忙しいを連発しながら・・昨日やっと今年の学校でのやるべきことが終わった。
『漢字の追試をします』にも、何人の生徒が私の意図をわかってくれるだろうか・・・それよりも、来るだろうか・・・(休み中なので出席にはならない・・・私だってボランティアだから・・)という気持ちが正直あった。
私が愛する生徒たちは、きちんと追試を受けに来た。それもほぼ全員がきちんと勉強をしていて、追試一回で合格点を取ってくれた。
ひとり来なかった生徒。電話をした。先生頭が痛いです。来なさい、どうしてあなただけができないの? 生徒はいったん電話を切ったあとに、もう一度かけてきて、一週間先ではいけませんか?と聞く。だめ、すぐに来なさい。 わかりました。 彼は私が待つ教室にやってきた。
試験用紙を前に、途方に暮れているのがわかる。先生わからないから、できませんでした。 じゃあ、いっしょに考えてみよう と、二人で漢字の問題を解く。英語ができる彼に、ショートカットだが英語で説明する。これだけ英語ができるのだから、きっとすぐに言語としての日本語を習得するだろうと思う。彼に必要なのは、やるという気持ちを、背中から支えてあげることだと思っている。
生徒たちを送りだして、改めて考えてみる。いろいろいろいろ・・・・・。
先日、私は私のメンターから、『素直ではない』と、言われた。私は、彼に逆説を使わないと約束した。
改めて、そういう目をもって会話をしていると、また、会話を聞いていると、自分がこの人と話してて心地がいいなあ・・と思う人は、逆説を使わない人だということに気付いてきた。逆になんだかわからないけど、この人と話してると、気持ちがふさいでくるとか、イライラしてくる という人は、とにかく逆説を使うのではないか・・・。
私はラジオを聞いていることの方が、テレビを見ている時間より、断然長い。音の世界でいうならば、会話で一番聞きやすい言葉が、『おっしゃるとおりです』。
ラジオでのやりとりや、対談などを聞いていても、おっしゃるとおりでね・・・と、言葉が入ると、なにやら気持ちが楽になる。別に、その人たちが喧嘩をしようが意見が食い違おうが、私には関係ないのだけど、逆説の応酬で声が高くなったりすると、なんだか気持ちがはらはらしてきたりする。
不思議なもんだけど・・・それはある。ある。
私は生徒たちにとって、どういう言葉を使っていただろう・・と、考える。改めて考える。逆接を使わなくても、実は意見の主張はできる。要は、方法論であるし、気持ちの持ち方でもあるし、相手に対する姿勢でもあるのかもしれない。
『逆説を使わない』・・・つまり、私のメンターは、私にあなたは逆説人間だよと、教えてくださったということなんだ。さすがにメンターであると、今更ながらに思う。
これから私は、逆説を使わない ○○人間でいく。
ところで、逆説の反意語って何だろう?順説だと思ったら、そんな言葉は日本語にないようだ・・・・○○に何が入るか・・・来年の課題にしよっと。
でも、お分かりの方はお教えくださいね。