どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

日本へ

2006-12-20 19:33:52 | 発っする(ハッスル)

今日出発。

昨日はあれだけ苦しんだ、Sosial Problem の最後の授業だった。エネルギッシュな、インストラクターは、山積する社会問題に関する彼女の思いを学生に伝えていた。

夕方、若い女性が署名を求めて我が家にやってきた。カナダからのごみを防ごう。ミシガンの水を守ろうというもの。詳しい文章をもらい、署名はしなかった。あの、授業を取っていなかったら?????だったろう。なんにせ、努力することに無駄なことはないのかもしれない。

ミシガンの最大の環境問題はカナダやほかの州から受け入れているごみ。何十円/トン というこコストで、引き取り、ミシガンの豊かな森林地帯に放置しいているらしい。

日本はどうなんだろう。子供の虐待、北朝鮮問題、ニュースではこれらをよく聞く。

日本の生活速度は早そう。ミシガンの田舎でのんびり生活をしている私が、今晩は六本木に泊まる。日本で食べたいもの  ラーメン。私は、毎食をラーメンにしたいくらい。

こちらに帰ってくるのは、1月3日だから・・・今年最後のブログになる。

いろいろなことがあった。また。来年もよろしくお願いします。

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人が泣くとき

2006-12-19 00:44:32 | 舞いあがる

大分前のことになる。アルバイトで、某有名予備校の大学入試模擬試験の国語の採点を7年間やっていた。高校生3年生の国語の問題は、なんとも読み応えがあって、実は内容を楽しんでもいた。

その中の忘れられない一編が、人が泣く ことに関するものだった。

人は緊張の最中では泣くことはなく、緊張が取り除かれた瞬間に、その安堵感から泣く というような内容だった。ちょっと、安堵という言葉は適さない場合もあるかもしれないが、緊張感に焦点を当てると広範囲に理解できるかもしれない。

印象に残る例として、誘拐された子供は、親に会った瞬間に泣くのであって、自分の身が危険にさらされていると自覚している間は泣けないと書いてあった。.

それは、実は私にとっては意外な内容だった。どんな時に泣くなんて、考えてもみなかったし、ドラえもんが地球を救うために、ガスタンクに自ら飛び込んだ映画では、私は号泣に近い泣き方をしていたから・・・・つまり、人よりよく泣くのかもしれないから・・・・と思っていた。

ところが、意識してみると、確かにドラえもんを涙ながらに観、おこり地蔵(原爆の映画)を観たときには、声を出して泣いてしまった私でも、緊張感の中では泣かない。

今回、友人が搬送先の病院で緊急施術を受け、命にかかわる手術だと言われたとき、私は一滴の涙もこぼさなかった。結果がでるまで、諦めないと思う強い気持ちがあった。

諦めようとして、諦らめずにエッセイを書き上げた瞬間、涙がでそうで、出ない。結果が出たわけではないから。

しかし、いろいろあったここ、一ヶ月感慨深いものがある。頭の中はごちゃごちゃで、友人にあなたの言っている内容がわからないと言われたこともあるし、約束の日時は何度聞いても忘れてしまった。

でも、ひとつの決心をした。今度泣くときは、友人が元にもどった時、嬉し涙をたくさん流す。

今はまだ、緊張の中にいる。

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続 虹の根っこ

2006-12-15 07:43:14 | うるるん

虹の根っこの続編を書ける幸せ。

最初の根っこはこちら。http://blog.goo.ne.jp/marima2naru/e/75908e8210861afd4cd7b15ee522a6ed

最近の私のブログは暗い。昨日など、日本から心配してくれた友人が電話をくれた。国際電話なのにもかかわらず、その優しさに甘え、喋るだけ喋らせてもらった。友人の近況は最後3分も聞いていないのに・・・。ありがとう。

