どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

お花見と流しそうめん

2006-03-30 11:25:34 | 徒然に

日本語の授業、さ行でのこと。

そうめん、そろばん、日本ならではの言葉が出てくる。春休み直前で、バケーションに行っている人もいたので、あまり前には進まず、おもいっきり日本文化の話をした。

そろばんは実物を持っていたのに、持っているのに、引越しで所在が分からなくなってしまった。是非とも見せたいとおもっていたので残念だった。仕方ないので、絵を描いて説明したが、ちょっと分かりづらかっただろうと思う。余談だが、この国では小学校から計算機を使って計算をさせる。二桁の掛け算からだったかしら・・・・。なので、非常に近似値に弱いという話をどこかで聞いたことがある。日本人の暗算の話をし、計算機は決して使わない(今もそうかしら。。。。???)と、話すと、大いに賛同を得た。

そうめんは、そのものの話より、そうめん流しの話を主にしてみた。私の故郷では、ちょっと山間に入っていくと、夏場にそうめん流しを食べさせてくれるところがあった。中国山地の自然のなかで、そうめん流しを食べた時の感動は忘れることができない。今も続いているだろうかと・・・・。竹を割って、水を流し、そうめんを流す。人々は好きなところに自分の位置を決め、箸ですくいとる。そんな英単語は浮かばないからほとんどがジェスチャーだ。しかし、非常に興味を示してくれる。私は、ジェスチャーをしながら、なんとかこの人たちに、そうめん流しをご馳走できないものかと考えていた。夏場、かんばって見ようとひそかに決心する。

1人の男の子が、この春休みにワシントンDCで桜を見てくるという。桜は日本人にとってシンボル的な花であることは説明していた。そうだ、前回は、さくら の歌を独唱したのだった。そこで、日本のお花見風景を説明したのも興味を引いたようだった。

飲んで歌って、ネクタイ頭に巻いて、楽しそうねと話しながら、吉田兼好は桜の下で花を愛でるのではなく、ただ興にまかせて騒ぐことを、批判していたことを思い出した。もう何年も、桜を見ない、お花見のない、春を迎えている。

 

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馬に乗って、人に添う

2006-03-25 01:11:23 | なっとくる

先入観の塊を心の中に抱えながら、そのうちを訪れたのはもう二年前になる。そこは、どうしようもないと、周りから札をつけられていた(私は会ったこともない)子供さんを持った家庭だった。私が訪れたのは、自分の子供を迎えに行くためだった。問題視されている子供さんの兄弟がうちの子供と同級生だった。同級生は4人しかいなかった。

子供が泊まりたいといった時はどうしようかと思った。そんなことろに行かせて影響はないだろうか・・・。彼の言葉に反論する理由も見つからなかったから、よろしくお願いしますと、電話で連絡し、泊まらせてもらうことにした。土曜だけの補習校には、様々な地域から子供達が集まってくる。公立学校ほど日本人のための学校があるわけではないから、違う州から2時間くらいかけて家族でやって来る人たちも決して少なくない。その家庭もそんな状況のなかに有ったので、土曜に学校終了後、同行させてもらい、宿泊、翌日に私が車で迎えに行った。

正直言って2時間弱のドライブ、道にも迷ったし、疲れて、すぐに引き返す気力は無かった。上がっていきませんか?と、誘われて、ありがとう、そうさせていただきますと素直になれた。

お昼は? 緊張感が取れない私は、食べましたと、うそをついた。みると、そこにはおいしそうなサンドイッチが用意されていた。もしかして、待っててくれたのかしら・・・その方は、じゃあ甘いものでもと、お茶とお菓子を出してくれた。折角昼食を作って下さったのに、私の返事から、無理強いはしない。

正面から顔を見たこともなかったその方と、向かい合って座り、お互いの紹介ではないが、挨拶から話は始まった。息子がお世話になりました・・・・いえいえ、よくきてくれましたね。繋がっていく会話。なんと、優しい感じの人だろう。家の中は、かわいい感じのその方のまんまといった、あたたかさのあるほっとくつろげる雰囲気を持っていた。私は、自分の先入観が、間違いであることにすぐに気づいた。

