どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

死ぬかと思った

2006-01-31 02:12:56 | おろおろおろろ

へんなことから、冗談抜きで死ぬかと思った。友人3人を招いて、お話をしていた。それは、話が聞きたいという友人から申し出て、彼女の聞きたい事を知っているほかの友人2人をお呼びし、私は場所を提供したというものだった。前述、脳疲労の最中で、外に出て行く元気もなかったから・・・。

話をしてもらいながら、私は用意したケーキを切っていた。皆に切り分けたケーキを出し、ナイフを洗う際、そこについていた、スポンヂを何気なく口に入れた。すると、それは気管に入ったようだった。急に息苦しくなる。しかし、元気に咳は出てくれない。なので、スポンジはいつまでも、私の気管を塞いでいる。でも、まさか、こんなことで・・・・と思うから、歩き回り、息を吸う努力をしてみた。でも、咳は出ず、だんだん息苦しくなってくる。頭もしっかりしているし、足も動く、なのに呼吸ができない。ヒーヒーと弱弱しい声が出るだけで苦しくなる一方だ。でも、こんなことでと、思うから誰にも声をかけない。でも、もっともっと苦しくなる。ついに、友人に声をかけて、最中をたたいてもらった。その頃になると、友人達も私の様子が、おかしいことに気づいていた。背中をたたいてもらって、やっと自力で咳が出た。ちから強い咳だ。ああ、助かった!心から、そう思った。

人間こんなことで、簡単に死ぬのかもしれないと思った。どこかの大統領のキモチがやっとわかった。飲み物を用意してから・・・粉食を食べる時の鉄則だ。

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脳疲労

2006-01-31 01:55:49 | 徒然に

医学的にある言葉なのかは知らない。私は持病のように、脳疲労を起こすことがある。症状は倦怠感、何もしたくなくなる、前頭葉に集中する頭痛、やたら眠い。もちろんブログを書く気力もない。原因は、決して勉強のしすぎとかではなく、主に人間関係に起因する。

人間同士好き嫌いはある。誰にでもある。もちろん私にもある。嫌なことがあった、傷つけられたとか、だけでなく生来持っている感性で、違うとすら感じる人間関係もある。

お互いに苦手意識を持っているとわかっている、人同士を同時に私が招いた。それは、友人の送別会のようなもので、どからもその関係者だったから、仕方ないと思う。しかし、大人だし露骨なことはしないと信じていた。しかし、片方の相手に対する嫌悪感は、その人の理性を超えるほど強いものだったようだ。意識していた私だけが気づいたと信じたいが、狭い部屋にいても、目をあわそうともせず、挨拶もしないようだった。一方の強い顔と、相手の悲しそうな目を同時に同じ空間で見ていることは、私を非常に落ち込ませた。なぜなら、原因は双方を招待した私にあるのだから。

大勢の人たちが来ていた。私は、結局何をするでもなく、友人達に接待の一切を任せ、ただただ疲労していく自分を感じた。それから、立ち直れない程の疲労感に見舞われている。

 

 

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誰にも責任がない

2006-01-27 09:49:02 | がっちんこん

引越してから電話の調子が非常に悪かった。ノイズがひどくて聞き取れない。電話会社に問い合わせると、ラインに異常はなく、電話機が悪いと言い切る。盗聴されていたりしない?と聞くと、とにかく問題がないのだから、調べると130ドルコストがかかるという。調べて!、でも払わない!とがんばると、どうしようもないねえみたいに言われてしまった。

電話機は引越しまで使っていて問題はなかった。ワイヤレスだと、問題とも言われたので、有線の古い電話機も探し出してきた。でも、ノイズはひどくなる一方だった。電話に支払う料金は、きちんと話もできる異常のない状態のサービスに対して払うのではないの?その状態にまで持っていくのは、電話会社の責任でしょう。それが常識ではないの?