今日は、何かを信じて走りに出た。

ミシガンの悪天候と、私の悪心境が重なり、走れない日が続いていた。天候はうす曇り。少し青空も見えていた。

体が重い。あれ~アキレス腱が痛い~その上、青空があるのに、霙のような、雨までもが降ってきた。なんで~と思いながらも走り続けられたのは、葉が落ちてしまった木に固く小さな新芽を見つけたからかな。

耐えて、最終コーナーを曲がったところで、言葉を失う。なんと、うちの方向から、まさに我が家から虹が出ている。

ということは、我が家が虹の根っこになってる?ナイヤガラで見た虹ほど大きくはない。角度にして10°位の円周。でも、はっきり虹だ。

私は、小躍りしながら我が家に向かう。と、それは、それ、昔みた虹のように、根っこは遠くに行ってしまった。でも、私は、はっきりと我が家から出ている虹を見た。

最近抜け毛がひどく、自慢の美貌もちょっと・・・・やせ気味の愛娘ルル(コリー犬)にも、見せてあげようと、うちに入り、彼女を連れて出てくる間5分。虹はもう、消えていた。いったい何人の人があの虹に気づいただろう。

私は、私の為にだけ、がんばってと虹が出てきてくれたようで、なんだか泣けてきた。母かもしれない・・・・菩薩様かも・・・・。ありがとう。

余談 母の命日に、兄が流れ星を見たという。そして、あれは母だったという。似たもの兄妹だなあと思う。

 

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迷う

2006-12-14 23:43:26 | なっとくる
老人の忠告は冬の太陽のようなものだ。光を与えるが暖めはしない。
                           byヴォーヴナルグ

求められる前に忠告するな。
                         byエラスムス

忠告を与えるよりも、与えた忠告を役立たせるほうが、いっそうの知識を必要と          する。
                           byコリンズ

忠告を求める者は、十中八九がお世辞を期待しているのである。
                             byコリンズ

多くの人々は忠告を受けるも、それによりて利するは賢者のみ。
                           byシルス

・忠告は密かに、称賛は公に。
                            byシルス

・戦争に行く者と結婚する者には、決して忠告するな。
                         byスペインの諺

 
困難なことは?――自分自身を知ること。
  容易なことは?――他人に忠告すること。
                          byタレス

女性は、結婚衣装を着けるまでは忠告を受けつけない。
                          byアディソン

汝自身より優れた忠告を言うものなし。
                          byキケロ

忠告 とは・・・・と、語源を探してみたら・・・・見つけた。


以前に未熟な自分が、人に忠告をしたことがあった。
求められる前にしてしまった忠告は、相手には受け入れられなかった。
それは、そう。だって、相手は必要だと感じないのだから、受け入れない。
そこで、私がわかったこと。相手のためにと思って勇気を出してした忠告のつもりだったが、それは自分が耐えられずにした忠告だったということ。修飾部分を削り取って、シンプルに考えるとそうなった。
それからは、人に忠告することは一切なくなった。ハイリスク マイナスリターンに違いないと確信したから。
今回は迷っている。

でも、これだけの格言を目の当たりにすると、やはり、躊躇する。



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親身と親切

2006-12-12 23:20:37 | 徒然に

こちらにきて、相手の思うようにしてあげることが、大事だと考えるようになった。

自分の基準ではなく、相手の基準に合わせる。

ところが、これが難しい。はっきりと、こうしたい と意思を表明してくる人なら、その人の真意にも添えるが、これがはっきりしないと、まるっきりなんにもできない。

何にもして欲しくないと思っている人ならいいけど、何かしらの助けが欲しいと思っている人なら、申し訳ない。

私にも苦い経験がある。引越しの掃除を手伝うからね。何人もの人から声をかけられたのに、大丈夫だから・・・・。と、遠慮して答えた。内心は、それでも、誰か来てくれるに違いないと思っていた。

誰も来なかった。いったい、あなたは友人のひとりも居ないの?と、来てくれた親戚に言われた。・・・・・。

日本人は奥ゆかしいのよ。

親身になって考えたり、親切にしたいと思っているけど、それはあくまで自分の価値判断だから、難しい。

しかし、親身になるとは、親の身になって考えることか。親切とは、親を切ること?ちょっとどういうこと?

