どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

心もち~ゆれる

2007-11-30 04:45:28 | 舞いあがる

きれいなピンクのバックに、気持ちがすっとかわっていく。

実際、ほんのささいなことで、気持ちは変わったりする。卵をわったとき黄身が二つあったりすると、なんとなく自分はツイテイルヨなんて思ったりする。

今日は首と肩が痛くて、授業をひとつさぼって帰ってきた。今日の締め切りにあわせてコンを詰めてパソコンを打っていたのが悪かったのか。・・恐れていた事故の後遺症か(まだ、一週間だけど・・)、天候不順で走っていないためなのか・・・はたまた、あわてて始めたピアノのリハビリのためか・・・訳がわからない。

だけど、意識して、心もち心の持ち方を変えないと、落ち込みが高じて、どんどん落下していくような気がする。

落下現象に拍車をかけるのが、授業で学ぶ、アメリカ社会の構造かなあ・・・結局のところ、日本人の私にはわからないような気がする。

この国の先生達はたいへんだ。授業での発言もよっぽど注意しなくてはならない。

今は、社会的な環境が子供達、はたまた教育にどういう影響を与えるかを学んでいいるが、これは本当に大変だ。この国では、社会的階級がはっきりと存在し、それをおおらかに人々は口にする。いったいどういう基準で、ミドルだのアッパーミドルだの、レイバー階級だのと口にするのだ・・・と疑問に感じていたら、あなたの階級を診断ツール という、ペーパーをもらった。家はどんなところにある? どの程度の家?収入は?と、複合的に条件をあてはめていく。それらを点数で表示し、最後は数式に当てはめていた。これ自体もちょっと私には馴染めない。というか、そんな階級、日本でもあるのだが、私が気がつかないだけなのかなあ・・・。

いったいビルゲイツさんは、何になるの?

レース(RACE)という、言葉がある。出身地、出身籍となるのだろうが・・・これがまた難しい。

日本のように、江戸っ子だの、道産子だの、岡山ですなんて、問題ではない。この国には人と人の間に、見えない垣根がたくさん存在する。それも複合的でわかりづらい。宗教の問題ももちろんある。しかし、その垣根を揺さぶったり、叩いたり、壊したりすることはできない。特に先生達はそこにふれないようにしなくてはならない。最近は、やたら、インストラクターが注意しなさいということが多くなった。

人のバックバックグラウンドを理解するのは難しい。一日、一日、ゆらりゆらりと気持ちがゆれていくようだ。

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真っ青になる

2007-11-29 06:25:53 | うるるん

真っ青になる。突然パソコンがシャットダウンし、立ち上がらなくなる。こちらは、ショックで立ち上がれなくなる。今も写真機に魂が吸い取られると表した頃と実はあまり変わってないのではないか。私などは、パソコンが便利でなくてはならない存在だが、ぱそくんがどうして動くのやら、どうして立ち上がらなくなるのやら全くわからない。電気で動くことのほかは、ハードのメカニズムにはとんとうとい。

今回、いえ、この問題が起こった頃から我が家で出来る対応は、ちょっと休ませよう。。。と時間を置くことくらい。経験上20分以上の時間が必要になる。しかし、なぜ、どうしてかは、全くわからない。疲れているのだろうくらいに考えている。しかし、それが事実ではないことぐらいセンも承知だがどうしようもないのだ。

今日は明日提出の宿題をワードで作成していた。席を離れて、おやつを食べて戻ってみると、訳のわからない画面が出ていた。その間30分そこら。電源を落として、祈りながらピアノの稽古をすること、30分。暗黒の30分だった。そして、今こうやって使っているのだから、ぱそくんはうまく再生してくれた。

