どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

奇妙な光景

2011-11-02 09:59:14 | ぼっとん

朝、スタバしてきた。(日本語教師がこの手の日本語を使うこと自体に問題を感じながら・・・)

そうそう、私は正式な日本語教師になりました。一年間の課程を修了し、日本での資格を得ました。

美しい秋の朝。専門書とノートを持ってウォーキング。スタバでカフェモカを飲みながら、勉強をしていると・・

若いお母さんと店員さんとの会話が聞こえてきた。

用事があるんですけど・・・。はい、途中の退出も大丈夫です。そうですか・・・よかった。

スタバでは、どうも若い親子連れ向けの、絵本の紹介会のようなものをやっているのか・・・・。一度街場のスタバで席の移動を促されたことがあった。

企業努力しているのだなあ・・と感じたのを覚えていた。

すると、バタン!!と、大きな音が、入り口のドアの外で聞こえた。

若いお母さんは、ゆっくりとスタバをでて、その音の方へ向かった。見れば、小さな子供が(2歳くらい)いる。お母さんは、そこに倒れている、スタバの看板を起こし始めた。

つまり・・このお母さんは、二歳くらいの子供をスタバの外に待たせておいて、自分一人が中に入り、絵本の紹介会?について聞いていたことになる。

このお母さんは、一言の言葉も発せず、看板を起こし(元通りにするのではなく、そばに立てかけて・・)歩きだした。すると、あろうことか、二歳くらいの子供が自分のベビーカーをひっぱりながら、お母さんの後ろを追っている。

お母さんは自分の歩を緩めることなく、普通の速さで歩いている。前をしっかり見つめながら・・。

振り向かれることもないその小さな子は、必死で自分のベビーカーを引っ張っている。そして、二人ともが私の視界から消えた。

大学院での私の研究テーマは、「カルチャーショック」。異文化の接触である、異言語の習得において、カルチャーショックがいかに、その習得の妨げとなるか、そしてそれを最大限に少なくするための、教授法を考えるというものだ。

しかし、最近の私は、どちらかというと、アジアの生徒たちにこそ文化の相似を感じている。

そして、今朝の光景こそが、私にとってはもはや異文化であるとさえ、感じてしまう。

私は、小さなあの子が心配でたまらない。

 

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ブログ・・・・・

2011-11-01 05:28:20 | おっとこどっこい

ブログをやめようかと思っていた・・・

なぜかという、今、忙しいから。でも、私より忙しい人は山ほどもいるはずだが・・・

気持ちに、心に余裕がないからということが理由かな。

思うところがあって、大学院を受験することに決めた。今は、英単語をカードで覚える日々だ。

専門に関しても、手当り次第に本を読んでいる。

動機は・・・おいおい、ブログでも語ることになると思うが・・・それは、院生として、学びの場に再び立った時、発信していきたいと思う。

とにかく今は、スタートラインに立たなくてはならない。

そんな中、昨日、ちょっとした出来事があった。

仙台市近郊のわが町。地下鉄の最寄りの駅までは、バスを利用するか、歩くか、自転車。このバスが曲者で、直線で結べばたいしたこともない距離をあちこちの団地を経由していくものだから、歩くと同じ、いやそれ以上の時間がかかる。では、なぜ歩かないか・・・そのルートは山越えまでとは言わないが、坂道だらけ・・ましてや、おもい荷物を持っていたら、歩きたくはない。

昨日の朝は雨が降っていた。いつもは、原チャバイクで通う息子を、車で送って行った。

帰りの時間は? そうだな、9時半くらい。わかった、その時間に迎えに行くね。

と、朝は会話していた。

確認しようと、午後に息子の携帯にメールを入れると、二階で音がした。あ、携帯を忘れて行ったんだ。

すでにそこから、悪い予感はしていた。携帯がなかったころ・・・ロマンチックな行き違いがあちこちであったが・・今は、そんな時代ではない。

相手がどこにいるかまで、特定できるような、そんな時代だ。

でも・・息子は携帯を持っていない。

連絡がつかないまま、私は9時半ちょっと前から、駅に車をとめて、彼の帰りを待った。

結果、彼は1時間半しても現れなかった。私は、正直、「怒っていた」。約束を反故にされたのだし、私の受験勉強の貴重な時間は、ただ待つというなんとも理不尽なものへと変わったのだから・・・。

私は、待っている間、ただ待っていたのではない。あちこち、電話をかけて、どうしたらいいかを相談した。家族から帰ってくる返事は、「待て」だった。そう言われれば、その場を出た途端に息子が現れるような気もした。

ひとり、息子の親友にもメールをした。もしかして・・・何か連絡がいっているかも、と思ったから。

彼からは連絡がないこと、そして今の状況を「心配ですね」と返信が帰ってきた。

私は正直「はっと!!」した。私は、現れない息子、待たなくてはならない理不尽な時間に、相当「怒って」いたけれど、「心配」はしていなかった。

息子の親友の優しいことばに、なんだか自分の心の余裕のなさを指摘されたようだった。

・・・・ブルグも心の余裕。

ちょっとずつ・・・少しずつ・・・続けていこうと思った。

 

 

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