どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

震災見舞い

2011-05-30 06:58:16 | 徒然に

兄夫妻が名古屋から震災見舞いに訪れてくれた。

実家への公式お見舞い、公式晩さん会。兄は義父とゆっくりとじっくりと話し、義姉はいろいろと気を配り、義母や義姉、姪たちとまんべんなく話していた。

私はいつものような緊張感もなく、ただ黙ってにこにことしていればよかった。つくずくと、肉親ってありがたいと思う。

翌日は、震災当時我が息子といっしょに名古屋に避難させていた、息子の親友兄弟、父親を交えての宴会となった。

新たに人々が出会った。

兄夫妻と、夏休みを利用して帰国している二男、そして私で女川から南三陸町を回ってきた。二カ月たった現在も、海には二階建ての家がぽっかりと浮かんでいる。捜索隊の方々は、重機ではなく手作業で何かを探しているような作業をされていた。

その傍らには、復興に携わる大勢の人たちが働いていた。が、そこに色とりどりの洗濯物や、にぎやかな話し声は聞こえなかった。

色のない、すんでいる人のいない町。失ったものの大きさを、空気から感じる。

今、外では、音をたてて雨が降っている。被災地は大丈夫だろうか・・・。屋根の修理を待っている実家は大丈夫だろうか。

あさってから、6月になる。 

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心地よい会話

2011-05-19 09:28:26 | 現実とは・・・理解できないこと

以前のこと。

ある人から、逆説を使わずに話してごらん と言われたことがある。

つまり、私は逆説を多用して会話をしていると・・・気になったのだろう。自分がどんな接続詞を使って会話しているのか意識したことはなかった。

同じことを言うのでも、反対の意見を言うのでも、逆説を使わないで言えるんだよ と教えられた。

意識してみると、確かに私は、でも、 だけど が多い。

そのことを、最近思い出していた。

心地よい会話をする人 は、きっと逆説を使っていない。

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自分に耐える

2011-05-18 07:26:09 | おっとこどっこい

震災後、始めてテニスに参加した。

私たちのクラブは自主クラブなので月謝が安い。役員を選出し、運営をお願いする。そして、だれもが役員をやらなくてはならない。

チームは3つに分かれていた。上級が2チームと、初心者が1チーム。しかし、震災前の最後の総会で、すべてのチームを解体した。そして、上級と初心者を入れ混ぜたチームを3つへと編成替えが行われた。

そして、あの震災。

上級者に混ざって初めてテニスをしてきた。案の定の事態。いきなり、もう行きたくないモードが私を襲っている。

練習の最後にコーチが言ったことば。

チームに入って練習をしていると、自分の下手さが嫌になります。そして、それに一番耐えられないのは、実は自分自身です。でも、テニスはやった回数でしかうまくなりません。下手な自分に耐えること でしか、上手にはなれません。粘り強く耐えてください。粘り強い人が勝ちです。それと・・・素直な人かな。

どう考えても、私に宛てたメッセージとしか思えないなあ・・・。

 

 

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ペット斎場

2011-05-17 05:31:05 | 徒然に

るる子の最後を看取り、火葬とした。

その際、友人から教えてもらったペット斎場へ行った。そこは、うちから北へ30分ほどの、山の中にあった。

山の中にしか作れないだろう・・・そこは、鶯が鳴き、季節の花が咲いていた。

風体にあまり構わないような女性がつっけんどうに対応に現れた。黒い服は着ているものの、汚れているし、作業後の服装といった感じだった。

メインで作業をしていると思われる男性は、物腰もやわらかく、優しそうな感じがした。

ご夫婦だろうか・・・女性側の言葉の使い方で、ご夫婦だとわかった。

るるの足形をとってくれた。そして、いっしょに拝んでくれた。その言葉のひとつひとつに救われるようだった。私は、後から、後から涙がでる。

お骨になるまでの時間、私は外を散策していた。そこには、たくさんのペットの墓石がある。名前が書かれていて、立派なものだ。

端には、共同墓地があった。

女性が私に話しかけてきた。「この、墓石の人は、一回来たきり現れない」「この墓石の人は・・・・」と、なんと全部の墓石に関して、その後飼い主がどうしているかを、記憶しているようだ。

彼女は続ける。「火葬してあげたことが供養だからいいんです。でも、いつまでも一人で墓石の中に入っているのでは寂しいでしょう。共同墓地に入れてあげて、友達をいっぱい作った方が、犬は幸せですよ。」

共同墓地は5000円。墓石を建てると、安くても13万円はかかる。この人は、商売をしないのだろうか・・・高い墓石を買ってもらいたくはないのだろうか・・・。

改めて、周りを見回してみる。ごみひとつ落ちていない霊園。花がたくさん植えられている。さっきまで、つっけんどうに見えていた彼女が、とても心温かい人に見えてくる。

そうか・・・・私がつっけんどうな態度をとっていたのではないのか・・・。相手の態度とは、自分の態度の価値鏡だと、昔大学時代の友達が言っていた。

最後に彼女は、「今は、どんなお墓にするか考えなくていいんですよ。遺骨を持ち帰り、納得するまでそばに置き、ご家族と話し合ってください」そう言ってくれた。

るる子が亡くなったことは、悲しい。でも、彼女をもの扱いにして欲しくはなかったから・・・このペット斎場を選んでよかったと思った。悲しい心に、寄り添ってくださったご夫妻に感謝している。

