きれいなピンクのバックに、気持ちがすっとかわっていく。
実際、ほんのささいなことで、気持ちは変わったりする。卵をわったとき黄身が二つあったりすると、なんとなく自分はツイテイルヨなんて思ったりする。
今日は首と肩が痛くて、授業をひとつさぼって帰ってきた。今日の締め切りにあわせてコンを詰めてパソコンを打っていたのが悪かったのか。・・恐れていた事故の後遺症か(まだ、一週間だけど・・)、天候不順で走っていないためなのか・・・はたまた、あわてて始めたピアノのリハビリのためか・・・訳がわからない。
だけど、意識して、心もち心の持ち方を変えないと、落ち込みが高じて、どんどん落下していくような気がする。
落下現象に拍車をかけるのが、授業で学ぶ、アメリカ社会の構造かなあ・・・結局のところ、日本人の私にはわからないような気がする。
この国の先生達はたいへんだ。授業での発言もよっぽど注意しなくてはならない。
今は、社会的な環境が子供達、はたまた教育にどういう影響を与えるかを学んでいいるが、これは本当に大変だ。この国では、社会的階級がはっきりと存在し、それをおおらかに人々は口にする。いったいどういう基準で、ミドルだのアッパーミドルだの、レイバー階級だのと口にするのだ・・・と疑問に感じていたら、あなたの階級を診断ツール という、ペーパーをもらった。家はどんなところにある? どの程度の家?収入は?と、複合的に条件をあてはめていく。それらを点数で表示し、最後は数式に当てはめていた。これ自体もちょっと私には馴染めない。というか、そんな階級、日本でもあるのだが、私が気がつかないだけなのかなあ・・・。
いったいビルゲイツさんは、何になるの?
レース(RACE)という、言葉がある。出身地、出身籍となるのだろうが・・・これがまた難しい。
日本のように、江戸っ子だの、道産子だの、岡山ですなんて、問題ではない。この国には人と人の間に、見えない垣根がたくさん存在する。それも複合的でわかりづらい。宗教の問題ももちろんある。しかし、その垣根を揺さぶったり、叩いたり、壊したりすることはできない。特に先生達はそこにふれないようにしなくてはならない。最近は、やたら、インストラクターが注意しなさいということが多くなった。
人のバックバックグラウンドを理解するのは難しい。一日、一日、ゆらりゆらりと気持ちがゆれていくようだ。