今朝はついに、回線がうんともすんとも言わなくなった。電話をすると、こんどは切れたのだから、タダで見に来るという。その後、電話がかかってきて、治ったからねと、いう。以前にノイズの問題があったのだけど・・・・と、聞くと、ラインが古くなってたからだから、変えといたと、おっしゃる。まあ、皆が別の人だけど、同じ会社でいろいろ言っていいの?新しい電話機を買ったら、丸々損だったでしょう。本当にそれぞれが、いい加減に言い切る姿勢にいつも、頭にくる。

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プレゼンテーション

2006-01-25 22:57:02 | かたまった
初めてのプレゼンテーションをクラスでやった。前回の講義ではパスした。でも、今回は日本の大学で取得した単位をアメリカに移す作業を180ドルもかけて行った、不退転の決意もある。逃げることだけはしたくなかった。結果は悲惨でも、その前に逃げることだけはしてはいけないと思って臨んだ。今回も自分の早とちりから、内容についての誤解があった。トップバッターのプレゼンを聞いて固まった。しかし、資料だけは印刷して用意していたので、次々と行われるプレゼンを聞いていくことで、自分の間違いを修正していった。しかし、修正は完全にはできなかった。誤解による資料の不足が生じてしまったためだ。そして、他の学生もきちんと用意をしていたのに驚いた。アメリカの学生は、宿題に関しては真面目なようだ。数字もよどみなく読んでいる。私は、桁の考え方が違うアメリカ式数字の読み方が最も苦手だ。GNP,.GDP、出生率、死亡率、乳児死亡率、おろおろしてしまった。私の番。発音はどうしてもダメなのだから、アクセントを思いっきりつけて、ゆっくり喋ることに心がけた。中国の一人っ子政策(担当中国)に触れると、皆が勝手にそれについて討論を始めてしまった。私のプレゼンは大幅中断されることになった。でも、それで、緊張も取れたのか、分らないところは、分らないと言い、先生の説明を聞いて、言い直したりの作業もできた。とりあえず、終わってほっとした。
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亀の甲と柔軟性

2006-01-24 03:33:10 | かたまった

柔軟性を失うことは、老化現象の一種らしい。運動をしている人が若々しいのは、運動によって、体の柔軟性が保たれているかららしい。しかし、見えないところで、同じ細胞である脳細胞も柔軟性を失っているに違いない。脳内革命という本のなかで、運動は脳細胞も活性化させるという内容が書いてあったように記憶している。本当に?

自分が人に(必ず自分より歳下の人)説教じみていることを話してることに気付き、愕然とすることがある。ちょっと、為になるような気がして、とか、ちょと気になったもんだからとか、断り書きは入るに入るが、内容はまったく説教ではないか。脳が硬くなって自分の経験や考え方がまるで正しいかのように、自分で自分の中の何かを固定して、その上悪いことに、自分で肯定までしている。

亀の甲より年の功 という、金言がある。昔、母は年取った人の功より亀の甲羅の方がよっぽど良いと逆に解釈していて、呆れたり、大笑いをした事を思いだす。しかし、昔の知恵者は(母のことではありません)さすがだなあと感心するのは、功はあっても、歳を重ねると、どこかしこが硬くなるという、ニュアンスで、亀の甲羅と比べたのではないなだろうか。音の問題だけとは感じられない深さを感じてしまう。歳を重ねた人たちの知識は素晴らしいと称えた金言だとは思うが、最近の私はちょっと母の解釈の方に近い自分を感じて反省することが多い。

功を甲羅と比べていただくほどの年長者ではない。まだまだ修行の足りない怠け者だ。だが、しかし、このまま行くととんでもない、意地悪、ひとりよがりおばんになるような気がする。軌道修正しないとね。

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観葉植物

2006-01-23 22:44:26 | おろおろおろろ
日本に帰国する人たちから、受け継いだ観葉植物に元気がない。どの子も最初は元気で来るのに、我が家に来て日が経つにつれ、色が悪くなり勢いが無くなっていくのがわかる。私はどんな花でも、葉っぱでも枯らすのは上手だが、うまく育てられない。どうしてだろうか・・・。調べたり、本を読んだりする熱意が無いことも確かにある。でも、大切に育てたいとは思ったいるのに。アドバイスがあったら教えてください。名前も分らない植物達が危険な状態です。
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間違った答え

2006-01-22 00:10:00 | 徒然に

教会で英語を教えてもらっている。ボランティアの牧師さんだ。彼が、インドや災害地にボランティアに行くとき以外は毎週決まった時間に、彼が用意してくれる資料で授業が行われる。参加は自由、費用は1ドル、払ってもいいし払わなくてもいい。

学校教育から、間違った答えをみんなの前で発言することは、恥をかくことだと思ってきた。長い学校生活の中で、心のなか、体の中に沈殿している。

彼の授業のなかで、発言をし間違いを犯すことはある。しかし、彼は絶対に違うとは言わない。惜しい、いい意見だね、近い、面白い、様々に言葉をかえ、表情も変える。その表情からは、発言してくれたんだね・・という、喜びさえも感じられる。

