した。

でも、私は、どうも、アポイントをとらないと行かれない。

二回めの聴講先を探していて、以前単位をとった、アメリカ史にしようと決める。図書館で予定をたて、その足で、アメリカ史の先生にお許しをもらおうと、彼女のオフィスに向かった。

アメリカ史を教えていた先生の、印象は、私のエッセイを褒めてくれたことと、ものすごく太っていることだった。日本の力士のように太っている。舞の海さんだと、彼女よりほっそりしている。そして、いかつく、大柄な女性というイメージだった。ただ、優しい人で、試験の時には、疲れたら食べてね・・と、たくさんのドーナツをテーブルに用意してくれた(試験の最中に食べてもよかった。でも、さすがに、食べながら試験を受ける人はあまり居なかった。食べていると集中力が散漫になるのに・・・・)

オフィスの場所を確認して、驚いた。今の教育学の先生の隣の部屋だった

ちょっと、脳裏に蘇ってきた光景がある。

絵本の読みきかせを英語でするのはちっと無理があるのでは・・・と日本の紙芝居をインストラクターに見てもらった。そのとき、彼は、とっても感動したようで、ちょっと友達を呼んでくると、隣の部屋から、女性を連れてきた。

彼女を見たとき、私は、アメリカ史を教えてくれたインストラクターに似ていると思った。でも、その女性は、ほっそりと背も低く、おしゃれにスカートをはいていた。私が知っていた、アメリカ史のインストラクターとは顔に面影があるくらいで、全くの別人だ。私は、ハイ!とだけ挨拶をしておいた。

え?・・・・・・私は、受付のカウンターの横に張ってある、インストラクターの顔写真を確認しに行った。ちょっと、うっそ・・・・。名前が・・・あれ・・・・。

彼女は、なんと紛れもなく、私のとっていたアメリカ史のインストラクターだった。体格、顔の面積は、半分になっていた。雰囲気も違うし、何もかもが別人だ。小柄になると、身長まで低く見える。

不在だった彼女を待つこと10分。あまりの驚きもあり、コーヒーを飲んできます。。。と受付の女性に断り、廊下に出た。

そこで、ばったり、私の探していた、アメリカ史のインストラクターに会う。

思わず出た言葉が・・・・・Are you ○○? あちらは私の名前も覚えていてくれた、そして、来週の聴講も快く了解してくれた。

そして、私の興奮はまだ冷めやらない。彼女があそこまで、やせたんだもの、三キロなんて、きっとやせられる。

しかし、女性というものは不思議なものだねえ。あまりの変貌振りに驚く。そして、それが私にはとってもうれしかった。なんだかやればできると励まされているようだった。

こんなに驚いたのは、本当に久しぶりだった。

余談だが、はっきりと確信したが、同じ身長だと、体重の重い人のほうが、身長が高く見える。だって、足の下に肉層が何センチもあるわけないから、目の錯覚だと思う。光の屈折か?不思議だが確信する。

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絵本の読み聞かせ

2007-09-19 13:28:42 | うるるん

 

頭の中は絵本の読みきかせ プログラムをどうするかで一杯の状態が続いている。今日はカレッジのインストラクターが推薦する本と、その作者がどういう意図でこの本を書いたのか、また、作者本人による朗読のDVDを、授業で見た。

作者自身が、この本について説明する部分の英語は聞いていてわかるのだが、いざ、本を読み始めると、会話の部分が早くてまるでちんぷんかんぷんだった。

ただ、聞き取れた部分は    WHITE ONLY と書かれた、水のみ場の表示を見て、主人公の女の子が、お母さんに、白い服を買って という。どうして?と、尋ねるおかあさん。水を飲みたいから・・・・と、答える娘。お母さんの目から、涙があふれたというところ。

(白人用 と書かれていることが、どういう意味なのかこの女の子は知らなかった。白い服を着ていれば、いいのだと思った。)

子供たちは、成長とともに、差別があることに気付いていく。

作者の女性は、本の説明の冒頭で、人の家を訪ねたなら、尋ねた先の玄関で、両手に軽くこぶしをつくり、胸の前であわせ、次にその手を、両サイドに斜めに下ろすように広げてみてと、言っていた。そうそう、その際に、てのひらを忘れないように開くこと。