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仙台空港に行った

2011-05-16 07:48:31 | かたまった

おととい、昨日と仙台空港に行った。

送迎だから、二日間になったというわけだ。震災から二か月がたち、私たちの生活はおおむねもとに戻った。

重い水汲みやらの後遺症で、接骨院に通うことになったりしたが、中断されていた学校も再開したし、テニスも始まった。

仙台空港は仙台市から南、岩沼市というところにあるのだが・・信号がまだ復旧していなかった。多摩警察署のパトカーがおいていあり、警察官の方が、信号のポイントすべてに立って、交通整理をしていた。

空港近辺の見慣れた食堂は、軒並休業。そのままの姿で放置されているようでもあった。ところどころに、壊れた車の山ができている。

改めて、眺めてみて・・・ここは、避難場所がない。眞っ平らな平地が続いている。それも海のそばに・・。唯一逃げられるところがあるとしたら、仙台空港のターミナルビルだろう。他に高い建物はない。

食堂でほっと食事をしていた人もあったかもしれない。そばを茹でていた人もいたはずだ。その人たちは無事に逃げられたのだろうか・・・。海からの距離を考えると相当に早い時期に、ありえない英断をしない限り、助かれなかったのではないか。

二か月たって、今、改めて震災のむごさを感じた。

 

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愛娘るる子が天国へ旅立ちました

2011-05-13 19:04:31 | Weblog

5月10日火曜日 午後6時40分 

私、三男、おじいちゃん、おばあちゃんに看取られ、抱きしめられて、るるが昇天しました。

胸部ヘルニアのために、神経を圧迫、下半身が動かなくなりました。肺に水が溜まったため、呼吸がとても苦しそうでした。

寝たきりになります と、宣告されました。月曜のことでした。私はるるの居場所はリビングと決めました。いつでも、家族を感じながら暮らしてほしいと思ったからです。介護グッズを購入しました。覚悟を決めました。でも、不安でいっぱいでした。

仕事はどうなるのだろう・・・。るるはどのくらいの時間ひとりでいてくれるだろう・・・。

火曜日は震災後初めてのテニスでした。るるは、朝は窓際のベットから外を眺めていましたが、私がでかけるころになると、辛そうに手足を動かしています。テニスには行かず、るるのそばにいました。

でもまさか・・・その日にるるが亡くなるなんて思いもしませんでした。

夜には、弔問にたくさんの方が来てくださいました。

今はたくさんのお花に囲まれて、遺骨となって我が家にいます。

 

 

 

 

 

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言葉のこと

2011-05-04 13:27:02 | なっとくる

日本語を教えるようになってから・・・・

日本人として母語を思うとは違った感覚で、スタンダードな日本語というものを考えるようになった。

この分野は幅が広く、言語学 歴史 文法 語彙 と様々なことを、日本語について学ぶ。

女性言葉、男性言葉、立場による言葉(位相語)、そして、外国人の敵→ 尊敬語 など・・・日本語は様々な側面を持つ。

面白いという思いがあればあるほど、最近の言葉のあり方に、使われ方に失望も感じていた。どのように使われるかが、文化であるのだから、実はこうでなくてはならない!という、強い、正しい答えはない。みんなが使っていけば、間違った日本語も定着し、それが新しい日本語へと転化を遂げていく。一所懸命と一生懸命が同意語で同時に存在することの意味もそれでわかった。

若者たちは、回りくどく、じゃないかなあ・・・まちがっているかもしれないど、~じゃないかと思わなくもないなあ・・・とか、若者文化として日本語を転化させている。

でも、先日ブログで触れた、階上中学校の生徒さんの答辞に、私は強く、改めて言葉の力を感じとった。

橋上中学校といえば、防災教育といわれ、内外から高く評価され十分な訓練もしていた
わたくしたちでした。
しかし、自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力で、わたくしたちから大切なものを
容赦なく奪っていきました。
天が与えた試練というのはむごすぎるものでした。
つらくて、悔しくたまりません。
しかし、苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え、助け合っていくことが
これからの、わたくしたちの使命です。

 

彼は、短い無駄のない文章で、的確な言葉を使い、人の心を打つ。

そして、最後に 『使命です』と、言い切った。強い思いがまたしても、私の心に響く。

美しい日本語を語る会 2002年 は 美しい日本語を定義している。

美しいことばとは、相手を思いやることばや、相手や場面にふさわしいことば、ある事柄を表現するのに

これ以外はないと言えるぴったり合ったことばのことである。

 

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