どうしてこんなことになるのか・・・・メカニズムを知らないから、不安でしょうがない。

魂が左右されるような、パソコンの故障劇だ。

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先生の評価

2007-11-28 04:19:56 | なっとくる

日本では、私自身はお目にかかったことがないが、こちらのコミュニティカレッジでは、学期の終わりが見えてきそうな頃、先生の評価を学生がする。

ある日、インストラクターとは違った人が教室に入ってくる。そして、評価基準の書かれたプリントを配る。評価は5段階に分かれている。上、中、並ではなく、とっても良い、良い、普通、悪い、とても悪い のような感じ。担当教科のインストラクターは評価が回収されるまで、部屋には入ってこない。けっして、生徒をにらみつけたり、逆ににこにこと変な威圧をかけることもできない仕組みになっている。

生徒はもちろん無記名でよい。それがすべての評価基準ではないだろうが、生徒の意見を聞くのはとっても大事なことで、私は、大賛成。

そして、私はこういうものは、日本でもあればいいなあと思っている。先生の査定を校長先生だけがするのは間違っていると昔から感じていた。子供たち、保護者、先生の上司、つまり校長先生でどうだろう。えてして、校長先生の評価の高い先生は、子供達からの評判が悪かったりしないだろうか・・・。斬新なアイデアをもつ教師を、教師同士が集団で排除したりしていないだろうか・・。誰のために・・と考える先生ほど、悩みも多かったし、労働時間も長かったような気がするのは私だけだろうか・・。それはいったいどういう風に評価されるのだろうかと、気になっていた。

最近は先生があちこちで、問題行動をおこして、ニュースになっている。どんな誤解があってなのか、もともと問題のある方なのかはわからない。時にして、ニュースはゆがんで報道される。しかし、ウエブの自分のHPに子供達の事故の写真を載せていたという教師などは、採用試験でその人を合格にした人も責任を取るべきではないだろうか・・・。資質の問題と取られても仕方のないような犯罪だ。2.3年で人が変わってしまった・・・というようなものではない。

だいたい教員採用試験ってどんな試験なの?と思っている人は多いのではないか。または、大事な観点が抜けているのではないかと疑いを持っている人も、きっと私だけではないはすだ。

まずは、採用試験のどこからに、あなたは子供が好きですか?と入れて欲しい。

でなければ、子供達にも評価をさせるべきではないか・・・・子供達は、公正で、まじめに取り組むと思うのは私だけだろうか・・。

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双方のベクトル 2

2007-11-27 04:15:56 | かたまった

立場が違えば心もちがうのです。

今日も両方の立場を経験する。これは結構どこにでもあるような話。車を買い換えようとして、査定をしてもらいに出かける。

TOYOTA セコイア 2002年 4WD 8V 

鉄人28号でもひっばれるのはないかと思えるほどの力持ち。事故に遭っても、私の首を守ってくれた、力強い見方。査定価格 11000ドル 

そして代替車 1997年式 カローラ これが4000ドル だと。

これから雪のシーズンを迎えるミシガンで、なんでカローラの10年強ものに、その金額を払うの?と、結局、買い換えることを無しにした。

叩いて買って、ゴロニャンと売りつける姿勢が見えたね、はっきりと。それが商売だよね、そうだ、当たり前だ。でも、同時に両方のベクトルを見てしまうと、その接点が微妙にずれているではないか。世の中に等価交換なんて、ないんだ。物々交換の時代から、微妙なベクトルの力関係はあったのではないか・・・・。

できることがらこつこつと地道に積み重ねる、引越し作業。なんだか、大山を超えたのか、よけて通ったのかわからないが、もうちょっと先まで繰り越しだ。

サンクスギビングのお祭りも終わり、さあ、ラストスパートをかけなくては。

外は大雪になりそうな気配だ。やっぱ、私にはセコイア君が必要だ。

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双方のベクトル

2007-11-22 10:51:22 | がっちんこん

こんなことが起こる一日を天中殺というのだろう。

我が愛車、セコイアのバックサイドドアのノブがポロリと壊れた。え?っと思ったけど、取れてしまった。仕方がない、修理する。ちょっとここでも頭にきたのだが、二つの業者から見積もりを取った。値段を比べたが内容を比べることを怠った。安い業者に頼んだが後から、あれも壊れていた、これも壊れていたで当初の値段の三倍にもなってしまった。帰ってから、他社の見積もりとを比べてみると、部品の費用は同じで、労賃が倍ほども違うではないか。安い見積もりを提示したほうは、部品代を度外視して、労賃だけで見積書を作っていた。こちらの落ち度とはいえ、憮然としてしまった。

