あとだしなしよ

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吉野ヶ里歴史公園

2007年04月14日 | 気まぐれ徘徊記(デジカメ)
場所:佐賀県、吉野ヶ里歴史公園 2007年3月

佐賀県の吉野ヶ里歴史公園に行きました。ご存知のように弥生時代の村落を実物大で再現したもので、それを自ら体験できるとても貴重な施設だと感じました。弥生時代は前期(紀元前3~前2世紀。始まりはもっと古い?)、中期(紀元前2世紀~紀元1世紀)、後期(紀元1~3世紀)に分類され、吉野ヶ里は今から1800年前の弥生後期のものを再現していると云うことでした。なお、私は歴史の研究者ではないので間違いがあったら御免なさいです。




これは神社の鳥居の原型なのかな…鳥は稲穂をもたらし、稲の実りを呼ぶいきものとされ、弥生の稲作信仰で神聖視されたものらしいです。見ているときも鳥がチュッチュクと鳴いていました。


鳥居から村の神聖な場所へ続く橋。神社によくある橋は川に架けられたものかと思ってけれど、壕に架けられたものだったのだろうか…そうすると日本の神社は弥生の村落をシンボルにしたものなのか…


モロに弥生建築。伊勢神宮のお社もそっくりに見えました。


王の家。まだ縦穴式住居でした。

東アジアには「ゴンドラに乗り鳥の格好をした人達が稲作を伝えた」という伝説が各地にあるそうで、その人達は中国の長江(揚子江)がルーツではないかと云われているそうです。稲作の長江文明があり、長江付近から海を経て流れ着いたボートピープルが弥生=稲作文明ルーツなのではないかとの説もあるようです。この説は私は知らなく、朝鮮半島から陸路で伝わったと思っていました。こういうのは面白くて興味深いです。でもなにから何まで渡来文明とも思えず、日本の土着文明とミックスしたもののような気がしました。

鳥取県の稲吉角田遺跡出土の船が描かれた土器

<ご参考>
吉野ヶ里歴史公園
弥生ミュージアム
インターネット博物館・倭人の形成トップページ
JOG304 日本のルーツ? 長江文明
風葬と稲吉角田遺跡出土土器
妻木晩田遺跡について


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