どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

我が家の場合

2008-04-28 09:26:39 | なっとくる

我が家の場合、なんだか個々で事情が違うために、帰国時期もばらばらになってしまった。私が最終的に同行するのは、愛娘のルル子だけ。

私の役目はシンガリだ。最後の後始末隊。

今は学校の追い込みで精神的に余裕がないために作業に手を付けていないが、卒業した暁には、家中を感謝の気持ちで磨き上げ、家具は磨き上げてどなたかに買っていただき、気持ちよく整理して帰りたいと願っている。

他方、日本での先発隊は、引渡しを受けたうちの庭掃除やら、電化製品を選んだりをしているらしい。

いいよ~任せるよ~なんて、言いながらあれこれどうのこうのと、文句をいうからね私は。。。。申し訳ないねえ。

さあ、楽しみだ。残すところ44日。

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最後から二番目のレース

2008-04-27 03:07:38 | シュワッチ

昨日までの夏の天気がウソのような風の強い、寒い日になった。

最後から数えて二回目のレースに出場。このレースは三年連続、三回目。昨年は、胃がダウン。最後は水を受け付けなくなった。走るに胃が痛いのではなく、辛いのだけど、結構悲惨だった。

今年もスタート直後のものすごく早いスピードに驚く。正直走りながら、いったい毎日とは言わないが、走ってきたことが、ためになっているのだろうか。。。と疑いたくなった。はっきり、この人は日ごろ練習していないだろう・・・と、思われるような方々にもものすごいスピードで置いていかれる。私は、トコトコとペースを崩さないで走る。

今年は、あまり歩いている人を見なかった。5Kレースがあるからだろうか・・・。シカゴのときは、暑さもあったけど、5キロあたりから歩いている人はたくさんいた。突然走るのやめる人と、走る人がぶつかりそうになる光景も何度も見かけた。

風のつよさは相当だった。私は聞きかじりの知識の、風除け。。。でっかい男の人や、体格のいい女性について走る。ただ皆が早いので、釣られてスピードを上げないように注意した。

気温は5度。半そででもいいかとも思ったが、風邪が冷たく、手は凍っていく感じがする。長袖のジャケットを着て走り始める。途中から、手は冷たいが、体の方が熱くなってくる。でも、風が強い分、体感温度は相当低い。長袖のまま走るか、半そでになるか、迷った。しかし、経験のありそうな人は皆長袖を着ている。私はそれに従った。しかし、顔にかいた汗のために、お気に入りの赤影のようなサングラスが曇ってしまった。何度も拭いてみたが最後にははずした。ポケットには、車のキー、もしものための携帯電話、サングラスが入っているから、何やら騒がしい音がしていた。

さて、知っていたコースだったから、余裕もあった。また、昨年もらった、エネルギー補充用のゼリーもうまく使えた。昨年は、食べたら思っていたものと違ったので、すぐに捨ててしまった。後半、あれをキープしておけばよかったと後悔したのだった。

あまりスーパーで見たことはないのだが、あれは結構お勧め品。チューブに入った甘いゼリー。今年は一段と味も美味しくなっていた。固形ではないから、胃にやさしい。後半に食べると、最後まで力がでるし走りながらエネルギーの補充が出来る。

後悔したのは、やはり増量ボディー。軽い人の走りは軽い。3キロ増で足が悲鳴を上げた。10キロ過ぎから、アキレス腱が痛くなる。また、意外にも太ももの筋肉がないと、走りながら思った。

15キロ過ぎから、あれ?と、覚えている人に追いつき始めた。走りもだんだんと軽くなってくる。にこにこと走っていたら、looking ナイス! と、声をかけられる。

時間にして、2分短縮。2時間9分17秒。女性393人中、231番目。昨年は2時間11分43秒だった。まあ、いっか。走り終わった感動はある。

体調も大丈夫。二週間後の最後の25キロレースは大丈夫な気がしている。

でも、ちょっと減量できるとこまでがんばろう。

 

 