親切とは・・・(ちょっと拝借)

親切」の語源について調べてみますと、元々は中国の言葉で「親」は親しい人、「切」は刃物が肌に直接当たって肌身に応えるという意味で使われ、身近にいてぴったりとくっついている人という意味があったようです。
 また、「切」という字には、我々が通常使う“切る”という意味と同時に、声に出るほど「切切」と胸に迫るという意味もあるとの事で、論語や漢詩の中で感情を強調するときに好んで使われていたそうです。このため、親のように親身になった扱いを「親切」と言ったとの事です。
 老子は「親切」について、『本当の親切とは、親切にするなどとは、考えもせずに行われるものだ』と言っています。

何のことはない、同じ意味だった。それでは、標題にした意味がないではないか。

自分の薄学に恥じ入るべきですね。

しかし、親切は難しい。相手の立場に立つのも難しい。何事も批判せず、受け入れればいいのだろうが・・・・こちらの身ももたない。

 

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クリスマス バスケット

2006-12-12 08:02:00 | 徒然に

クリスマスが近づくと、クリスマス用バスケットをよく見かけるようになる。こちらの来た当初は、これがどうも????わからなかった。最近になって、こちらでは、バスケットに色々なものをアレンジして、贈り物にするのだとわかってきた。最初から作られて売られているバスケットもあるし、手作りのクッキーや、お菓子を、ワインや、ハム、チーズなどと、アレンジして、自分で作るものもあるらしい。もらったことも、あげたこともないから、見てるだけ・・・だった。

毎年、クリスマスの頃になると、何をプレゼントにしようか、迷いに迷う。

今年は、手作り品でいこうかと思う。

次男のピアノの先生には、ショールを編んだ。息子のピアノの音が、柔らかく優しくなり、また、人前でもショパンのワルツを弾いてくれるようになった。????私は、天地が逆さになるほど、実は驚いている。感謝の気持ちは、お金では買えないと思ったから、優しく、それでいて個性的な色で、ふんわりショールを作った。

優しく付き合ってくれたお友達、テニスコーチ・・・・・今年は、手作りでいく。あれだけフードネットワークチャンネルを見たのだから、なんとかなるに違いない。

http://www.foodnetwork.com/food/home

さて、最終試験を来週控えながら、どれだけ頑張れるか。今年最後のアガキを楽しめるか、苦しむのか・・・・。

そして、20日~3日までは、日本に帰ることになる。

 

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リセット

2006-12-11 03:08:46 | 現実とは・・・理解できないこと

電子辞書の単語登録がいっぱいになったので、消したいけどどうしたらいい?

聞かれて、私は、リセットすればいいと答えた。

ひとつひとつの単語の意味を引き、登録してきた歴史は一瞬にして消える。

ふと友人のことを思う。

彼女は、ひとつひとつ、毎日の生活のなかで、積み上げてきた歴史を、全部ではないにしろ、リセットされてしまった。自分の意思でしたのではないから、されてしまったとしか思えない。事故だったのか、運命だったのか。わからない。

行ったり来たりを繰り返す記憶。私の存在は覚えてくれていても、どんな風に私と接してきたかは、きっと定かではない。

先日の電話での会話。 アメリカに着いたら電話してね・・・・。ここで会ったのに。

そう、病院から電話をかけてくれた。

私のこと覚えてますか? 

