令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

家待・越中編(一)(11)花橘を乏(とも)しみし

2011年03月08日 | 家待・越中編(一)友ありて
【掲載日:平成23年1月14日】

たまく 花たちばなを ともしみし
          このわが里に  来鳴かずあるらし



季節は  初夏を迎え
家持は 待ちびていた
立夏を過ぎ  数日が経っている
聞こえてこない 霍公鳥ほととぎすの声
〔ほい ここはこしであった
 温暖な  都ではないわい
 いかな  夏が立ったとは云え これは無理か〕

あしひきの 山も近きを 霍公鳥ほととぎす 月立つまでに 何かかぬ
《ほととぎす  夏立つ月に なったのに なんで鳴かんか 山近いのに》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十七・三九八三〕
たまく 花たちばなを ともしみし このわが里に 来鳴かずあるらし
《ほととぎす 鳴きにんのは ここ越に 花たちばなが 少ないからや》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十七・三九八四〕
                                 【三月二十九日】 

霍公鳥ほととぎす ほととぎす と・・・」
歌記録をる家持の眼に とある歌が まる

たちばなは 常花とこはなにもが ほととぎす 住むとかば 聞かぬ日けむ
《橘が 年中ねんじゅうばなで あって欲し 鳴くほととぎす 毎日聞ける》
                         ―大伴書持おおとものふみもち―〔巻十七・三九〇九〕
たまく あふちを家に 植ゑたらば 山霍公鳥ほととぎす れずむかも
薬玉たま作る 栴檀せんだんばなを 植えたなら 山ほととぎす ずっと来るかな》
                         ―大伴書持おおとものふみもち―〔巻十七・三九一〇〕

〔おお これは 書持ふみもちが歌
 佐保を留守にし 恭仁の都づくりにいそしんでおった折 寄越よこしたものであった
 そう言えば  泉川の別れで 『覚えていますか』などと 申しておったが・・・
 おおっ  そうか そうであったか・・・〕

《兄上が 年中ねんじゅうばなで あって欲し そばったら 毎日逢える》
薬玉たま作る 栴檀せんだんばなを 植えたなら 兄上ずっと てくれるかな》
思わずに こぼれる涙 
今更の気付きが  悔やまれる

半月ばかりの後  
それとはなしに  聞こえ来る声

ぬばたまの 月に向ひて 霍公鳥ほととぎす 鳴くおとはるけし 里どほみかも
《空渡る 月こて飛ぶ ほととぎす 声はるかやな 里いからか》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十七・三九八八〕
                                 【四月十六日】 

〔そうか  そうか 
ほととぎすは  遠い人を思い出させるとか
そうか  そうか・・・〕


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