ジュラルミン(duralumin)は、ドイツのDüren(デュレン)ではじめて作られたということから付けられたものです。またdur-(耐性のある、硬い)アルミ、とも解釈可能であるが、両方かけているとしたら秀逸なネーミングだったわけです。発見者はAlfred Wilmで、1906(明治39)年と結構昔に発見されています。強度が高いが軽量かつ加工性が良いという優れた特徴を持つため、航空機材や自動車材料、建築資材、ジュラルミンケースなど、様々な分野に利用されています。材質はアルミニウムに銅4%、マグネシウム、マンガン各0.5%および少量のケイ素を加えた高力合金がジュラルミンです。これにマグネシウム約1.5%、銅約1.2%とした「2024合金」と呼ばれるものが超ジュラルミンとも言われ、亜鉛5.5%、マグネシウム2.5%、銅1.6%とした「7075合金」は「超々ジュラルミン」と言われています。アルミ合金の一種で現在では7000系と呼ばれているものです。現在では航空機に限らず広く使われています。
そしてこの超々ジュラルミンが戦前の日本のゼロ戦に使われていたのです。当時は零戦以外の日本機の主要軍用機の桁材に広く使われていたそうです。これは住友金属が開発したESD材(当時、零戦に使われた「超超ジュラルミン」の名称)は、時期割れ防止に重点を置いて研究した結果、少量のクロームを添加する事によって時期割れを実用上差し支えない範囲に収める事が出来たそうです。そして、これがゼロ戦に使われた超々ジュラルミンのノウハウだったようです。これは従来の超ジュラルミンより軽くて33%強度が高かったので超々ジュラルミンと呼ばれ、これを最も重要な主翼桁材に使用できたことでゼロ戦の軽量化に非常に役にたったのです。つまりこれは当時、世界一優れたアルミ合金だったのです。当然、強度のある材料を使えるということは、それだけ部材を小さくできるし、さらに胴体の構造体に馬鹿穴と呼ばれる穴をたくさんあけてさらに軽量化しました。その軽量化のため、馬力のないエンジンでも敏捷性や最大速度の向上、バランスのよさ、空中戦性能の向上、操縦性の良さなどを実現したのです。これにより重量軽減の目標は達成可能となったのです。この超々ジュラルミンの登場が、零戦を実現不可能と思われた驚異的な性能に引き上げたのです。
しかし1942年(昭和17年)6月、アメリカ軍はアリューシャン列島のダッチハーバーに近いアクタン島の沼地に不時着した零戦をほぼ無傷で捕獲することに成功したのです。米軍は捕獲した零戦を調べて機体の構造体に無数の穴があけられているのに驚いています。そして機体の徹底的な研究により、零戦が優れた旋回性能と上昇性能、航続性能を持つ一方で、高速時の横転性能や急降下性能に問題があることが明らかとなり、その弱点を衝く対抗策として優位高度からの一撃離脱戦法と「サッチウィーブ」と呼ばれる編隊空戦法がアメリカ軍に広く普及するきかっけになったのです。そしてさらに高出力エンジンを載せた戦闘機を開発し、ゼロ戦の性能を上回ることにつながって行ったのです。
こうした「超超ジュラルミン」の大発明が日本で生まれたのにもかかわらず、意外と日本人自身が知らないのではないでしょうか?もちろん専門家の人たちはもちろん、マニアの人たちも知っているでしょうが、一般の人に広く知られているかと言えばそうでもないと思います。こうしたことはもっと多くの人にも知っていてほしいですね。そして、その素材を強度・軽さとも上回り、さらに“不燃性”の判定も受けた、夢の新合金が開発されたのです。これもまた日本発の生まれで『KUMADAI不燃マグネシウム合金』というものです。開発者は、熊本大学大学院教授の河村能人さんです。従来の難燃性マグネシウム合金等と比べ、低コストでの生産が可能で、リサイクルもできるため、航空機の機体や高速鉄道車両の新素材として、世界の産業界から注目されているのです。
マグネシウムは実用金属の中で最も軽く、資源量も豊富な一方で、強度が低く熱に弱いため、
パソコンや携帯電話など、用途は限られていたのです。そこで、ほかの金属と混ぜる“合金”として、強度・耐熱性・発火温度を上げようと、世界各国が開発を競ってきていたのです。河村教授がマグネシウム研究を始めたのは、1999年のことで、国のプロジェクトに加わったのですが、すでにその研究はやり尽くされたと考えられていたのです。しかし河村は恩師の言葉を忠実に守り、一種類ずつ金属を混ぜ強度を測るという地道な作業を何度も繰り返しては実験をしたのです。その試した数、実に450種類。1%単位で配合率を変えながら、検証を繰り返したのです。河村教授には、『muddle through(マドル スルー=泥沼を這い上がる)』という恩師から受けた不屈の信念があったのです。
そうしてできた「KUMADAI不燃マグネシウム合金」は、従来のマグネシウムに比べ約2倍の強度を誇り、発火温度は1105度と、初めて“不燃性”を実現できたのです。この合金に、アメリカ自動車大手GM社をはじめ、国内外の名立たる企業が熱視線を注いでいるのです。こうして常識を打ち破る夢の金属を開発したのです。それは驚くほど軽く、強くて、燃えないのです。マグネシウムは実用金属の中で最も軽い金属です。鉄の4分の1の重さしかなく、埋蔵量が豊富なのも特徴です。ところが、マグネシウムは強度が低く発火しやすい難点があります。550℃~600℃で発火し、一度発火した後に水をかけると水素爆発が起こるため扱いが非常に難しいです。そのため、軽いというメリットがありながらも用途が限られパソコンや携帯電話などの製品の一部にしか使われることはありませんでした。その強度はそれまでのマグネシウム合金の約2倍、1100℃を超えても発火しないマグネシウム合金になったのです。70年以上に渡って新素材が現れなかった航空機やロケット開発に衝撃を与える未来の金属の誕生だったのです。
