空気が読めるはずはないのだから、(物理的には)つまり、周りの気持ちを察することができない ということだろうか。
周りを意識せず、長いものにまかれない、個性的な人?
一般的にはいい意味で使われているとは思えないが・・・。
正直に告白するなら、私は実は自分を気配りの人だと思っている。あれこれと、特に人の気持ちなどの機微にはとりわけ、敏感に反応すると思っている。しかし、わが息子が言うには、お母さんはKY、つまり空気が読めない人だという。
なあに言ってんだ~くらいに思っていた。
ところが、どっこい、どうもそうだったみたいだ。
そうだったみたいとうのはつまり、人から以前こうでしたね?と、指摘されたというわけ。
人は実は渦中にあっては、何も言ってはくれない。ひとつの境地を得て、スタンスを変えたとき、考えを変えたとき、初めて、そうですか、よかったです。実はね・・・・・以前のことですが・・・となる。
とするなら、このスタンスチェンジがない限りは、だれも何もいってくれないから、自分が空気を感じていないということに気付きはしないということになる。
果実がころりと熟れた頃合いを見計らうように、人にも頃合いがあるような気がする。
果実の頃合いが周りの環境に左右されるように、私も周りの人たちから、頃合いを与えられたような気がしている。
やはり、出会いこそ 人生の醍醐味なのかもしれない。