これは、私は心を開きます という、サインなのだという。

彼女自身は、白人の一家庭の人たちと、親交を深めたという。その家族に差別の気持ちはなかったと彼女。そして、一人でも、相手の気持ちを変えることができるし、救うことも出来る。差別の問題は、ひとりひとりの心の問題であると締めくくった。

私のンストラクターも子供たちに、差別、違いに関する、絵本を読み、将来差別のない社会を作りたいと、そのプログラムの目的を書いている。

はてさて、私の読み聞かせはどうなるのだろうか。

やっと、ひとつの学校から、メールの返事が届いた。

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四苦八苦する。

2007-09-14 19:30:05 | 発っする(ハッスル)

実は教育学の授業に没頭していた。頭の中は、三回の小学校への30分授業のことで満タンだ。絵本を使い、社会に現存する、差別、違い、多様性に対して、子供たちへのメッセージを送り一緒に考える。この国には不可欠な内容だ。どうするのか・・

火曜に友人が設定してくれた、ミドルスクール(7年生 中一)での、授業見学、始めて、学校現場の生の授業を体験した。確かに、日本とは違う。システムの違いからくるものもある。先生は結構、細かな資料で、毎日の授業の到達点を決めているし、学校のランクを計る試験が10月にあるので、それに対して力も入るようだ。(個人の成績のアベレージが学校のランクになる。各学校の予算にも大きく影響する。高い数値を出す学校への援助金は多く、低いところへは少ない)

問題を発見。子供たちの早い英語。先生の子供たちに合わせた英語。半分くらいしか理解できない。これで、小学校に出向いて、果たして子供たちは私の英語を理解してくれるのだろうか?また、私は彼らの話を、きちんと理解できるのだろうか・・・。

いっぱいの頭を抱えて、足取りも重くランニングにでる。シカゴマラソンまで一ヶ月ない。コースの説明と参加証が届いた。距離は果てしもなく長い。シカゴを東西南北にあちこちと走るコースだ。しかし、面白いもので、ランニングは考え事にうってつけ。考え方はあくまで積極的になり、悲観していたものが、どんどん抜けていく感じがする。

ランニング中、突然、言語の問題があるなら、視覚に訴える、紙芝居はどうだろうと思いつく。ただ、差別を扱った題材はこちらの、日本人補習校にはない。どうしても、外国に暮らす子供のためだから、日本の歳時記を扱ったものや、日本の古典の話が多い。

とにかく、インストラクターに持っていき見てもらうことにした。結果は、大好評。多様性、文化の違いがあるということ焦点を絞ってはどうか・・・と。

よし、これで、いける。後は、紙芝居の内容を英訳する。具体的に行く小学校を決める。先生とコンタクトをとり、30分の時間の使い方を相談しなくてはいけない。第一回目期限は、104日。とにかく、行動を起こすことが大事だ。

レポートは導入の部分、動機から始まり、過程、結果、まで、物語のようにまとめる必要がある。今の気持ちをきちんと記録しておくことも大事だ。ここ、当分、12月まで、乗り切れるだけの、タフな精神力があるだろうか・・・。

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教育現場

2007-09-10 03:02:40 | うるるん

教育現場にはいろいろな立場の人たちがいる。私も、親として、現役で教育現場に携わっていることになる。

昨日のセミナーは大変興味深いものになった。つまり、一方で親としての興味があり、他方、カレッジで学び始めた教育学からの、実地学習をしているようでもあった。

アメリカには数学、英語を中心にすえた、Tracking 制度というものがある。出来る子、出来ない子を、コースで分けてしまう。どこの時点で始めるかには、州でも、学校でも差があるようだが、この地域では、はっきりとは、8th つまり中学二年生で分かれる。(水面下ではそれ以下でもあると聞く)

どういう基準で分けるのかを、昨日のセミナーでは質問してみた。セミナーに参加してくださった講師は、この地域の教育学区のカリキュラムの責任者なので、明確な答えが返ってきた。この制度は実にシビアーで、上のクラスから下のクラスへ落ちていくコースはあるが、下のクラスから上のクラスに上がるコースはほとんどない。全否定をしないのは、アメリカンドリームの可能性がどこかにあるような気がするからだが・・・文章上、システム上では、その道は探せない。