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遠足

2008-04-26 12:38:00 | しらんぷりしよう

いやあ懐かしい響きだなあ。

いつ以来だろう。遠足というか、field trip。今日は Edukation の最後の授業。インディアナ州との境に近い町に、ユニークな教育をしている学校があるということで、出かけてきた。先生と、もう一人のメンバーと、教育201 のクラスから一人の男性、そして、先生の妹さん。妹さんは、スペインに行って教育学の勉強をされたという。

朝7時前に集合。先生の豪華な車に載せて頂いての遠足になった。これが最初で最後の遠足になる。

最近は、新年を迎えたときと同じだけど逆の現象が起きている。新年を迎えると、なんでも初がつく。今は、引越しを前に、何でも最後がつく。最後の遠足だ。

学校はユニークだった。小学校だから、幼稚園から5年生までを対象にしてるらしいが、建物が三つに分かれていた。幼稚園、1-3年生、4-5年生。それぞれが立派に小学校として成り立つくらい、立派なものだった。

いろいろと面白い取り組みもあった。しかし、子供というのは、どの国もあまり違いがないのかもしれない。先生の悩みは、子供達が数学と化学に弱いこと、本を読まないこと。どこかの国と似ているでしょう?

読書では、子供達の意欲をかりたてるために、ポイント競争があった。それぞれの本には、難易度にあわせて ポイントが提示してある。子供達はいつ借りて、いつまでに読んだかを、コンピューターで管理される。9週間の期限のなかで、誰が一番ポイントを稼いだかを競う。それだけではなく、本の内容をきっちり理解しているかのテストが行われる。テストのポイントも点数になる。

誰がテストを作るのですが?と、聞いてみた。テストがある本を購入するらしい。コンピューターで試験を受ける。

子供達は9週間の後、映画とポップコーンパーティを開いてもらう。

私は正直唖然とした。テストをする?  読書のロマンも夢も打ち砕く作業だと正直感じた。

一つの本を読んででる答えってなんだろう。国語の長文読解に似ている。

私は高校の時、作者の意図は?とか、作者の気持ちは?という、問いに、自分が感じたことを書いた。それが間違いだと言われると、何か納得できなかった。漢字には正しい答えがあるだろう。指示語にも正答があるかもしれない。

しかし、本から、何を読み取るか、何が作者の意図かに、誤答、正答があるのだろうか。

小学生の子供達に動機付けは必要かもしれない。でも、本来の読書の楽しさを、子どもたちは失ってしまうのではないかと、危惧した。本は自由に読んでいいし、発想の自由がなくて、どこに読書の楽しみがあるのだろうか。

子供達の前に人参を放り投げるのは止めて欲しい。競わせることで創造性は出てこないと、直感で感じる。でも、論拠はない。ただ、もっと正攻法で行こうよ、と、私はおもった。子供達を信じるべきだとも思った。

しかし、自分達のやり方に自信をもたれている方に、異論を唱えるのは難しい。というか疑問を提示することもできなかった。

素直にはいはいと頷いてきた。なんだ、日本がどうの、USがどうのと、以前に書いたが、同じではないか。一人で納得ができないと、反対の意思を示した、三男を改めて尊敬した。

ひとつのことに関しては異論ありだったが、面白い取り組みは随所に見られた。おいおい紹介いたします。

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運命だね。ランチに行こう

2008-04-25 09:03:39 | なっとくる

風の強い一日だった。

いつもの火曜日、木曜日はエコノミックの授業が終わり、次のテニスの授業までは図書館で本を読んでいる。今日に限って、冷房が冷たく感じ、駐車場の車の中で、持参した紅茶を飲んでいた。

近くに住んでいながら、あまり会う機会もない、友人が駐車場を歩いてくる。

おーい、声をかけ、少し近況を話し合う。私の近況は随分と変わっている。あと、47日で帰国だと話す。彼女はとっても驚いていた。

ここで会ったのも運命。きっと神様が別れの準備をしなさいと与えてくださった、機会かもしれないと思う。テニスを頭痛がするとずる休みをし、彼女とランチをする。ゆっくりたくさんの話をする。

