本の迷宮

漫画感想ブログです。「漫画ゆめばなし」(YAHOO!ブログ)の中の本の感想部分だけを一部ピックアップしています。

夕凪の街 桜の国 (こうの史代)

2006-11-22 14:50:40 | 漫画家(か行)
(2004年発行)


ほっこりと寂しくて・・・
はんなりと優しい・・・。



声高に「戦争反対!」と叫んでいる訳ではない。
戦争の悲惨な描写もほとんどない。



戦後10年。
広島の街では
身体だけじゃなく心に傷を抱えたまま生きている多くの人々がいる。



原爆症で倒れた皆実は終いには目も見えなくなってしまう。
その描写で、1ページ半に渡って白いコマのみが続く。
目が見えないという描写なら、真っ黒いコマにすることも出来るのに、
敢えて、「白いコマ」にした所が
何故か・・・哀しい・・・。



その白いコマに皆実の気持ちが書かれている。

嬉しい?

十年経ったけど
原爆を落とした人はわたしを見て
「やった!またひとり殺せた」
とちゃんと思うてくれとる?

ひどいなあ

てっきりわたしは
死なずにすんだ人かと思ったのに

ああ 風……

夕凪が終わったんかねえ



作者はあとがきでこう語っている。
「遠慮している場合ではない、
原爆も戦争も経験しなくとも、
それぞれの土地のそれぞれの時代の言葉で、平和について考え、
伝えてゆかねばならない・・・」




人々が「戦争」をすっかり忘れてしまうと、
また「戦争」が起こってしまうような気がする。
うわべだけの「戦争反対論」にはウンザリするが、
こういう心の底からじわーっと何かが溢れてくるような
そういう作品は、とってもいい。



「あとがき」より

「夕凪の街」を読んで下さった貴方、
このオチのない物語は、三五頁で貴方の心に湧いたものによって、
はじめて完結するものです。
これから貴方が豊かな人生を重ねるにつれ、
この物語は激しい結末を与えられるのだと思います。



う~~ん。私にとっての
この物語の「激しい結末」ってどういうものだろう?
まだまだ、豊かな人生を重ねていないのか・・・
どうも明確な結末は浮かんでこない。



ただただ・・・
「茫洋とした哀しみ」のみが胸に広がっていくばかり・・・。

もやしもん  (石川雅之)

2006-11-22 14:44:10 | 漫画家(あ行)
(イブニング 2004年16号~  )


菌が見える主人公が出てくる話・・・という事でちょっと読んでみたいな~と思っていたら昨日、某図書館で1・2巻を発見!
即、借りて読んでみた。



漠然とイメージしていたものとは違っていたが面白い。
「農大青春ウンチク漫画」・・・っていう感じ?(笑)



まず、菌たちが可愛い♪
特に沢木にくっついてる<A・オリゼー>が可愛い♪♪
まるでナウシカの肩にいるテトのように見える!!・・・なんて思うのは私だけだろうか?
乳酸菌も可愛いし、和風のL・ヨグルティも可愛い!
こういう感じで菌を見る能力があるっていうのも結構楽しいとは思うのだけど、
E・コリ(大腸菌)が手のひらでウジャウジャいるのが見える・・・っていうのは嫌かな?
見えない方が幸せなのかもしれない。(笑)



こういう農大生活って楽しそうだ。
勿論、現実にこういう農大が存在するとは思わないが、
2巻で行われる「春祭」・・・楽しそうだよね~。
「究極超人あ~る」でも楽しそうな学園祭だな~って思ったがこの「春祭」もなかなか魅力的だ。



菌に関するウンチクでも楽しめるし、大学生活も面白そうだし、キャラも個性的で実にいい!



ただ、女性の顔がどれも同じに見えてしまう・・・。
ま、そういう漫画は他にもいっぱいあるけどね。
女性の服とか靴などの表現がすばらしいだけに、ちょっと残念。



しかし・・・「風の谷のナウシカ」風の衣装だとか、「20世紀少年」のともだち風の覆面とか・・・こういう「遊び心」が楽しいね~♪

妖女伝説  (星野之宣)

2006-11-22 10:58:49 | 漫画家(は行)
(ヤングジャンプ 1979年~1980年掲載)


この作品シリーズは、作者がSFから離れ、その頃読みあさっていた歴史分野の本などに活路を見出そうとして描かれたものらしい。



歴史上(架空のものを含む)の女性たちをモチーフとして星野之宣がイメージを膨らませ、再構成した作品群だ。



ローレライ、カーミラ、八百比丘尼、メドゥサ、雪女、クレオパトラ、サロメ、・・・等、どれも<妖女>と呼ぶに相応しい女性たちばかりを取り上げている。



この作品の中で私が気に入ってるのは、「ローレライの歌」だ。



ドナウ河で遊んでいた少年たちが見た女性。
彼女はひとり岩の上で歌っていた。
少年たちは「ローレライの魔女だ~!」と逃げ出すが、それは何でもないことを怖がって喜ぶ子供らしい遊びの一つに過ぎなかった。
しかし、その後少年のライバルだったハンスが河で死に、
少年の嫌いな酔いどれおやじもまた河で死ぬ。
人びとは「ローレライの魔女」のせいだ。と言い出すが、
少年は、それを人びとの前で否定する。
しかし、本当は少年はあの女性を本物のローレライだと信じていたのだ。
そして・・・女性が普通の人間だと知った少年は逆に女性を恨み、
人びとに叫ぶ。
「魔女だあっ!!
あの女はローレライの魔女だっ!!
この目でみたぞっ!」
狂ったような群集を先導し、女性とその恋人を殺させる少年・・・。

