私は正真正銘、英語が大嫌いだった。恥ずかしいことに、教育熱心な母親から、そろばんよりも英語教育と、今で言う早期教育を施してもらった。なるほどやり始め当初から中学にかけてと、テストの成績はよかった。しかし、性格も災いして、発音に対するコンプレックスと、高校でも中学と同じレベルの努力しかしなかったことにより、成績はがた落ち。早々にやっても無駄なことに対する努力を放棄し、やって伸びる教科に努力を集中させた。嫌いは増幅していった。
長じてから、隣人と仲良くしたいと、韓国語を勉強し始めた。先生を探し、生徒を集め(骨のありそうな友人二人を勧誘)、結構努力を惜しまず準備したが、肝心の内容での努力をしないから、やはり勉強を放棄してしまった。今でこそ、ドラマも入ってくるようになり、楽しんで韓国語を聞く環境もできたが、その当時は苦痛以外の何者でもなかった。そこで、得た教訓は、英語をやってもダメな人間は、他の言語の習得も絶望的だろうということ。つまり、地道な努力が出来ない人は、他の国の言語の習得は無理だろうということだった。
しかし、あろうことか私は今、米国に住んでいる。なんとも、母の先見性を尊敬したことか・・・・。長々と書いたが、実は、とんでもないことを、英語で言ってしまった。困った。カレッジの先生に、シリアスな講義(serious Lecture)を、聞きたいといってしまった。言った瞬間に彼の顔色を見て、しまった!!と思ったが、なんとも貧弱な英語能力では、取り繕うこともできなかった。おまけに、廊下で歩きながらの話だったので、その後時間もなかった。気にはなったが、仕方ない。過去と人は変わらない。忘れるように努力した。しかし、昨日の講義のなかで、彼はまともに、生徒達にむかって、私が(名指しで)シリアスレクチャーをしろと言ってると話した。皆がいっせいに私を見た。仕方ないから、にっこり笑って見せた。私の英語ではきっと、もっとまじめにやれ!と、聞こえたに違いない。先生は、まじめなレクチャーでは学生が寝てしまうと言った。真面目な講義と退屈な講義はイコールではないはずだが・・・・。どっちにしても、私の真意は伝わらなかった。
大学の先生の講義はそのなかで、その人のメッセージや考え方を感じたりできるところが面白い。今の先生は、楽しい、面白いことで、学生に人気が有るようだが、それだけではなく、結構熱い考え方を持っていると感じることがある。しかし、最近は学生の雑談に振り回されて時間が終わってしまうことが多く、彼のメッセージも何も感じられない。もちろん、私の英語能力の問題ではあるが、それだけでもない気がしている。学生に妥協しないで、あなたの意見を聞かせてというつもりが、誤解されるような英語を使ったらしい。困った。どうしようかと迷っている。