どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

どっちだ!

2010-12-24 07:08:40 | おろおろおろろ

どっちに行くの? と自分に聞く。

あれもこれも、それもと何とも収集がついてない。

父のブログをを立ち上げてみると・・・それにかかりっきりで、自分のブログはほったらかし。

試験を受けるつもりがなかったのに・・つい受ける気になって受けた試験。おっこちた。

そうだよなあ・・・・・。受かるつもりで相当に準備しなくてはならなかった。『不合格』なんて、けったくそ悪いよおなあ。こうなったら、意地になるなあ・・・・後にひけなじゃない、悔しくて。

『なりたい自分になれないことが、ストレスの源』

さて、短い時間の切り刻みを要求される主婦、講師(実は、需要にもろに作用される、非常に不安定な職業)、をどうやりくりしていくか・・・なんとかしなくちゃ。

今日はクリスマスイブ。主婦フル回転。ケーキ作って、届ける。夕方から、ディナーに息子の友達をお招きして?あるので・・・・・さあ、がんばるぞ、

さて、どこで、ランニング、いえ、今は足の指が関節炎なので・・・ウォーキングの時間を取ろうか・・。行き着くところ・・・・・『どっち?』ということだよな。

何を選んで、ということは、つまり何をあきらめるかということだろう。その辺のバランス感覚が、いまだ未熟なのだろうなあ・・・私は・・・・と、今日と、今年を振り返って思う。あーあ、と深くため息をつく。

 

 

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出会いの不思議

2010-12-07 04:35:23 | がっちんこん

あっ!!この人・・・・どこかで会ったことはある。だけど、何も思い出せない、だ雰囲気は覚えているんだけど・・・なんてことがある。

私はこの秋、地元の元国立大学のある先生の研究室を訪ねた。私が進みたいと考えている、大学院の先生である。お会いした瞬間、あれ以前に・・・と思った。でも、そんなことはない。お名前も初めてお聞きしたのだし・・・でも、どこかで・・・・。

社会人枠を持っている大学院だが、うちの大学は研究機関であって、入学と同時に卒業までも研究テーマを決めます。したがって、社会人枠はないと思っていただきたい。選抜は学部からの大学生と同じ選考基準となります。

それが、私が先生から聞いた話の内容だ。

ならば、なぜ社会人枠を設けているのか・・。また、私は大学院へ進学すること自体を目的としているわけではない。が、私が受けようとしている、試験は大学院卒がその受験資格であり、またその指定校に御大学はなっているのではないですか? 私はいたたまれない思いを伝えた。

女性のその先生は、優しく、言葉を繋いだ。私も、あなたと同じ思いです。力強く、あなたの後押しをして差し上げたい。でも、システムがそうである以上、なんともできないのです。今日来てくださってよかった。多くの社会人の方が、そこを理解されず受験し、試験に失敗されています。

私は、お時間をいただいたことに感謝をして、研究室を辞した。

昨日、長年の友達が浄水器の部品を交換に来てくれた。彼女とは何度となく自分の夢について話してきた。そこで、研究室に行った話を出した。 その先生の名前は?  ○○准教授、と私。

するとその友達が、私はその先生を知っていて、長い間一緒に仕事をしているという。え?そうなの? そうなんだ。じゃあ私のことを話しておいてね。

友達が帰ったあと・・・・考えてみると・・・私はもうだいぶ前、それこそ渡米前に、あるフォーラムのパネリストをしたことがあった。それは、その友達から頼まれてのものだった。そっか・・・あのとき、パネリストをまとめる、話のコーディネーターがあの先生ではなかったか・・・。

さっそく友達に問い合わせてみると・・そうだよ、と簡単に答えが返ってきた。そうか・・・だから、どこかでお会いしたことがあるように感じたんだ。

それはね、偶然じゃなくて、必然の出会いだよ・・・と、友達からメールが来た。

うん、そうだね・・・と、私も素直に思った。

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父のブログ

2010-12-03 03:53:53 | 発っする(ハッスル)

父がパソコンを新しく買った。また、買った。前回のパソコンは孫娘のものとなった。彼女にとても喜んでもらえたので、結果はそれでよかったと納得したようだった。

『あれがなくなって、本当に楽になった』と、言っていた。で、また買ったの? と非情な言葉を何気なくかけるのが、実の娘である。お嫁さん、兄は決してこのような言葉を発しない。『意見を言いたい』のだ、父は。インターネットがあれば、だれでも意見を言える という風潮があるではないか。そこで、父はパソコンを買って、インターネットで意見を言うつもりである。しかしながら・・・・パソコンの基本操作を知らなければ、インターネットはできないではないか・・・。どうしたって、そこの壁に行き当たる。

 

横文字だらけのご時世も父を悩ませている。漢字なら連想する余地もあるだろうが、のっぺらぼうのカタカナに連想するとっかかりはない。現代用語辞典を収納した電子辞書をプレゼントしたが、すっきりはしてないようだ。

 

ブログというものがあってね・・そこで意見を言えるよ。と何度言っても理解してもらえなかった。

本人を目の前にして、実際にレイアウトを選んだりして、作る作業から始めることで、父はなんとか理解してくれたようだった。手書きの原稿を私が打ち込んでできあがり。

今朝起きてみると、なんと何人かの方がコメントを入れてくれていた。すごい!私のブログより数段すごいじゃないの。父の発信力が大きく力をつけて、どんどんブログのちからを 借りていきいきと自分のやりたがったことをやりとげてほしい。

 

からくり 父が原稿を書く → ファックスで私に送る → 私が更新する 
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実家にて

2010-12-02 20:15:46 | うるるん

少しの期間だけ、帰省した。母の命日の翌週になってしまったのだが.

父は同じように寝床にしている大きな赤い座椅子にすわっていた。

またちょっと小さくなった感じがした。

父にはまだまだ言い足りないことがあるらしく、見舞いに行くものすべてが父の話を聞いて帰ることになっている。もう、何年も続いている習慣であるかのようにである。そのくらいたくさんの話があるのだからすごい!とも言える。ただ、それはそれ、私にも思い当たる、何回となく同じ話を遠慮がちに、『もう、話したことがあったかな?』と、前置きをしながらでもあったりする。

 

アメリカに留学している次男がこの冬の研究課題にしている『原爆』についての話になったとき・・・・今やアメリカと父はスカイプでリアルタイムに繋がることができる・・・父が思いがけない話をした。自分が原爆を投下された直後の広島にいた というのだ。なんせ、今まで同じ話を何度も聞いたことがあるのに、この話は全く初めてだった。父の記憶のそこにあるそれは、あまりにも悲しくて、そして苦しくて、自らがその記憶を封印してしまったのではないだろうか・・・・と、私は想像した。

そして、それ以上を語りたがらなかった。父が帰国してインタビューに訪れるだろう次男にどんな話をするのだろうか。

 

 

 

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