実は・・・その少年の正体は・・・



ひとりの人間の狂気が人びとを狂わせ、とんでもないことを引き起こす。
案外、歴史ってものはそういうものなのかもしれない・・・。


半神 (萩尾望都)

2006-11-22 09:33:15 | 漫画家(は行)
(プチフラワー 1984年1月号に掲載)


この作品はたったの16ページしかない。
・・・にも拘らず、その何倍もの内容が込められている。



体の一部分が結びついている双子の姉妹、ユージーとユーシー。
知性は姉のユージーに。
美貌は妹のユーシーに。
やがて二人は13歳になり、ドクターがある決断を下した。
それは二人を切り離すことだった。
勿論、そうすると自分で養分を作れないユーシーは死んでしまう。
しかし、何もしなければ、二人とも死んでしまうのだ。



今までユーシーの世話ばかりしていたユージーは喜ぶ。

わたしたちは べつべつになれる!
きせきだわ!
あぶない手術?
かまわない!



そして・・・妹のユーシーは死に、姉のユージーはすっかりふつうの女の子として成長する。
しかし・・・




たった16ページで、こんなに重く深いテーマをさらっと描いてしまう萩尾望都の力量に脱帽!!と言うべきか・・・。



「起承転結」がはっきりしていて、描く前のネーム段階でかなりよく練られているのだと思う。



これは姉のユージーの視点で語られているから、読者はユージーに自己投影をしつつ読んでいくことになる。
それが、ラストのユージーの涙をより身近なものとして味わうことになるのだ。



「自己犠牲」とか「人を助ける裏方人生の意義」とか解釈の仕方は色々あると思う。
が、それについては敢えて書かない。読んだ人が独自に解釈していく事に意味があると思うから。



「半神」というタイトル。
勿論「半身」とかけているのだろうが、素晴らしいネーミングセンスだ。
例えば「愛すべき妹」とか「引き離された半身」とか「天使のような妹」とか「無垢のほほえみ」とか「愛よりももっと深く」とか・・・そういう陳腐なものでなく、すぱっと「半神」!とした所がいい。



・・・で、この「神」という言葉。
作品中で出てくるのはラストページのみである。
それまでは「天使」という表現しかされていない。



生きている時は
「世の中の汚れを知らぬ天使」
死んだ直後は
「天使になった」



いつ「天使」から「神」になったのか?



生き残った姉のユージーの心の中で、次第にいつの間にか「神」というものに変貌していったのか?



ラストページ。鏡の中にあんなにきらっていた妹の姿をみつけ、涙するユージー。

愛よりももっと深く愛していたよ
おまえを
憎しみもかなわぬほどに
憎んでいたよ
おまえを
わたしに重なる
影・・・
わたしの
神・・・
こんな夜は
涙が止まらない



瑠璃の爪 (山岸凉子)

2006-11-22 09:19:29 | 漫画家(や・ら・わ行)
(1986年 ASUKA10月号掲載)


妹(絹子・28歳)が実姉(敦子・31歳)を刃渡り23センチの柳刃包丁で刺し殺す!
・・・というシーンからこの物語は始まる。



絹子や敦子の友人や親戚の証言を次々と描く事によって、二人の過去や性格が浮かび上がってくるという表現方法。
こういう手法は小説でもよく使われている。
それを、敢えて”漫画”という表現法を使って描いたわけだ。・・・が、
漫画で描くことで小説以上の何か”メリット”とでも言うべきものがあるかどうか?



勿論、<絵>で描くことでそれぞれの<証言>を
言葉以上の情報量で読者に知らせる事は出来ている。
だが、それ以上の”メリット”・・・何かあるのだろうか?
小説以上の”メリット”がなければ、漫画でこういう手法を使ってはいけないという訳ではない。
ただ・・・山岸凉子が描くのだから、何かもっと凄い事を・・・!と望んでしまうファン心理なのか、ちょっとそういうことを考えてしまった訳だ。



内容に関しては、

妹だけが母に愛されていたという嫉妬からくる
姉の妹に対しての
無意識の悪意・・・”妹を決して幸福にはさせない!”

という ”女の陰湿な怖さ”が実に見事に表現されていて、
改めて・・・女って怖いよね~~っていう気分にさせられる・・・。




(画像の表紙は「瑠璃の爪」なのだが、同時収録されている「鳥向楽」のタイトルページのイラストが使用されている。)


黄泉比良坂 (山岸凉子)

2006-11-22 09:00:35 | 漫画家(や・ら・わ行)
(ボニータ 1983年9月号掲載)


黄泉比良坂とは、現世と黄泉の国(よみのくに) の境となる坂。の事である。
また、「坂」とは「境界」という意味である。



怖いですね~。
自分が死んだことにも気がつかず、常闇の中で目が覚める。
やがて自分の腕がない!足もない!目が見えない!口がきけない!耳がきこえない!
・・・という事に気がつく。



いつまでこういう状態が続くのか不安のまま、次第に自分の過去を思い出し、
そして漸く、自分が死んだ事に気づくのだ・・・。



山岸凉子の絵で、こういう世界を描かれると”お見事!”と思わず、叫びたくなる。(笑)



この世に思いを残して死んでしまうと、こういう形で、地縛霊とか浮遊霊とかになって永遠に彷徨っているのかもしれない・・・。
と、妙に納得させられる、そんな作品。
作者の豊かなる想像力に拍手!!