楽しそうにしている、息子達も出てきた。何時間かおしゃべりをし、次回もお茶のみをしましょうと、約束をして、帰途についた。

あれから、2年以上がたち、子供達の卒業の日、私たちは家族の打ち上げ会を我が家で開いた。私は二年前の事を正直に話した。そして、その日、子供達はどうであれ、親は同年代であり、同じように夢をもち、また悩みを抱えていることに気づいたのだと話した。彼女はポツリと、お茶を飲んでいってくれたのはあなただけだったと、言った。何人かの人が子供さんを迎えに来たけど、家にあがっていってくれたのは、あなただけだったと。私は、はっとした。彼女はきっと、毎回、お昼を用意して待っていたのかもしれない。涙がでそうになって、何回もその言葉を繰り返す、ちょっと酔った彼女を、私はそっと抱きしめた。

馬には乗ってみろ、人には添うてみろ・・・と、言いマスね。と、彼女のパートナーが私に言った。よかった、乗ってみてね。その日は、大いに笑い、話し、歌い、お互いの家族を称えあった。

 

 

 

 

 

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学ぶこと

2006-03-23 22:53:52 | うるるん

卒業式にまつわる話、感動の挨拶シリーズ第二弾。

退任される女性の先生は、冒頭、私は一週間に一度、ここであなた達を教えていたのではなく、私が学んでいましたと話された。答えが探せないようなユニークな質問、一生懸命な態度、多くを学びました。そして、彼女は、学ぶことは楽しいですと、はっきりとおっしゃる。私の歳になっても学ぶことは楽しい・・・と。

日本では、年甲斐も無く・・・(漢字はこれでいいのかなあ???)と、よく使う。自らも使うし、他者から使われることもある。前者は照れ隠しであり、後者は悪意のある批判に使われる。

私も正直いつまで学ぶのだろうと思うことがある。大学に行ってまで、勉強している私は何なのだろうかと・・・。楽ではないし、逃げたいときもある。でも、彼女の、年甲斐もなくも使うことなく、私は学ぶことが楽しいと 聞いたとき、スカッとしたものを感じた。そうだ、私も楽しいのだ。学びたいのだ。

スポンジのような心と頭を持っているあなた達は、どんどんと様々なことを吸収してください。そして、一緒に学び続けよう。。。さようなら・・と、彼女は締めくくった。

つい最近、友人である、彼女に電話をした。いい挨拶だった、と。感動したと。

次の日彼女からメールが届いていた。あなたのほかに、もう1人、私に挨拶がよかったとコメントを伝えに来てくれた人がいた。誰か。。。。あなたの(私の)息子さんよ!教室に来て、いい挨拶でした。学ぶを多用してましたね・・・と、言って帰ったそうだ。

親子で似ているといえばそうだが、自分の感動を言葉にして、相手に伝えられる人に育っていってくれていることが、嬉しいと素直に感じた。

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生き残れるもの

2006-03-23 04:38:48 | なっとくる

海外事情に精通しているわけではないので、他の地域のことは分からないが、当地には企業が運営主体となり、外務省から認可を受け、文部科学省から校長先生を派遣してもらい、日本のカリキュラムに沿った教育を受けることを目的とする、補習授業校がある。日本人学校ではないので、土曜のみの開校で、子供達はウイークデイは現地の子供達と現地の学校に通い、土曜日にだけこの学校で、日本の教科書を用いて授業を受ける。企業が運営主体であるから、ビジネスマンのお父様達が中心になって、学校を運営していく。もちろん授業内容は校長先生が取り仕切ることになる。しかし、双方が子供たちのために、力を出し合って運営していく。

三月はそんな補習校でも卒業式があった。日本らしく厳粛な式である。そして、来賓の方々には現地の教育委員会の長や、市長のお顔もあるという、こちらならではの特徴を持ち、それを踏まえた、日本の式であるところが、興味深い。

運営委員長をなさる方は、前述のような、ビジネスマンである。決して、教育関係の仕事を長年なさったとか、所謂名誉職を歴任なさった肩書きマンではない。しかし、父親であり、運営母体を支える企業マンである。

今年の運営委員長のご祝辞は、ダーウィンの言葉の引用からだった。生き残っていけるのは、強いものではなく、賢いものでもない。私は正直、ここのくだりで、じゃあ誰だろう????と、子供のように疑問を抱き、次の言葉を待った。それは、変わることのできるものです。・・・・環境に合わせて、自らを変化させるものこそが、生き残れるのだと。