こうしてみると、「超超ジュラルミン」が日本で発明され、今度は70年後にさらに強い「KUMADAI不燃マグネシウム合金」がまた日本で発明されたことは、日本人としてたいへん嬉しいことです。これも何かの縁でしょうか?日本発のこうした発明が、今後、世界で役に立ってほしいですね。
そしてこの超々ジュラルミンが戦前の日本のゼロ戦に使われていたのです。当時は零戦以外の日本機の主要軍用機の桁材に広く使われていたそうです。これは住友金属が開発したESD材(当時、零戦に使われた「超超ジュラルミン」の名称)は、時期割れ防止に重点を置いて研究した結果、少量のクロームを添加する事によって時期割れを実用上差し支えない範囲に収める事が出来たそうです。そして、これがゼロ戦に使われた超々ジュラルミンのノウハウだったようです。これは従来の超ジュラルミンより軽くて33%強度が高かったので超々ジュラルミンと呼ばれ、これを最も重要な主翼桁材に使用できたことでゼロ戦の軽量化に非常に役にたったのです。つまりこれは当時、世界一優れたアルミ合金だったのです。当然、強度のある材料を使えるということは、それだけ部材を小さくできるし、さらに胴体の構造体に馬鹿穴と呼ばれる穴をたくさんあけてさらに軽量化しました。その軽量化のため、馬力のないエンジンでも敏捷性や最大速度の向上、バランスのよさ、空中戦性能の向上、操縦性の良さなどを実現したのです。これにより重量軽減の目標は達成可能となったのです。この超々ジュラルミンの登場が、零戦を実現不可能と思われた驚異的な性能に引き上げたのです。
しかし1942年(昭和17年)6月、アメリカ軍はアリューシャン列島のダッチハーバーに近いアクタン島の沼地に不時着した零戦をほぼ無傷で捕獲することに成功したのです。米軍は捕獲した零戦を調べて機体の構造体に無数の穴があけられているのに驚いています。そして機体の徹底的な研究により、零戦が優れた旋回性能と上昇性能、航続性能を持つ一方で、高速時の横転性能や急降下性能に問題があることが明らかとなり、その弱点を衝く対抗策として優位高度からの一撃離脱戦法と「サッチウィーブ」と呼ばれる編隊空戦法がアメリカ軍に広く普及するきかっけになったのです。そしてさらに高出力エンジンを載せた戦闘機を開発し、ゼロ戦の性能を上回ることにつながって行ったのです。
こうした「超超ジュラルミン」の大発明が日本で生まれたのにもかかわらず、意外と日本人自身が知らないのではないでしょうか?もちろん専門家の人たちはもちろん、マニアの人たちも知っているでしょうが、一般の人に広く知られているかと言えばそうでもないと思います。こうしたことはもっと多くの人にも知っていてほしいですね。そして、その素材を強度・軽さとも上回り、さらに“不燃性”の判定も受けた、夢の新合金が開発されたのです。これもまた日本発の生まれで『KUMADAI不燃マグネシウム合金』というものです。開発者は、熊本大学大学院教授の河村能人さんです。従来の難燃性マグネシウム合金等と比べ、低コストでの生産が可能で、リサイクルもできるため、航空機の機体や高速鉄道車両の新素材として、世界の産業界から注目されているのです。
マグネシウムは実用金属の中で最も軽く、資源量も豊富な一方で、強度が低く熱に弱いため、
パソコンや携帯電話など、用途は限られていたのです。そこで、ほかの金属と混ぜる“合金”として、強度・耐熱性・発火温度を上げようと、世界各国が開発を競ってきていたのです。河村教授がマグネシウム研究を始めたのは、1999年のことで、国のプロジェクトに加わったのですが、すでにその研究はやり尽くされたと考えられていたのです。しかし河村は恩師の言葉を忠実に守り、一種類ずつ金属を混ぜ強度を測るという地道な作業を何度も繰り返しては実験をしたのです。その試した数、実に450種類。1%単位で配合率を変えながら、検証を繰り返したのです。河村教授には、『muddle through(マドル スルー=泥沼を這い上がる)』という恩師から受けた不屈の信念があったのです。
そうしてできた「KUMADAI不燃マグネシウム合金」は、従来のマグネシウムに比べ約2倍の強度を誇り、発火温度は1105度と、初めて“不燃性”を実現できたのです。この合金に、アメリカ自動車大手GM社をはじめ、国内外の名立たる企業が熱視線を注いでいるのです。こうして常識を打ち破る夢の金属を開発したのです。それは驚くほど軽く、強くて、燃えないのです。マグネシウムは実用金属の中で最も軽い金属です。鉄の4分の1の重さしかなく、埋蔵量が豊富なのも特徴です。ところが、マグネシウムは強度が低く発火しやすい難点があります。550℃~600℃で発火し、一度発火した後に水をかけると水素爆発が起こるため扱いが非常に難しいです。そのため、軽いというメリットがありながらも用途が限られパソコンや携帯電話などの製品の一部にしか使われることはありませんでした。その強度はそれまでのマグネシウム合金の約2倍、1100℃を超えても発火しないマグネシウム合金になったのです。70年以上に渡って新素材が現れなかった航空機やロケット開発に衝撃を与える未来の金属の誕生だったのです。
こうしてみると、「超超ジュラルミン」が日本で発明され、今度は70年後にさらに強い「KUMADAI不燃マグネシウム合金」がまた日本で発明されたことは、日本人としてたいへん嬉しいことです。これも何かの縁でしょうか?日本発のこうした発明が、今後、世界で役に立ってほしいですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます