どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

やめる治療法

2011-09-30 04:22:46 | 徒然に

震災後あれほど痛かった左手。しびれていた左手。しびれに対する効果的な薬はなく・・・でも、この薬を飲んで様子を見ましょうと診断された左手。

今、痛みも、しびれもほとんど感じなくなった。もう、びっくり。

アメリカに行ったとき、薬物と間違えられるのは嫌だから・・・と、唯一の薬さえも飲んではいない。

何が良かったのか・・・治療というと、何かを新しく加えるというイメージがあるのだが・・。私の場合は止めた。まず、テニスはお休みした。そして、接骨院での治療をやめた。

原因が頸だったのだから、首から肩にかけて背中にまでおよんだ凝り。そして、左手の痛みとしびれ。辛かったから・・もう、戻りたくない。

テニスはやめる決意をした。そして、伝えた・・・・。でも、やめられなかった。人間関係・・・。仲間とコーチから引き留められた。様子を見ながら・・続けていこうかと思う。

接骨院。実は、あれは個人技だということに気付いた。人を見て選ばなくてはならない。私が行っていた接骨院はかつていらした方がすごい人だった。でも、その人は遠くにご自分で接骨院を開かれたという。私は、そこがいい接骨院だと思って、そこに通い続けた。受け継いだのは若い人だった。

同じ接骨院に通っていた私の友達(かつては体操の選手)は、なんとその遠くの新しい接骨院に週末にご夫婦で通っていると人から聞いた。彼女はわかっていたのだ。接骨院は誰にお願いするかが、一番大切なことだということを・・。

 痛いときには、無理をせず、やめてみるということが、とても大切だと痛感した。

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あっと驚く蚊取り線香

2011-09-17 14:14:09 | おっとこどっこい

文科系の私。

理科系大学を目指す息子。ちょっと考え方が違う。

私は、虫が嫌い。なかでも、嫌いなのが蚊、蟻。

見つけたら、徹底的に叩く。それを知ってか・・・結構、返り討ちにあう。めちゃくちゃ、蚊に刺される。

そこで、昔から愛用しているのが蚊取り線香。電気の入った科学的なのは使わない。煙の出る蚊取り線香を使う。

そして、親切に家人がいない間から、部屋に蚊取り線香をたいて、蚊を殺しておく。

と・・・息子が。お母さんは、なんてもったいないことをするんだ・・・というではないか。

?なんのこと?  

蚊取り線香は蚊は殺さないんだよ。あれは、寄りつかせないために、煙を利用しているだけなんだよ。

は? サンドイッチじゃないけど、「何言ってるか、わかんない」

 ピンともスンとも、箸にも棒にもかからない・・・意味がわからない。

ただ、自分の親切を理解しない息子だと思った。だって、もう何十年もの間そうしてきたのだから・・・。

そして、じわじわとわかってきた。さすがの私も理解した。そういうことだったのか・・・。

でも、今日も私は、最低三個の蚊取り線香を昼間から、各部屋で焚いている。

 

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立場が変わると・・・・・・(^_^;)

2011-09-12 12:02:46 | Weblog
期末試験の時期になった。週末は試験問題作りで、潰れてしまった。
考えに考えてしまう。そして、何度も確認する。

私は、三教科の試験をつくらなければならない。

漢字、語彙、そして作文。一番苦戦するのが作文。もちろん、語彙も漢字も量を必要とするから大変は大変なのだが、作文は三倍位大変。

テーマを設定し、それが妥当かどうか考える。自分でも生徒が使える表現や語彙を使ってテーマに即して書いてみる。字数が適当に設定されているのか、時間は足りるのか、辞書の持ち込みはどうするなど、考えることがたくさんある。

加えて、大変なのが、採点。採点基準を作り、点数をいれていかないと、妥当性がなくなってしまい、自分も迷うし、生徒たちに納得もしてもらえない。

自分がテストを受けていた時は、先生はテストを意地悪く楽しんでいると信じていた。作る方に苦しみがあるとは、絶対に思えなかった。


やはり、立場はそこに立ってみないと分からないということなんだろう。立場 という熟語を作った人は、すごいセンスの持ち主だと思う。
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一年は早い!