何時間か経って考えると、これは進化論そのものなのでしょうね。しかし、彼はそれを、小学校低学年でも理解できるように、噛み砕いて、優しい言葉で見事に表現し、私も深く感動したのです。

変わることが出来ることは、社会性を見につけよと同義語なのかもしれない。今の世ではね。そして、人間の中では・・・。種を保存しようとする、動物とは質が少し違っているかもしれないなあ。

 

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めずらしく・・・・

2006-03-23 04:26:18 | 徒然に

珍しく、なんと、熱を出して寝込んでしまった。風邪を引いたらしく、頭も痛かったし、のどはめちゃくちゃ痛かった。熱を出すなんて、実はもう何年もなかった。熱を出すにもエネルギーが要るのですよ・・・・と、言われて、出ないものだから、エネルギーが残ってなかったのかと思っていた。

実はこの空白の一週間余、あまりにも様々なことの中に居た。感動の渦の中で、それを言葉にすることができなかった。その思いが熱になったのかもね。さてと、ぼちぼちと文章にしてみよう。ちょっと、感動から、時間が経ってしまったけどね。

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風評

2006-03-13 22:58:23 | がっちんこん

漢字の表す意味合いはすばらしいといつも感心する。最近、注意を受けることがあった。自分のことや、他の人のことでも、ちょっと耳を澄ますだけでいろいろな風評が入ってくる。そんなことは有り得ない、そんな馬鹿な・・・・・一体誰がそんなことを言うのか?そう、風なのです。あんまり見事すぎて、美しすぎてふっと心が鎮まる気がする。持って行き場のない思いを、風だからと救ってくれる気がする。

しかし、それが全く影響の無いものなら、風に心を預けて、さらりと忘れもするが、ちょっと待てよと思うような内容もある。法律でも風評の流布は、悪意があり、利害を加味したものであるなら、罪にもなる。

木を見て森を見ず。。。。そのことだけを、ホーカスすることの怖さを感じる。社会性、広い森を観る眼を養わないと、人生がつまらないものになるでしょう。と、自分に言い聞かせる。

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階段落ち

2006-03-12 22:27:50 | うるるん

実は、3日前、我が家の階段の一番上から、一番下まで見事に落ちた。いつも息子とふざけあい、パンチ、キック、追いかけて膝蹴りと鍛錬をしている私だが、意外に握力が弱い。追いかけっこをして、階段を駆け上った。待て、と下から足を引っ張る息子、落ちるものかと、手すりにしがみつく私。手が引っ張られる力に耐えられずあっけなく降参。桜島大根がゆっくり、階段を落ちていくように、ごろんごろん、と落ちたと息子が笑う。首をひねり、左足の大腿部を強打した。ちょっと立てない。そのご確認したが目だった外傷もなく、問題は痛みだけだった。翌日おっどろいたことに、足ははれ上がり、赤紫色に変色。辛いのは、体重増でキツクなった、ジーパンが足に触れて痛いのなんの。日頃から余裕が無いのに、はれてさらにきつくなり、締め上げる感じ。一挙一動に痛みを感じるから、困り者。折角、春めいてきて、またロードを走ろうと思っていた矢先なのに・・・。私の中では、春は遠いのかもしれない。

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用途

2006-03-12 00:05:17 | なっとくる

こちらに来た当初は、いろいろなものが日本のものより見劣りし、使いかっても至極悪そうに見えた。しかし、最近はこちらのモノが快適便利グッズに見えてきた。巨大なペッパーミルは(ついに買った)、非常に使い心地がよく、気分はすっかりクッキングチャンネル状態。http://www.foodnetwork.com/  加えて、ナツメグをおろす器具まで買ってきた。中にナツメグを収納して置けるもので、5ドル弱で購入。さすがに、香りが違いますね。

ステンレスではない、耐熱ガラスの計量カップも、そのままでレンジにかけたり、湯煎にもかけられるので、大変重宝する。また、カップの種類も200mlから1000ml クラスまで、大きさがたくさんあるので、大、中、小とそろえておくと本当に便利だ。