その後、ちょっとした買い物に出かける。ちょっとした買い物が余計なものになるのだけど、日本の友人達へのお土産も考える時期になった。

そこで、また、懐かしい人に声をかけられる。彼女の電話番号をもう記憶してはいないので、ここで会わなかったら、きっとそのままになっていたに違いない。

少しずつ、別れの時を迎えていると感じる。

日本からこちらに来る際は、空港で友人達、家族の姿を見たときにはさすがに涙が流れたが、準備期間においては、泣いているどころではなかった。未知の世界に入っていく興味はあったが、恐怖心も、不安もあった。子供達を巻き添えにする決断でもあったから。

でも、今回帰国するにあたっては、さしたる不安はない。やらなければいけないことが山積みになっているが、生活に関して大きく不安に感じることはない。どちらかというと、こちらの生活を終えていく安堵感があるのかもしれない。

人間は極度の緊張状態では泣かない。その後、ちょっと安堵が訪れたときに、泣くものらしい。 確かにそうだろうと実感する。

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涙がボロボロと流れる

2008-04-24 14:05:37 | うるるん

今日のランチは、元市長夫人と一緒だった。ドイツから移民してこられた経験をもつファーストレディーの英語は親切でやさしく、楽しい時間を二時間あまり・・・。こんなにリラっクスして英語を話したことはないような気がする。

話術って話すことではなく、聞くことではないのか・・・と、貴重な経験をさせていただいた。

The main altar - looking in from the inside doors.

その後、次男のピアノコンサートを開くことを快諾してしていただいた教会に出向く。

USでは、通常は高校を卒業する際には、お世話になった方々を自宅に招く行事を行う。オープンハウスという。私は、引越しの、忙しさもあって、それの代わりにコンサートの後にお茶でもお飲み頂きながら、きていただいた皆さんに感謝の意を伝えるつもりでいた。しかし、教会ではお茶を出したりはできないらしい。他の場所を提供しましょうと親切におっしゃってくださる。でも、私はあっさり考え方を変えた。

カードと手作りのクッキーはラッピングしてお持ち帰りいただけばいい。

この教会の施設を壊したりしては大変だと。

The Choir Loft Stairs.

今日は晴天。私一人のために開けてくださったチャペルはには、美しい光がステンドグラスを通して入ってくる。高校生一人のためにこんな施設を貸していただけるのかと思うと、感謝を通り越して、感動で気持ちが震えた。

 

そして、お世話になった方にご案内のメールを送る作業の途中で、涙がぼろぼろ流れてきた。悲しいのではなく、感謝でいっぱいなのだけど・・・・。

今日はどうしようもない。

教会のスタッフに、ナーバスになってる、それともエンジョイしてる?と聞かれた。私は、迷わず、エンジョイしてるよと答える。

この国に来て一番学んだことは、物事を楽しもうとすることかもしれない。

 

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貸切部屋でDVDを見る

2008-04-23 04:59:26 | シュワッチ

小さなコミュニティーカレッジだが、私の通うカレッジにも図書館がある。

パソコンルーム、閲覧室、そして、ちいさな湖に面した窓辺には、外に向いてりゆったり座れる椅子がおいてある。息子の大学を見学したときにも思ったが、窓に向かって、つまり外の風景を眺めながら、リラックスして本を楽しむ空間はあまり日本ではお目にかかったことがない。ホテル、旅館ならいざしらず、ここは図書館かだら・・・

USのカレッジは生活空間としての意味も持つからだろう。図書館も夜遅くまで開いていいる。息子の通う州立大学では、二十四時間開いている図書館もあるらしい。数もひとつや二つではない。

さて、エコノミックのエッセイは、授業中にみる映像を元にかく。しかし、前にもかいたが、ナレーターの英語は速いし、また収録されているインタビューは一回では大雑把にしか内容がつかめない。また、聞くに集中すると、メモを取る暇がないから、エッセイを書くのはむずかしい。

先生にお願いして、DVDを借りた。でも、学内で見るように指示される。図書館で相談すると、いいよ~と、図書館のスタッフが先にたって案内してくれる。

案内された先は、立派な会議室。図書館で会議はないから、そこはグループで学習する部屋らしい。防音設備も施されている。そこに、どうぞと案内される。

え?私一人のためにこの部屋を使っていいの? と聞くと、そう聞くこと事態に不思議そうな顔をされる。日本人って、公の前に個人を置かないというところないだろうか・・・。私は、なんだか居心地はいいけど、申し訳なくてしょうがない。