他方、カレッジでは、Tracking 問題をクラスで討議していたから、実に面白い経験をしたことになる。そして、私自身が、親としての立場と、学生としての立場だと、微妙に見方も、持つ意見を違うことにも気づかされる。

この国の人口の裾野は驚くほど広く、誰もが中流意識を持っているわけではない。それどころか、誰もが自分が社会的にはどのクラスなのかは、きちんと把握している。親の社会的クラスは、子供たちの、数学のクラスに反映されるといっても、それもまた、嘘ではない、現実だ。

現実に問題をたくさんかかえている、この国で、私もまた、教育現場に、親とは違う立場でかかわることになった。小学校へ三回、本を読み聞かせにいく。そして、そこで、子供たちに、本をテーマに討論をしてもらう。ただ、話し合うのではなく、こちら側は教育者としての意図をもっていく。時間は30分。自分で小学校を選び、先生にお願いに行く。その他、三回、小、中、高の授業を見学させてもらい、その授業に対する、レポートを課題に添って提出する。また、7回以上の授業参加をこれまた、自分で設定する。先生がしてくれるのは、小学校で読む本を提供すること。チェックをすること。

お先真っ暗だった、私に、米人の友人が、中学校の先生を紹介してくれるという。ほんとうに、感謝、感謝、感謝。

どんな子供たちと会えるのか・・・・。小学校へは、日本の折り紙で作った手裏剣を持って行こうと思う。

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黙して、語らず、唇には笑みを・・・理想です。

2007-09-09 09:33:47 | かたまった

子供に対する、親の思いがある。

実は、これもどんどんと変わってくる。子供たちは成長し、親は歳をとる。お互いの経験、主張が、人間関係としての親子関係にも影響する。

三人の息子の成長を見てきた。そして、三人がそれぞれの特徴をはっきりと見せ始めてきた。勉強が出来る子。人間関係を大切にする子。独自性のある子。明るい子。静かな子。様々に子供たちは特徴を持っている。親は、いろいろな面を見せる子供たちに、時に頼もしさを感じ、時に憤り、時にほろりとさせられる。

子供たちが小さいとき、学力の評価はとても気になった。正直、となりの子供と比べたこともある。

でも、今になって、学力もひとつの能力と思うようになってきた。社会で生きていくときに。最低限必要になる知識をもっていれば、その後の能力に関しては、協調性も能力だし、学力も能力だし・・・と、思うようになってきた。社会には色々な能力が必要だ。忍耐力。耐久力。持続力。思いやり。体力。気力。記憶力。・・・・・。

でも、私の欠点は、自分と同じように人が思っていると錯覚してしまうところだろう。素直に子供たちのいいところ、問題なところを表現しているつもりでも、成績の良い子に関しての、自慢話に聞こえてしまうのだろう。反省しなくてはいけない。そんなつもりはない・・・は、相手には通じない。

今日は、英語で配布される、小学校、中学校、高校の、生活、学習に関するハンドブックのセミナーを開いた。私は、自分の学校もあり、申し訳ないけど、ちょっと手伝ったくらいだったが、参加してくださった親御さんも、主催側の母親たちも、結構、教育に関しては目の色が変わる。成績別クラス、飛び級が、今だ存在するこの国では、子供たちがどちらのコースに入るかは、親たちにとっては結構シビアーな話題だったのだろう。

宿題のチェックの仕方等、子供たちをバックアップ、支援することが大事だという話になる。

私は、実は、ここにきて、一番良かったのは、選抜教育、コース別教育、飛び級等、複雑怪奇な米国の教育制度を私が理解できなかったことだと確信している。わからないから、子供たちに口出しはしなかった。正直できなかった。宿題のチェックはしたことがない。自分の宿題もこなせないのに、子供たちの宿題にとやかく言うことはできなかった。

私自身は、ちょっと自分に甘い長男に、心が癒されてきた。成績が抜群に良い次男には、勉強の心配はないが、いったいこの子は、人を尊敬し、大切にし、優しく生きていけるのだろうかと、心配でしょうがない。はつらつとして、独創的な三男の行動には、私自身が楽しんでいるが、どうも、あちこちでの軋轢は避けられないでいるようだ。これも、問題大有りともいえるし、将来楽しみとも・・・・イチカバチかの賭け勝負をやっているようだ。