私も自分でボランティアの日本語授業を始めて、彼の気持ちが少し分かるようになってきた。私も、その場に居て、発言をしてくれた人が、間違っていようが居まいが、全く気にらない。よし、がんばれ!その調子だ!いい直せばいいし、自分でそれを探してくれる過程がなんとも楽しいやりとりになる。点数が出ない学習の面白いところかな。発言の内容は実は、自分が教えてきたやり方をフィードバックできる最良の手がかりになる。

間違った答えの呪縛から開放されると、語学力は伸びるかもしれないと、感じる。

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日本語授業再開

2006-01-20 07:08:07 | かたまった

教会で日本語を引き続き教えることになった。日本語を教えているのか、英語の発音を教えてもらっているのか?はっきりしないが、相互扶助作業の授業が再開した。今回も、あれこれとスケジュールを考えてはみた。しかし、これが悩んでも結論がでない堂々巡り状態なので、相手が何をしたいのかを聞いて、一緒にスケジュールを立ててみようと試みた。見事に失敗。もともと友人の親しいお友達たち。確かに、アメリカ人が日本人、日本、日本語に興味をもち、好意的に考えているのはわかる。しかし、英語の上手な彼女が作り上げた人間関係のなか、その延長での日本語なので、やってみたいが、目標はないようだ。それはそうで納得できる。学生ではないし、職業を持ちたいと思っているわけでもないのだし・・・。日本を紹介するところから始まる授業なのかもしれない。絵本や、料理の本と、興味をひきそうなものを持って行ったが、ムダだった。

しかし、糸口はつかめた。ひらがなは一通り前回勉強したので、カルタを使って、ひらがなの表記を印象付けて覚えてもらうことと、犬棒かるた?で日本の文化を紹介してみようかと思う。これは、英語に訳していくという、自分にも準備が必要になる。次に、人気の日本料理を簡単に英文にして、紹介していこうかと思う。ひらがなを主体に簡単に紹介する。アメリカの人気絵本作家の作品で、日本語に訳されているものを中学生の子には与えてみようかと思う。彼は宮崎アニメが大好きなようだから、興味をもってくれるかもしれない。

とにもかくにも再開の初日は、自分の英語が思ったように通じないことに愕然とした。利他の精神で、準備をきちんとする必要があると感じる。そして、それは自分のために必要なことでもあるからね。

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石橋を叩いて・・・・それから

2006-01-19 04:52:59 | おろおろおろろ
私の信条は、石橋は叩いてみても、渡らない。なのに、どうも渡らないといけない状況になってきた。○○協会の婦人部を立ち上げることになってしまった。め組と言いたいが、それも憚って言えないでいる。叩いたのに・・・・石橋・・・本当にやるの?と。あっさり、やるやると答えが返ってくる。じゃあ決められた内容だけで・・・・と、持っていくと、あれもこれもと、夢のような内容が展開されていく。本当にできたらいいねえ。とは、思うけど・・・。盛り上がった人たちの夢を消せない性格でもある。わかった、やろう。!それでも、障りのありそうなところに、根回しをしてみると・・・・やはり、壁に当たってしまったようだ。でも、なんか、あのメンバーならやれそうな気もしている。根まわしのやりすぎで根を痛めないよう、大事に、慎重に、時に、ふわりと軽やかにかわしてやってみましょうかね。
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利他

2006-01-18 09:57:28 | なっとくる

友人が、夜回り先生こと、水谷修さんを取材した番組のビデオを届けてくれた。手紙に、利他の心で、子供とかかわる姿に、ただただ尊敬の涙が止まらないと添えてあった。

随分前のこと、小学校高学年か中学のころ、5歳違いの兄から、お前は自分を犠牲にはしない人間だ、と言われたことがあった。何故いまだに覚えているかというと、そうではいけないのではないか、という思いと、そうだと肯定する自分とが錯綜して、涙はでなかったが深い悲しみを感じたことを覚えているから。それからの私は、何度自分を犠牲にしているかと、自分自身に問うたかしれない。きっと言った方の兄は、とうに忘れているに違いない。

水谷さんは、人のために何かをしなさいと、子供たちに説いていた。感謝されることが力になると・・・。本当は、大人たちに突きつけられていることなのかもしれない。

尊敬の念で涙が止まらない友人が近くにいて、私は幸せだ、と感じた。

 

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