偏見の賜物で軽視していた、計量カップの種類の多さも違う意味合いがあったことに気付いた。こちらには、1、1/2 1/3. 1/4 1/8 のカップをセットで売っている。私はてっきり、数学、計算に弱いアメリカ人の為にそれが用意されているのだと信じて疑わなかった。買い物の計算ぐらい、ちょいちょいと誰でも出来る賢い日本人には全く必要ないと。こちらのレシピでは、単位がグラムではなく、計量カップで表示されるものが多い。ケーキの粉、砂糖などを、カップ半分計ると、計れなくは無いが、非常にアバウとな計り方になってしまう。そっか、それであの様々な種類のカップがあるのかと合点する。デジタルの計りでグラムをきちんと計る日本人には、ちょっと不思議な感じがするが、これも生活の知恵で出てきたのだろう、今頃理解できた。

慣れるということは、こんなものなのかもしれない。次回のお土産は計量カップにしようと思う。欲しい方は、意思表示をしておいてください。ね。

 

 

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一致をみた

2006-03-09 23:39:03 | なっとくる
昨日は日本語の授業。以前に、金言を紹介して、文化の違いから理解されなかった話を書いた。かわいい子には旅をさせろ。。。だったか。

今回の金言は意外にもすんなり一致をみた。木を見て森を見ず。 前回と、今回はカ行の勉強をした。前回は か かわいい・・・・で、大論議になり、それ以後進まず時間切れとなった。今回は、皆それを覚えていて、か を そこそこにして、き に行き、この言葉に出会ったという次第。水曜に教会の行事が入り、二週間お休みになったから、随分前のことのように感じたが、授業そのものでは前回の内容だったことに、今気づいた。

実はこの金言が???と、不思議な気がしたが、まったく意味的には同じように使うらしい。We cannot see the wood for the trees

く に行って、首の話になり、仕事を解雇されることもまた くび ということを、日本語的俗語(Japanese idiom) と紹介すると、ジェスチャーまで同じで、英語でもそう表現するという。neck?かなあ・・・・ジャスチャーかなあ?また、聞いてみよ。そのときは、納得して盛り上がりに盛り上がったのだが・・・。

文化の違いが基にあるにしても、お互いを認め合えないとなんとなく、寂しい気になり、一致すると大いに盛り上がるから、人間同士面白いなあと感じる。傍から、私たちの様子を見ている人たちは、もっと面白いかも。身振り、手振り、足振りまで時には飛び出し、大いに笑い、時に大論議になっているからね。ちらちらと廊下から視線を感じる時もあるから。

最後に何故か、神風特攻隊の話になった。神風ということばは非常に有名で、カレッジで米国史を学んだ時も、テキストに結構大きく書かれていた。彼らは非常に若く優秀な青年達であったこと、母親に手紙を書き残していること、決して望んで死にたがったのではないと、私が思っていることを話した。そして、皆で涙ぐんだ
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矢印の先

2006-03-08 12:42:55 | うるるん

プロジェクトXという番組の最終回のビデオを友人が貸してくれた。私は、この番組をいつもタオルを持って観ていた。とにかく、毎回涙が止まらない。感動で打ち震え、トモロオさんの口調を真似て、一体いくつの番組を独自に作り上げたか分らないほどだ。

その中で、やはり私が好きなのは、つっぱり生徒と元全日本のラガーマン山口先生とのラグビーを通じての人間同士のやりとり、つっぱり生徒と泣き虫先生の物語だ。

ビデオに録画したものを何回も見直した。ビデオの世界規格を作り上げた話も素晴らしいのだけど・・・。それは次回に

やはり感動するのは、先生が自分に矢印を向けたというくだり。ダメな生徒達が、名門高校にワンサイドゲームを強いられている。当然でしょう。彼らは努力はしないし、だいいち勝とうとも思ってもいないのだから。でも、先生は矢印を自分に向ける。情けない思いをしてるやろな、この子達のために自分は何をしてやったんだ?

お疲れさん、怪我はないか?

そんなことば、私には到底かけられない。

悔しい、先生勝ちたいと、泣く生徒を、よしがんばろうと、一年で勝てるチームにできるのだから、先生もすごいが、生徒もすごい。つっぱりはすごいと実感する。

自分に矢印を向けられるか?これは難しい。他者に対しては、鋭い切り口はいくらであるのに、自分に向えない。

私は感動で、バスタオルが要るほどだった。

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