人間は八方から、多角的に捉えないといけない。私自身も、こちらから見ると、ちょっと・・・だけど、こっちから見てもらえると、ちょっといいでしょ・・・と、様々な面がある。

しかし、そんな思いをわかってもらおうと思うのもちょっと無理があるのかも。

そこで、標題。

黙して、語らず・・それでも、唇に微笑を・・・と

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平均年齢 24歳~25歳

2007-09-07 18:28:38 | おろおろおろろ

新しい授業が、いよいよ始まった。最初にシラバスいう、そのクラスの内容の説明、インストラクターの考え方、成績に関しての説明がある。二回目からが本格的な授業になる。教育のクラスは、若い人もいれば、私くらいの人もいる、ただ圧倒的に女性が多いのが印象的だ。

それよりもっと、圧巻なのは、なんと、エアロビクスのクラス。若そうだなあ。。。。と、思っていたが、平均年齢は24歳くらいだという。若い男性が二人。こちらも圧倒的に女性が多い。高校を卒業してすぐの人から、出産後来ましたという、若いカップルから様々な人たちが参加している。

しかし、驚いたのは、若者たちの体力の無さ? 初めてで、ステップにも戸惑ったのだろうが、運動をしているだろう人、そうでない人は、もう一目瞭然でわかる。体型も太い細いではない、筋肉のつき方でなんとなく、わかってしまう。いくら若くても運動をしていないと、体力は落ちていくものらしい。

そして、もっと意外に驚いたのが、私の元気さ。細々とだが、ステップエアロビをやっていたこと、ランニングを続けていること、テニスをやっていること、そんな小さな積み重ねが、力になってきたのだと思うとなんとなく嬉しかった。

インストラクターは私と同じ歳くらいの、生物学の先生でもある。がっしりしていて、筋肉質。あなたは経験者?と、聞かれたことから、話がはずむ。彼女は、デトロイトのフルマラソンに出た?でる?らしい。私はシカゴ。話は盛り上がる。

シカゴマラソンまで、あと丁度一ヶ月。身近に同じような目的を持った人がいることにも、ちょっと励まされる。

教育のクラスに関してもそうだが、心から体全体ブルーになっていくのか、経験ができることに価値を見出すのか、大きくちがってくるのだろう。昨日は、あなたは良い経験ができるね・・・・と、アメリカ人のお友達の励まされた。

わくわくと、楽しんでみたいと思う。

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なくしていくもの・・・月日の流れ

2007-09-06 00:40:37 | 徒然に

母によく注意されたことがある。

人の歴史を考えなさい。軽々に人を批判してはならない。加えて、その歳にならないと理解できないことがある。

確かにそうだ。若さに任せて言いたい放題ではいけない。今、息子たちの文句や主張を聞いていると、母の言葉が蘇ってくる。同じ思いをしたのだろうと思う。

一方で、私たちが経験したことにない時代に生きている、息子たちの主張もあるだろう。それも、また加味して考えていかないとならない。きっと、私には理解できないことだろうから、お互いに歩みよるということになるかな。

親の世代の老いを見つめていて、多くを考えるようになった。年齢とともに、出来なくなってくることもたくさんある。物忘れもひどくなる。私もご同様、月日の流れがそうさせるだけだ。(・・・・と、軽く思いたいが・・・そうもいかない事もある。)

パソコンでのメールのやり取りの仕方を、国際電話で聞いてくる。ちょっと前に出来たことが、できなくなる不安、焦りがあるのだろう。きっと、私もその歳にならないと理解できない、思いなのだろう。

でも、一方で、私の父のように、パソコンを切り捨てた人もいる。あると、できない自分に腹が立つから、孫にあげてしまったとか・・・・。パソコンが使えないことを苦にしていた一時期から考えると、良い選択肢だったと、私は喜んだのだが・・・。それでも、父の本当の心のなかはわからない。

出来なくなった自分を責めないで、受け入れ、まだたくさんある、出来ることに目を向けて欲しいと、遠くから願うしかない。来年は、それの手助けができそうだ。

しかし、そこがまた、甘い考えで、日本に帰ったら、私の自身の生活が忙しく、あたふたと毎日を送り、自分のどたばたとした足音の大きさに、老いの中にいる親たちの小さな悲鳴が聞き取れなくなっていくのかもしれない。

昨日から、国際電話3時間 ・・・・・ちょっと。考え込んでしまった。

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