加えて、修理工場で出来上がりを待っていた私を、迎えに来た次男が、ちょっとしたトラブルから、自分の車のドアを勢いをつけて開けてしまったために、隣の車に傷をつけてしまった。被害者は車の修理を終え、お金を払って、今まさに帰ろうとしていたところだった。謝りに謝った。ひどい目にあわせてしまった。申し訳ない。

こちらも修理で、思った以上に金額を払い。おまけに事故までしでかし、散々な思いをした。

しかしこれでは、終わらなかった・

明日はサンクスギビングの休日。長男も大学から帰ってくるし、気分を変えて祝うためにもと、買い物に出かけた。信号赤で止まっていたところ、ものすごい音がし、振動が走った。一瞬爆弾が落ちてきたのかとおもった。すると、若い女性が走りよってきた。ごめんなさいといっている・そこで、私は後ろから追突されたことがわかった。体が震えてきた。こちらにきて事故に遭うのは始めてだ。彼女が警察を呼ぶという。結局警察がきて、双方が保険等の情報を交換した。私は相手の名前すら知らない・

自宅に戻り、保険会社に連絡する。車に対しては不担保分はないが、私の怪我に関しては三万円弱の不担保があるという。なんにもしてないのに・・・。

首、背中は、二十代の時のトラブルで私の弱いところでもある。心配になってくる。

 

結局一日のうちに双方の立場を経験することになった。もうたくさんんだ。いろいろありすぎだ。いい加減にしてほしい。でも、ま、命を持っていかれたわけではない。

セコイアにきっと私の首も守ってもらったと信じている。

明日が怖いなあ。この歳になるとあさってか?・・・・・。

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炊飯器が壊れた

2007-11-19 20:25:18 | がっちんこん

壊れるの連鎖反応は、科学的に証明できるかどうかは知らないが、必ずある。車のエンジンの調子が悪かったり、後ろのドアが壊れてしまった。開けようとしたら、ボキっと金具が取れてしまった。ブレーキはガタガタ音がする。パソコンが立ち上がらなくなった。ブレンダー(日本ではミキサー)が落ちて壊れた。そして、炊飯器に電源が入らなくなってしまった。

実は、社外秘の話ですが・・・・あははは・・・家族が別途帰国することになった。第一陣が今月末、第二陣は1月末、そしてシンガリが6月末となる。地域事情かちょっとそういうことが、秘 だったりする。そんなこんなで実は今、我が家はひっくり返っているような状態。私はストレスで過食気味。まあ、食べてれば、悲観的にはならないからそれも、いいか・・・と、自分を許してあげる寛大さ。走る時間は思うようにとれず・・・でも、まあ、引越しの時期に、走っているのもなあ・・・と自分を納得させる。

こういう時期は金銭的にも非常に物入りでもある。パソコンという爆弾を抱えながら炊飯器・・・・。値段を見て、買わないことに決心する。

私は、母がカマドでご飯を炊いてくれていた記憶がある。田舎だからかとも思うが、両親が揃って、丁寧に食事を作る考え方をもっていたような気がする。テレビ、冷蔵庫は生まれたときにはあったが、炊飯器は、ごはんが美味しくないからという理由で、随分あとになってから、使い出したようだ。その後も、圧力鍋で玄米を炊いていた時期もあるし、土鍋で芋粥をお米からつくって朝食に出されていた時期もある。

まあ、それが理由で私が学校を遅刻していたといのも事実だ。母は、寝坊をしては、それをはじめるから、出来上がる頃には学校は始まっていた。

炊飯器の便利さは、タイマー機能と、火加減の調節がないことだろうと思う。私は自慢のダッチオーブンでお釜ご飯に挑戦することにした。ダッチオーブンは弱火で調理・・と信じていた最初の二回は、一時間過ぎてもご飯は炊けなかった。そして、べチャっとしたご飯になってしまった。仕方ないから、秋田名物 きりたんぽのようにして、鍋にした。インターネットの検索で調理方法を調べると、あるあるたくさんの人が、ダッチオーブンでご飯を炊いているではないか。