もちろん。毎日あなたのことを考えているのよ。

うれしいなあ。色々な人が私のことを考えてくれているよ。

何より悲しいのは、彼女が、あんなに大事に育ててきた息子を、産んだ記憶がないこと。薬ものまないようにして、おなかの中で大事に育ててきたのに・・・。

これから先の方が長いのだから、起こったことを考えてどうしようもないということは、私にも理解できる。でも、考えないではいられない。

彼女の周りにいる人たちも、もっと自分にできることはないの? もっと自分を犠牲にしても、助けてあげるべきではないの? と、自分を責めている。

どこかで、線を引く、思い切る、気持ちを切り替える、運動をして積極的思考に切り替える・・・やるべきことは、そんなことなのかもしえないが、わかっていてもできそうにない、弱い自分がいる。

リセットは重く過酷だ。

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ただの値段

2006-12-05 00:19:05 | かたまった

やはり、ただは高くつく。わかっていたけど・・・・やられた。

先人の知恵、ただほど高いものはない  と思っていたのに・・・くやしい。

恥ずかしくて、隠したくなるが、ここでかくすと同じ被害に会う人が出てくるかも・しれないので、・・???(居ないとは思うけど)、社会正義から、私の失敗を敢えて公表する。

ことの発端は、FREE(ただ) のアンダーウエアーを送りますというダイレクトメール。この手のダイレクトメールは大抵無視するのだが、まあ気をつければ大丈夫、つまり自分にはそれを注意し、だまされることはない、洞察力が備わっていると判断して、ただの下着を送ってくれるように、はがきを出した。

下着が届いて、一ヶ月位して、今度はストッキングが届いた。質のよさそうな3枚のストッキング。請求書も入っていないし、下着メーカーと同じところだったから、またサンプルを送ってくれたのだろうと判断した。

なかなか親切な会社じゃない。気前がいいなあ  と。思ったことを正直に告白する。でも、すぐに使いたくなるような代物ではなかった。US仕様はなんともでっかいのです。スポーツ用でも、でっかい。

だから、もし、これをお金を出して買うか?と聞かれれば絶対に買わない。自分にはフィットしていないから。要は、ただだからたんすの肥やしになってもいい、くらいのおおらかな気持ちでいられたのだと思う。

ところが、昨日それに対する請求書がきた。ストッキング三枚で15ドル弱。1600円くらいかな・・・・。どこで引っかかったのだろう。ただの下着のオーダーはがきしか出していない。何も注文していないのにどうして?

電話で問い合わせてすべてがわかった。この商法は、品物を送りつけ、返品しないで期日がすぎると、それを買ったと判断して、請求が発生するらしい。ふむ・・・。

しかし、こちらにも負い目がある。ただだと思って、タンスにしまいこんでしまった。

電話で、これに対する支払いはするが、二度とダイレクトメールを送ってこないように、言った。

こんな商法もあります。ただは、やはり怖い。ただで物をもらえると思ってはいけない! だいたい、小心者の私は、食品試食さえもしてこなかった・・・・買わないといけない気がして・・・・。なのに・・・・・。

英語の問題もあったかも・・・。人に見られていない安心感もあったかも。

同じ間違いをしないように・・・ただには気をつけよう。

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PROUD OF YOU

2006-12-03 21:38:56 | 徒然に

~be proud of ○○  だと、~は○○を自慢に思う。誇らしく思う という意味になると、中学校で習った。

日本で英語を使うこともなかったけど、正直この言葉を日常生活でつかったことはなかた。

こちらにきて、ちょっと驚いて、ぐぐっとこみ上げる、吐き気ではなく感動があるのが、

I am proud of you という表現。

直訳すると、私はあなたを誇りに思う。悲しいかな、ボキャ貧で他の訳が浮かばないからもあるのだが。。。。。面と向かって、自分を自分以外の人から誇りに思うなんて言われると、照れる以前に、神聖でおごそかで、ありがとうという、ちょっとした感動に包まれる。

デトロイトハーフマラソンを走った翌日、テニスグループのコーチから、どうだったと聞かれて、全部走ったよ、感動した・・・と話したら、彼女から I am proud of you と、言われた。

実は、もっと、軽い意味合いで、アメリカ人同士ではよく遣われる表現なのだろうと思う。実際のところは・・・。

ただ、日本人同士で相手をたたえる時に、そういう表現を使うだろうか。ただ、使う単語の問題であって、内容的には、よくやったね、がんばったね と、いうことなのかもしれない。