防音になってるから、ヘッドホーンを使わなくていいといわれるが、ヘッドホーンで聞くと実はもっと集中して聞ける。ランニング用の短いヘッドホーンを持参したので、広い部屋の端で、テレビにくっついて見ている私の姿は、ガラス張りの廊下からはきっと奇異に移ったに違いない。でも私は、贅沢でありがたい時間を過ごした気がする。

さあ、いいエッセイを書こう。

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過保護

2008-04-22 17:21:01 | がっちんこん

現在は、過保護、過干渉の親が問題視されているが、自分でも前回のブログを見ながら、相当の過保護ぶりだなあと、苦笑している。

親なら、息子に降りかかる火の粉、押し寄せる波、本人に到達する前に、撃退したいところだが、そうはいっても本人に関係なく親がそれらに立ち向かうのも相当に問題ありだろう。

アンテナは大事だとは思うが、親のアンテナがありすぎて、本人のアンテナが劣化してしまうようだ。

大事に至らない前に・・・とは、思うものの、後ろから見守る姿勢でいたいと思う。息子たたちの人生、彼らがひとつひとつ小さな決断の積み重ねをし、失敗もし、すごしていく人生だ。

私はまず、自分のことを考えよう。

来週には、ファイナル試験があるじゃないか。ここで、失敗すると、卒業はなくなるし、すでの注文した帽子もガウンも要らなくなってしまう。これは、漫才には面白いねたを提供するが、自分にとってはちょっとね・・・。

エッセイも抱えている。ひとつひとつ丁寧に終わらせていかねばならない。

 

 

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ルンルン春

2008-04-21 02:15:25 | 舞いあがる

ルンルンと軽快な足音で春がやってきたようだ。

気持ちも軽く、ブログもイメージチェンジ。

さて、しかし、でも・・ことはすべてのゴールを迎えたわけではない。やっとそれぞれが新たなスタートラインに立ったということだ。

USで生活をしてみて、自分も相当に変っていっただろうと思う。何が違う、最大に違うところは、違いを生活の中で意識しなくなったところだと思う。

単一民族と思われている(他の主張もある)日本では、高校で、中学で髪の毛の色がちがうだけでも気になった。実際、私も相当に気にした。

ところが、この国では違うことが当たり前。髪だけではない、肌の色、身長、分類できないほどに違う。同じであることを求められない。

人種も違う、意見も違う、だから高校の教室でも、生徒は様々な態度で授業に臨む。先生は、目に余る場合は注意する。それも、うるさい!!ではなく、私はこうして欲しいけど・・・・そして、生徒が同意し誤ると、Thank You をかかさず言う。

日本人は ありがとう という言葉が大好きといわれるが、どうもこちらでの生活での方が、多く謝意を表す言葉を聴く。電話での応対でも、決してこちらの電話の応対がいいとは思わないが、お待ちいただけますか? と聞かれ、同意すると かならず Tnak you といわれる。

日本で新たにスタートをきった息子だがすでに違いを指摘されている。ところが、私自身がすでに同じような経験をしているから、いったい息子の何が問題なのかが分からない。私たちにとって、違うということはさほど問題ではない。

郷に入れば郷に従う という言葉が、拡大解釈され、水戸黄門の印籠のように使われる。ずっと以前水戸黄門という時代劇を母と一緒に見ながら、私は子供ながらに、人々が印籠にひれふすシーンには、違和感を感じていた。権力の象徴に理屈ではなく、ひれ伏さなければならない人たちに、悲しみを感じていたし、怒りもあった。

問題を整理し、交通整理をすることがたくさん出てくるだろうと想像する。ヤンキーおばさん登場は物事をどういう方向に持っていくのか、自分でもちょっと想像できないでいる。

ところで、ネットで寿命診断をやってみた。必要事項を入力するとあなたの寿命は75歳ですと、お答えが返って来た。短いと思うのか長いと思うのか・・・。

2年位前、ちょっと年上の女性と二人で、私たちきっと薄命よね。だって美人は薄命だからね・・・などど話していた。すると、それを遠くから聞いていた、友人のご主人が ひとこと。そこまで生きて薄命はないだろう・・・・・確かに。