三回目からは、知識を得て調理したので、オコゲありのご飯が炊けるようになった。時間にして30分で食べられる(蒸らし時間込み)。ただ、お米はあらかじめ水につけておく必要がある。これで、買わなくてすんだ。いつまで続けられるかわからないが、炊飯器ではなくてもいいのではないか・・・と思えている。

ただ、三男イワク、炊飯器のご飯の方が美味しい。次男イワク、炊飯器のご飯より美味しい。私は みんなが炊飯器のご飯より美味しいと書いているから、炊飯器のご飯より美味しいでしょう?っと、思っている。

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マラソン雑考

2007-11-19 00:30:13 | 徒然に

風邪をひいてしまった。しかし熱がない。熱がないと、きちんと病気にはかかっていないようで、なかなか休めない。

さて、東京女子マラソンが終わった。見たかったけどしょうがない。野口さんって本当にすごいなあと感心する。渋井さん惜しかったね。7位なんて私には夢のような順位だけど、きっと彼女にとってはそれじゃあダメなんだよね。

いつ頃からかなあ、マラソンをテレビでよく見るようになった。あこがれていたのはノルウェーのクリスチャンセンさん。力強くて美しい人で、颯爽と走る姿にあこがれた。

ただ、私の場合、自分で走ろうという気持ちは全くなかった。陸上部でもない。それどころか、ターザンだった少女時代の面影は全く残っていない学生時代をすごしてしまった。中学で病気を患ったことが大きく影響してしまった。

見て楽しむだけのマラソン。どこが面白いのと、よく友達に言われたが、とにかく面白くて、画面から目を離せないといった感じだった。

谷川さんが出てきたときは、おしゃれなランナーに共感した。

ファンだったのは、千葉真子さん。大柄な私は、一度でいいから、あんな華奢な人になってみたいと思った。

山口衛里さんと、渋井さんには、大柄の連帯感を感じ、気風のよさが大好き。あはは・・・・いいなああ・・・と、ずっと思っているのが福士加代子さん。彼女、フルマラソンを走るというから、楽しみ。

日本に帰ったら、また、駅伝からマラソンまで走るをウォッチングして楽しめそう。

ただ、みんなに勝たせてあげたいけど勝負の世界は厳しくて、ちょっとそれが辛いなあと思う。

私も、ちょっと走ってこよう。

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シューティング(銃撃)予告 

2007-11-16 21:25:43 | かたまった

あっと驚くほど時間が経ってしまった。ブログの更新もそうだけど、なんせ継続することはたいへんです。ほれ、あのレコードダイエットも続けられる人が成功するのだと思うなあ。私には続けられない・・・・。記録し続けるとは結構たいへんだ。

そうそう。標題。驚くなかれ、わが町の高校にシューティングつまり銃撃予告があるという。まずは子供達の間で広がった噂。デトロイトからギャングが来て、高校を銃撃するのだという。え?ギャングがそんな一銭の得にもならないようなことするかなあ・・・・私は、はっきり疑っていた。だいたい高校の乱射事件はほとんどが、その学校の生徒であって、ギャングの抗争の舞台に高校がなったなんて聞いたこともない。ただ、アメリカは銃社会。毎日のようにシューティングは起きているし、それがニュースにもならないのが当たり前の異常な社会ではある。

金曜、つまり今日がその日にあたる。

私は、息子を休ませることにして、学校に、親の判断で学校に行かせないと連絡をいれた。

これには経緯がある。大体この話が持ち上がってきたのが週初めの火曜頃だった。日本人の間では、他の人がどうするのだろうかという話がされていた。それは日本人でもアメリカ人でも同じかもしれない。

私は、風評、デマの類ではあるような気がしていた・・・・子供達に聞いたところ、発端は、生徒同士の他の学校との喧嘩だという。その場で感情的に殴りあったのかもしれないが、高校生に頼まれて、予告どおりに来てくれるギャングがデトロイトにはいるのだろうか・・・。

