あとだしなしよ

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アメリカのやったことには、いいこともあれば悪いこともある[憲法改正議論冒頭部]

2012年12月20日 | 経済・政治・国際
内閣委員会公聴会 - 1号 昭和31年03月16日  [004]中村哲公述人 憲法改正議論冒頭

それは、まず先ほどから神川先生の申されるように、マッカーサーが原案を出したというところに相当問題があるかに思うんです。ところがこのマッカーサーが政府を通じて原案を国会に出したということは、当初からマッカーサーの方で考えられたことではないのです。この点は先ほど申された民政局の日本の政治的再建というあの報告書によりますと、アメリカ側がそのことを明確に言っております。というのは、アメリカとしましては、最初から憲法草案を用意したのじゃなかった。日本政府がいわゆる松本案というものを準備しておりまして、これは公表されておりませんでした。ところが、その占領報告書によりましても、また私自身の記憶によりましても、毎日新聞が当時これをすっぱ抜いたわけです。それを連合国側は見まして、政府が改正しようとしている内容はこういうふうな程度の改正なのか――あの改正案、発表されました松本案と称せられるものは、天皇の権限にはほとんど触れないで、議会の権限を多少ふやすという程度のものでした。そういうものであるとすれば、これは日本の民主政治の方向に合するものではない、こういうふうにアメリカ側としては痛感したわけです。そこでさっそく政府に、今作っている原案を持って来いということで、アメリカ側がそれを要求したというふうに書いてあります。そこでアメリカ側としては、政府がそういうふうな非民主的な草案を作っているようではいけないからというので、急に民政局が草案を作り始めた。ことにその民政局の報告書の中には、その毎日新聞に発表された政府案なるものに対して、日本の民間側ではいろいろ反対があるといっています。われわれはそれに対して批評し反対したわけです。政党もそれに対して批評したわけです。つまり日本が民主化しようというときに、こんな旧憲法そのままの草案を作っているのではだめだということを批評した。つまりそのことによって、アメリカ側としては、当時の政府にまかせられないということで、初めてそこで草案を作ることを用意し始めたわけです。そうしますと、われわれ国民が民主的な憲法を作れという要求は、松本案よりも、むしろその段階においてはマッカーサー司令部の方がそういう意思を反映してくれたと言ってもいいと思います。先ほどからの神川先生の言論の中に、アメリカの占領下で作ったものはすべて悪い、すべて占領政策だと一方的に断定されますが、日本の民主勢力の中でも、そういう見方がないわけではありません。ちょうど裏返したように、日本に対するアメリカの政策はすべて植民地化政策だ、こういう判断をする見方があります。しかし、それはやはり極端なのでありまして、占領下においてアメリカのやったことには、いいこともあれば悪いこともある。やはりアメリカは、日本に比べますと民主政治という点では先進国でありましたし、ことに戦争中の日本なんかに比べたら、比較にならないわけですから、そういう意味で、アメリカが占領下において日本に教えたものの中には、非常にプラスもある、欠点ももちろんあります。それを、すべて日本を従属させるための政策であったというふうに断定することは、歴史を分析する仕方ではなくして、非常に独断的なものの見方だと思うのです。それでアメリカとしましても、占領下においては、アメリカ本位に日本憲法の原案を作っているわけではないので、それだけに今アメリカとしましては、アメリカの都合のいいような再軍備を要求しようとする場合に、日本の戦争放棄をした憲法がじゃまになってきたわけです。このことは、アメリカが自分の都合のいいように憲法を作ったのじゃないということを意味しておると思うのです。今改正が持ち出されているのは、まさにアメリカの要求する再軍備のためであります。そういう意味でも、今の憲法が矛盾しているわけです。そういうふうに、憲法の条文の中にはいろいろの要素がありますが、これを、一がいに占領行政の現われだと言うことはできないと思うのです。むしろそういう占領行政の現われだと言って改正を言っている人は、何を言おうとするかといえば、今の憲法の中にある国民中心の基本的人権を尊重したり、国会が中心であったりする、それを改正しようと言うのでありますから、それは、つまり今の憲法の内容があまり国民本位にできている、国民本位にできているということは、これは占領政策だ、こういうふうな非常に矛盾したことを言っているわけです。

~~中略~~

もともとこの憲法は、日本の民主化のために作られたものです。憲法の基本精神は、この中で言われている通り、民主主義と平和主義とが基調になっている。そういう民主主義や平和主義という点では、日本は、あの終戦までは、軍国主義や独裁主義にわずらわされておりまして、ほんとうに民主主義や平和主義の方向に進むだけの実力を持っておりませんでした。そのために、たまたまここに憲法の力をかりて、そうして民主的な平和的な憲法の示すところに従って、実際の社会の実情をそこまで持っていかなければならなかった、そういう努力をしなければならなかったのです。このことは、憲法制定のときの衆議院の附帯決議の中にも、そういう憲法の条文に沿って日本を民主化することについて、あらゆる努力をしなければならないということを言っている。そのくらいでありますから、実情を憲法に合せるということに努力しなければならないのに、逆に民主化されてない実情の方に憲法を逆行させようとする、そうして、あたかも旧憲法時代に戻そうとするような改正というものは、日本のとるべき方向ではないと考えます。
[049/058] 24 - 衆 - 内閣委員会公聴会 - 1号 昭和31年03月16日  [004]中村哲公述人

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晋三、この本をよく読んでもう一度しっかり勉強するように。――祖父より

昭和31年3月16日、衆議院内閣委員会公聴会で展開された丁々発止の論戦。
知られざる白熱の議事録をここに紹介!

いったい新書の「新しさ」とは那辺にあるのか?
書き下ろしや語り下ろしだけが新書なのか?
そのどちらでもない「温故知新」の新書が1冊くらいあってもいいはず、否、あるべきだと考えます。
本書『50年前の憲法大論争』は、昭和31年(1956)3月16日金曜日に開かれた「第24回国会 衆議院内閣委員会公聴会」の記録です。意見を聴いた案件は「憲法調査会法案について」(法案提出者は時の自由民主党幹事長・岸信介ほか60名)。
公聴会に呼ばれた公述人は神川彦松、中村哲、戒能通孝の3人の碩学。質問したのは石橋政嗣、飛鳥田一雄、辻政信ら8議員。いまからみると、まさにオールスターキャストです。しかも改憲派、護憲派ともにガチンコの議論を展開。論旨はじつにわかりやすく、議場の緊迫した空気も伝わってきます。
白熱の論戦を読みやすく編集し、昭和史研究の第一人者である保阪正康氏の解説を付しました。法案提出者の孫が首相の地位にあり、憲法改正を念願していることを公言している現在、あえて新書のかたちで世に問う所以です。

目次
プロローグ 山本粂吉による開議
第1章 日本人の日本にしなくてはいけません
     神川彦松の公述
第2章 国民の意思を反映したものと見るほかはない
     中村哲の公述
第3章 議会制度にたいする国民の信頼はどうなってしまうのか
     戒能通孝の公述
第4章 どのような成立の経過を経ようとも
     石橋政嗣の質問
第5章 旧憲法に戻すつもりはないが
     山崎巖の質問
第6章 日米安全保障体制のねじれ
     片島港の質問
第7章 二人の旧軍人
     眞崎勝次と辻政信の質問
第8章 日本のナショナリズムとアメリカの世界戦略
     飛鳥田一雄の質問
第9章 自衛権はどうなるのか
     大坪保雄の質問
エピローグ 茜ヶ久保重光の質問
解説 「身体化」された議論の緊張感――保阪正康
50年前の憲法大論争 保阪正康 講談社



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