息子が小学生の時、私は彼を 私の自慢の息子です と言ったことがある。

相手を選んだつもりだったが、その時の相手は、そうですか優秀なお子さんなんですね・・・・と。即座に、私はそういう意味に取られてもしかたない表現なんだと思った。

その時の私の気持ちは、世の中が決めた、偏差値的な価値判断ではなく、親が子供の存在をまるごと自慢に思えるというようなものであって、どれがどういう風にすぐれていてとかいうものではなかったから、説明も難しいとも思ったし、誤解されたままにしておいた。

その後、息子の6年生の担任の先生と話すことがあった。彼は若く、子供たちからも、親からも信頼されていた。

彼は私の自慢の息子です。と、話した後、誤解されるかも知れないけど、優秀とかじゃなくて・・・・・

わかります。お母さんの言ってること。

彼は僕にとっては、自慢の生徒です。

心がびたっと通じる時の嬉しさは、ちょっと経験しないとわからないかも。この人とは子供をみる価値観を共有できるとはっきり思った。先生と価値観を共有することは、今の時代決して容易ではない。

今年息子はその先生と、同窓会をするらしい。ネットの便利さもあって、米国と日本でうまく企画を立てているという。先生も、二児の父親になられたとか。

米国のきらきら絵本を、お子さんたちのお土産にしようと思っている。

 

 

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フロージングレイン

2006-12-02 23:06:08 | 徒然に

フロージングレイン。凍った雨。

日本でフロージングレインを見たことはなかった。雪が降るのではなく、氷が空から降ってくるのでもない。降ってくるのは雨。しかし。その雨は落ちた瞬間に凍りつく。すべてのものに凍り付いていく。道路は瞬く間にスケートリンクになる。危険な現象でもある。

今年初めてのフロージンフレインの朝(昨日)、雨にぬれながら、ごみだし作業をしていた。ふと見ると、葉が落ちて枝だけが残っている木々に、氷が付いている。葉の付いている木の、葉も凍り付いている。水滴が凍るのでなく、全体が、凍るから、木が透明な木になった感じがする。また、葉が凍ると緑の木のシャーベットになる。白でもない、緑でもない、不思議な色。どこまでも透明で、幻想的な風景。

こんなシャッターチャンスめったにないのに、カメラがない。

こんな日は、運転もしないで、うちに居るのが一番。昨年から取り掛かってはいたが、忙しさにかまけて放り出していた、自分用のセーターを引っ張り出し、もう一度編み始める。

編み物は確か五歳のころからしていた。冬になると、こたつの中で、編み物をしていた、祖母に教えてもらった。日ごろ忙しそうに動き回っている祖母だったが、さすがに冬になると、炬燵の中で過ごすことが多かった。長い冬の時間、祖母は丁寧に私に鈎針の編み方を教えてくれた。

家族の中で、祖母はとても背が高かった。きっと160CMを超えていたのではなかったか・・・。すらりとしたモデルのような体形をしていた。私の母も身長は低くはなかったが、祖母の方がはるかに大きかった。私は祖母に似ているとよく言われた。ジャンクフードや、ケーキの好きな私は、祖母ほどはすらりとはしていないのだが・・・・・

祖母が寝たきりになったとき、彼女を背負うのは私の役目だった。母は小さくて彼女を背負いきれなかった。私は、自分の方が大きいし、がっちり力もあって、祖母を楽に背負えた。あまりに軽かった祖母の印象はいまだに私の中にある。啄木の思いもわかるような気がした。

あれれ、念を継いでここまできてしまった。祖母のことを思い出すなんて・・・。やはり人間にはゆとりが必要だということか。

ココ何年か、人のためにショールを編んだ。病気の人のためにやさしい色の細くて軽い肩掛けショール。生まれてくる赤ちゃんのためのおくるみ。

今回は自分のために編む。自分でデザインした、自分のためのもの。色はオレンジ。さて、日本に帰ったらみんなが驚く派手さになりそうだ。年末帰国に間に合わせなくては・・・・・・。

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