なんでここまで話が大きくなったのかわからないが、学校サイド、教育委員会サイドは、ホームページに、大丈夫ですという内容の話を載せている。問題の生徒たちとは親も含めて話し合ったのだという。

 

金曜に高校に行く、行かないについては、各家庭でも十分に子供達と話し合う機会があったということになる。私は、行く、行かないは、子供の判断によると考えていた。子供が不安だといえば行かなくてもいいし、大丈夫といえば行ってもいいというような考えだ。つまり切迫した問題だと捉えていない。

いよいよ昨日、どうするかの判断を息子に聞いてみた。三男曰く、学校が、校長先生が、どうして安全だと言ったと思う?先生を教室の外に配置して見張らせます。警察官が学校を守りますという、内容だよ。それって、シューティングが起こることを想定してるでしょう? そんな想定されるような場所に僕は行かない。

そうか、全く正しいなあ。ということで、息子達二人は休ませることにした。ちなみに次男は、エッセイの宿題があるのでそれをやりたいという。

金曜の朝、今日は学校の先生が病気になって来ないんじゃない?という、会話を三男とした。

冗談が冗談でないような・・・・なんとも不可思議な感じがする。

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卒業が見えてきた

2007-11-08 19:01:29 | シュワッチ

こちらに来た当時、わけもわからずに行き始めたコミュニティカレッジ、日本の大学とはちょっと違う。卒業してもらえる資格は、短大のもの。4年生大学を卒業するためには、トランスファーという、転学制度をとらねばならない。こちらでは、単に大卒というのではない。バッチェラー bachelor's degree という、学士の資格も、○○専攻という、科目がセットで語られる。私は経済学部卒なので、bachelor's degree of Ecconomic ということになる。専攻は何?と、卒業資格と対で聞かれる。人によっては、複数の学位をとっている。

コミュニティーカレッジの門は相当に低く設定してある。そして、そこからどんどん転学して、ほしい資格を何歳からでも取ることができる。私は現在、教育のクラスを取っているがほとんどの人が、職業をもちながら、教師の道を目指している。日本より、教師の資格のステータスが低いこともあって、大学卒の学位があると、簡単に先生にはなれるようでもある。何歳からでもチャンスがあるなんて、うらやましい。みんな生き生きと勉強している。

私がこの学校に入ったきっかけは、日本人の女性のアドバイスからだった。高学年の子供は学校で英語、人間関係で相当の苦労を強いられる。(息子達は、高校、中学、小学校でこちらに来た)

親にはそのつらさがわからないから、がんばれとはっぱをかける。その大変さ、つらさも知らずに・・・。あなたも経験してみなさい。どんな思いを子供達がしているか・・・。

紙切れ一枚、student center と書かれていた。を彼女から渡されここへ行くのよと言われた。私は、来て二週間目に、カレッジの学生課へ単身で行った。

何を言われているか全くわからない。こちらの主張のみを喋る。試験をコンピューターで受けた。reading 48% Writting 14% くらいだったかな。とても、大学で勉強できるレベルではない。移民たちが就業のため英語の会話を勉強するボランティ施設に行きなさいといわれたような気がするが、(子供達と同じ苦労をするために、)どうしてもここに来たいと、主張だけしてがんばった。根負けした、学生課の人が、英語の一番低いクラスから入るようにと、手続きをしてくれた。

クラスでは、どこを、何ページを開いているのかさえわからない。指示されていることは全く理解できない。質問をされているのかどうかさえわからない。クラスメート達の哀れみのまなざしは、私をひどく傷つけた。生涯であんな屈辱を味わったことはなかった。またたく間に、私は登校拒否に陥り、子供達の手前、登校拒否とは言えず、病気のように寝ていた。それが6年前の今頃・・・。

なんで、がんばれたのだろう。子供達との連帯感かな。つらい気持ちを理解できたから、がんばれとはとても言えなかった。それどころか、学校へ行く、それだけで、尊敬したからなあ。