 

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くれる、もらう、あげる

2008-04-19 09:16:33 | しらんぷりしよう

標記の動詞について、日本語のクラスの授業があった。ダイアログという、会話方式で生徒達は練習する。ポイントは、やりとりの主語が誰なのか、目的格が誰なのかになる。そこの違いで、動詞の使い方が違ってくる。

 

最初、その使い分けを自然にやっている私、日本人には何を説明しているのかちょっとわかりにくかった。

この三つの動詞を英単語に直すと、give と receive になる。

括り方が面白くて、くれる は give to me であり、あげるは ただの give そして、もらう がreceive になるという。

 

くれる は ちょっと私としては、receive という動詞ではないかと思ったのだが。。。主語はあくまでも、自分ではないので英単語では giveになる。

 

自分を主語にもできるが、その場合、受動態ということになるのだろう。えっと、でもその場合は もらう という動詞に変わるのかな????

 

なんだか、途中で私の方が、こんがらがって頭が痛くなってきた。

 

そんななか、生徒達はそれを理論だてて理解しようとし、先生の説明も生徒達が理解しやすいように、理詰めでいく。

 

逆の場合、私もそうだった。英語のイディオムにも、どうしてこの単語を使うのだろう、理論立てて説明して欲しいと思ったものだ。

 

でも、だからね、言語って日常的に使うほど、それは使えるようになるのであって、理論的に説明できないこともあるし、説明しようとすれば無理が出てくることもある。。。なんて、自分で思ったりした。

 

日本語が相当上手な先生は、インプットの量が決定的にその人の言語能力を決めるのだとおっしゃった。なんだか、自分の英語のことを言われているような気がした。逆の立場の勉強は、実に私を目を覚まさせるのに有効だ。でも、そういうときに帰国が決まるのよね。あと、二ヶ月もない。

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ナイスゴール!

2008-04-16 21:07:55 | 発っする(ハッスル)

サッカーでシュートが決まった瞬間に似ている。

 

三男が無事、日本の高校の編入試験に合格した。

 

次男は、USのカレッジに合格した。

 

三男は難関公立高校へ挑戦したし、次男はUSの私立大学のインターナショナルの狭き門を見事に突破した。

 

正直これでやっと春が来た。高学年の子供を持つ親は、子供の進学に相当頭を悩ませる。子供は当事者として、もっとひどい事態に追い込まれることもある。海外赴任というと、バイリンガルになれるという図式が頭に浮かぶが、決してそうではない。楽な道ではない。英語は勉強するから伸びるのであって、この地にいても、本人が自覚して勉強しない限り、自然にバイリンガルになれるわけではない。

 

バイリンガルとは両方の言語を使えるということであって、言語はどちらかに実は流れてしまう傾向がある。つまり、英語に慣れれば日本語を忘れてしまうし、日本語に固執すると、英語は入ってこない。

 

高学年の場合、それにタイミングの問題が生じる。

親の進退は子供の学校選択を考えてのタイミングではあり得ない。つまり中途半端な時期が多い。だいたいにして、USだと二学期制だし、春から一斉に始まることはない。9月が年度の始業になる。それからしても、大きなずれが生じる。

 

息子がこちらの高校の前期過程を終了して、日本で編入試験の準備をするために帰国したのは、1月の末だった。試験は日本語で行われる。英語ですべての教科を勉強してきた息子がどこまでがんばれるのか・・・・

また、ブランクが生じる関係で、一年学年を下げての入学になった。5年生から海外で過ごし、高校の2年間でセンター試験を他の日本人のお子さんと同じように受けるのは、そこからして、無理だと高校側から指摘された。社会など、まったく勉強していないし・・・。

 

幸いにも理解のある塾の先生や、県の教育委員会の丁寧なご指導にも助けられた。何よりも、息子ががんばった。よくぞここまでと思うほどだ。

 

さてさて、心配の種から小さな芽が出てくれた。ここからがスタートだが、スタート地点に立つことさえ困難だったから、本当に嬉しい。

 

私も、最後まできちんとやりぬくことがたくさんある。山積みだ。でも、息子達に元気をもらう。ありがとう。

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