日本語の授業、さ行でのこと。
そうめん、そろばん、日本ならではの言葉が出てくる。春休み直前で、バケーションに行っている人もいたので、あまり前には進まず、おもいっきり日本文化の話をした。
そろばんは実物を持っていたのに、持っているのに、引越しで所在が分からなくなってしまった。是非とも見せたいとおもっていたので残念だった。仕方ないので、絵を描いて説明したが、ちょっと分かりづらかっただろうと思う。余談だが、この国では小学校から計算機を使って計算をさせる。二桁の掛け算からだったかしら・・・・。なので、非常に近似値に弱いという話をどこかで聞いたことがある。日本人の暗算の話をし、計算機は決して使わない(今もそうかしら。。。。???)と、話すと、大いに賛同を得た。
そうめんは、そのものの話より、そうめん流しの話を主にしてみた。私の故郷では、ちょっと山間に入っていくと、夏場にそうめん流しを食べさせてくれるところがあった。中国山地の自然のなかで、そうめん流しを食べた時の感動は忘れることができない。今も続いているだろうかと・・・・。竹を割って、水を流し、そうめんを流す。人々は好きなところに自分の位置を決め、箸ですくいとる。そんな英単語は浮かばないからほとんどがジェスチャーだ。しかし、非常に興味を示してくれる。私は、ジェスチャーをしながら、なんとかこの人たちに、そうめん流しをご馳走できないものかと考えていた。夏場、かんばって見ようとひそかに決心する。
1人の男の子が、この春休みにワシントンDCで桜を見てくるという。桜は日本人にとってシンボル的な花であることは説明していた。そうだ、前回は、さくら の歌を独唱したのだった。そこで、日本のお花見風景を説明したのも興味を引いたようだった。
飲んで歌って、ネクタイ頭に巻いて、楽しそうねと話しながら、吉田兼好は桜の下で花を愛でるのではなく、ただ興にまかせて騒ぐことを、批判していたことを思い出した。もう何年も、桜を見ない、お花見のない、春を迎えている。