2011-09-10 06:28:48 | シュワッチ

今日は私の誕生日。

両親に感謝する日。母は天国からお祝いをしてくれている。

父には電話して、感謝を伝える。より、先にプレゼントでもねだるかな・・・はは。

年に何回か、「ここから自分を変えよう」と思う、メモリアルというか記念日がある。

誕生日、新年、年度初め・・・など。

誕生日を区切りに、毎年何かを変えようと思う。でも、最近はちょっと考えが変わってもきた。

あれほどひどかった、左手のしびれは最近非常に緩和されてきた。何がよかったか・・・事実から言えば、テニスをしていない。

大好きなテニスを休んだ当時は非常に焦りがあったし、寂しかったが、人間の環境適応能力は大したもので、今ではテニスがない生活にすっかり慣れてしまった。逆に、どうやって今のスケジュールにテニスを入れたらいいのだろうとさえ思う。

「変える」ことから、「続けること、維持していくこと」 こそが大切なのではないか・・・と、思う年齢になってきたということだろう。

できないことをあれこれ焦るより、できることを感謝し、喜びとする謙虚な姿勢が大切なんだろうなあ・・。

先日、携帯がアウトになった・・・と連絡した、先輩から、「少しおとなしくしてなさい」と、返信が入った。

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天中殺のような・・・・日々

2011-09-08 20:32:24 | シュワッチ

このところ、色々なことがおきます。

車を運転していてパンク。駅まで息子を送っての帰り道、往来の激しい通りでした。、さらに、パンクに気付かず、重大なエンジントラブルだと思い、足が震えました。

途中からパンクと気づいたのですが・・・携帯電話を持ち合わせていなかったので、いえ、忘れて行ったので、そのままなんとか自宅まで帰りました。タイヤは大破し、全部を買い替える羽目になってしまいました。(予期せぬ痛い出費)

昨日朝、普通通りに使っていた携帯電話が突然・・・・画面が消えました。電源も入りません。アウト!

アドレスが全部消えてしまいました。新しい携帯は使いづらく・・・スマートフォンにもしてみたかったのですが・・・痛い出費が続いているし・・携帯でインターネットすると料金が高くなってしまうし・・で、普通の携帯電話にしました。

恐れ入りますが・・・・私の携帯にメールをください。これからも、私と連絡を取りたいと思ってくださっている方だけでOKです。

そこに電話番号とお名前を入れてくださると大変助かります。

カードに移していた若干のメールの人たちに、同じようにお願いして、昨日は何件かアドレスを拾うことができました。

そうそう、授業後は生徒たちに電話をしてもらいました・・・。とほほ・・。

今日は一年間の集大成、日本語講座の教育実習初日です。私はトップバッター。いろいろなことはあるけるど、落ち込むけれど・・

同じ講座を受けて、先日亡くなった友達がオブサーバーで来てくれていると信じて頑張ってきます。^^

 

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9月の声を聞いて・・

2011-09-04 07:40:36 | 現実とは・・・理解できないこと

9月になった。年度の後半になった。

そこに飛び込んできたニュースは、若い友達の死去だった。 それも、一週間前に彼が主催してくれた飲み会があり、となりの席で肩を叩き合った。その友人が亡くなってしまった。

 年齢は40歳 奥さんと子供さん 10歳と3歳 がある。

 彼とは一年間の日本語教師養成講座で知り合った。7月入学の私はイレギュラー入学。彼とその他のメンバー30人くらいは4月からの入学だった。4月からの人たちの人間関係がまとまってきた、そんな時に私は入学した。

人見知りの私は出来上がっている人間関係の中に自分の居場所を見つけるのが大の苦手。 彼は大人の講座の中で、まるで自分からクラス委員を買って出たように、クラスをとりまとめようとしていた。

 飲み会を企画し、試験を受ける仲間たちに、合格祈願の鉛筆を配った。日本語教師になるには、とにかくたくさんの教科を習得する必要がある。文化的背景から、歴史の問題、言語学から音声学。日本語文法も国文法ではなく、スタンダードに外国人も学べる「やさしい日本語」からアプローチできるようになっている。したがって、講義を受ける先生方も三人であれこれと掛け持ちをされていた。

その先生方のラスト講義には、彼が音頭をとり、お花を送り、全員で写真をとった。

訃報はあまりに突然で、どう考えていいのか・・・・。ただ、彼は無念だっただろうと思う。

日本語教師になって、奥さんや子供さんと海外に行こうと思っていたのかもしれない。とにかく、彼の夢は途中で打ち切りになってしまった。

母が亡くなった13年前、父は、「人は必ず死ぬ。順番さえ間違っていなければ、それは幸せなこと」と、泣きじゃくる私に言い聞かせた。

今は順番がむちゃくちゃになってはいないのか・・・。

家族葬という葬儀に集まれるクラスの仲間で出向いた。通夜のあと「、のこっって話をしていってください 供養ですから 」といわれる。

御親戚の方々とご一緒に席に着かせて頂いた。故人のお母様が、自ら名乗られ、私たちのもとに来てくださった。私たちは、彼がクラスでどれだけ活躍してくれたか、どんなに素敵な人だったかをたくさんお母様に伝えようとした。

息子の話を聞くお母様はとても嬉しそうにされていた。

喪主の奥さまは、ただ、あちこちと席の間を行き来し、色々な対応を一人でこなされていた。

こんなことがあるのだろうか・・・彼は天国へ行くのだろうか。気持ちが残って成仏できるだろうか。

現実を受け止めながらも、気持ちは沈んでしまう。

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