学校をやめない決意をして、行き始めても、友達もなく、ただただ廊下を下を向いて歩いていた。私に声をかけないで!!英語で話したくない。

入学時に、経済学をUSで英語で勉強をしたいと主張した。でも、あなたの英語では無理・・・・と、英語から始まった授業。帰国を前に、卒業のかかった最終学期で経済学を勉強するのかと思うと、感慨深いものがある。

この学期をきちんと終了し、ステップアップすることが大事だ。ここで単位を落としたらどうしようもない。

残り7単位。教科は通常3単位だから、1単位足りない。コンピューターの授業を取ろうかと思ったが、音楽の授業を取ることにした。それも、ピアノレッスン。個人レッスンで1単位もらえるらしい。日本へ帰ると、ここで買った中古のグランドピアノともお別れになる。最後、じっくりピアノを弾くのもいいかもしれない。動かない指のリハビリをしなくてはならない。

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ビデオの功罪

2007-11-05 23:17:47 | おっとこどっこい

ちょっと我が家は、てんやわんやひっくり返りそうな状態で、ブログを更新するとはすごい。。。と、自画自賛しながら・・・。ちょっと一休みタイムかな。

てんやわんやでも、今週は試験だし、レポートの提出もある。そしてそれでも、昨日、我が家では送別会をした。10人くらいの大人や子供だから、ちょっと料理もがんばった。気持ちに余裕がないことが辛かったがなんとかのりきった。

実は、私はビデオで撮影をしない。写真を撮ることもあまりしない。料理とかは別にして、子供たちの成長に関しての話だ。

ビデオの普及は子供達の行事を大きく変えてしまった、と、いうのが私の主張。運動会などは、子供達に対する応援はあまりない。それは、親がビデオをとることに一生懸命だということと、なんともビデオやテープで再生される自分の声って、違和感があっていやなものだから、黙ってしまうのではないだろうか・・・・憶測だが。

ビデオで子供を追いかけると、周りの様子が見えなくなってしまう、と、友人が私に話してくれたのは、長男が小学校低学年のときではなかったか。なるほどと、ビデオを撮らないで子供達の行事に参加すると、確かに違う。こちらにも余裕があるし、子供たちの様子も、自分の子供以外のクラス全体の様子がよくわかる。そうだったか・・・と、それ以来、私は、ビデオではなく、自分の目のファインダーで子供達を見つめてきた。

ちょっと笑えない、でも、笑ってしまったビデオ物語をひとつ。女の子のお父さんの話。その女の子は、小学校の運動会で国旗掲揚の係りをしていた。お父さんは、その様子をビデオで撮ろうと、その子をずっと追いかけて撮影していた。国旗掲揚の号令のもと、そちらを全員が見ると、なんと、そのおとうさんが掲揚台の横で娘の撮影をしていた。しかし、彼は、ファインダーから娘のことしか見ていないから、まさかそこにいる全員が彼を見ているとは思いもよらない。私はこういうことって結構あるのではないか、自分も同じではなかったかと反省もした。

また、子供を追いかけるあまり、格好の場所である、来賓席の前に、ずらりとおしりを向けた親が並んだ姿も、印象に残っている。

そんなこんなで、私は実はビデオ隊が好きではない。

昨日の送別会で、なんと、昔の子供達の映像をテレビで映してみた。なんとも、かわいい。そのビデオは私が撮ったものではない。でも、誰かれ撮ってくれていたようだ。子供達もかわいいが、私も若い。無駄な贅肉はなく、顔も小さい。自分で自分を見て、驚いてしまった。そして、こうやって懐かしく思い出せる映像を撮ってくれていた人に感謝した。

自分の思いから、考えから、ビデオを否定してきたが、映像が少なくなってしまって、子供たちに申し訳ない思いがした。なんでも、覚えているようで、記憶は曖昧で、小さい頃の子供達の映像も、私の頭の中にはそのままは残っていない。

ふーむと考えてしまった。功罪がある場合、功を認める必要もあるよなあと思った。

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