あとだしなしよ

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失われた海岸線 - 横浜

2007年11月04日 | 横浜
横浜に住んでいると海の近くに住んでいるのに、工場や社屋の林立する埋め立て地に阻まれて全く海を感じる事ができなく、海岸線がどこなのかも分からない。特別な場所に行かなければ海を見る事さえできない。商業施設にしても海を見たきゃ金払え的なムードがプンプンする。海岸線を破壊し尽くした異常な都市、横浜の海岸線を明治初期の地図を元に現在に探してみた。
現在の横浜駅の周辺は全て埋め立て地で、下の地図は明治七年に日本海軍が作成した地図に現在も残る道しるべを書き加えたもので、これを眺めてみると江戸時代の海岸線がよく分かる。(地図はWikipediaの"横浜"から。神奈川台場は跡だけ残る)


明治七年というと1874年、1859年の開港からもう15年も経過していて、横浜~新橋に鉄道が開通したのが明治五年なのでもう鉄道が通っている。これは現在もある京浜東北・根岸線が走っているのと同様の場所を通っていたようで、現在の横浜駅は地図にもある海上の駅だったことがわかった。当時は高島駅という名前で、ここを埋め立てて駅を作った人物の高島からとったそうだ。なんだって海上に駅を作ったのかは分からないが、当時は横浜(今の関内)への直通の道がなく、渡し船が使われていたそうで海運ルートに変わるものとしての鉄道が位置づけられていたせいかもしれない。この高島という人物は材木屋だそうだ。浮世絵の広重の「神奈川宿」の絵にも船が描かれているが、これが当時の海運のルートだったのだろうか。



この広重の絵が描かれた場所が地図中の"1"の現在もある料亭の田中屋付近で、この田中屋がある丘は現在でもこの当時の地形が残っている。田中屋の脇に階段があるのだが当時はここが海沿いのガケで、下が海だったことが広重の浮世絵とこの地図からも確認でる。広重の浮世絵はかなり写実的なようで、ラクダのコブのような靄に煙った掃部山と野毛方面の伊勢山皇大神宮のある山であると思われる山も絵に描かれている。さらに遠く本牧の山も描かれていて、本来の横浜の風景を現在に照らし合わせて思い浮かべる事ができてた。
江戸時代の横浜を描いた二枚目の浮世絵も見てみよう。


これは地図の"2"の浅間という場所から描かれたものらしく、田中屋のある場所から現在も残る旧東海道を下りを保土ヶ谷方面に進んだ場所で、画面左手奥にあるのが神奈川宿だと思われる。広がる湿原地帯(田んぼ?)と海がさぞ絶景であったろうと思われ、とてもうらやましい。浮世絵の登場人物たちは指を指してなにかを見ているようだが、何を見ているのでしょうか?(軽井沢か三ツ沢のほうを指差しているようにも思える。)ここは現在の浅間下の交差点あたりだと思われて、現在は横浜古道を示す案内板がある。現在はビルが建ち並び、交通量が多く汚くて当時の面影なのどまったくない。ここを現在の地図の地点と古地図を見比べてみると、入江の三角形の頂点のあたりで、ここからが神奈川宿の対岸のようだ。ここから先に桜木町方面に続く道路があり、地図の田んぼのある海沿いの道で現在は新横浜通りと呼ばれる浅間町~岡野~平沼橋を繋ぐ道のようだ。現在の地図でも旧東海道を青木橋付近から浅間下までたどり、そこから新横浜通りを海方面へたどれば明治時代の地図と同様の曲線を得られると思う。



この浮世絵の場所は地図の"3"の場所の新田間橋で、平沼橋、戸部が描かれている。ここから左側が海だったことを思い浮かべ新横浜通りをラーメンで有名な吉村屋の前を通りつつ大きな平沼橋を渡らずに下を歩いて行くと、京染めの着物屋さんが近くにある小さな橋がある。ここが絵に描かれた平沼橋のようだ。ここの場所から運河上に浮かぶ横浜駅だけがかつての水上駅だことを思い浮かべることができる。この突き当たりが東海道、相鉄線などが通る線路で、先ほどと同様の浮世絵の案内板が立つ。平沼地区は昔は湿地帯でここらへんも埋め立て地のようだ。平沼橋を渡り、しばらく歩くと根岸線と東横線が走っていいた高架橋があり、その線路沿いが失われた海岸線だと思われ、これで明治初期の横浜駅周辺の海岸線が割り出せたようだ。
こうしてみると横浜駅周辺の川だと思っていたものが運河であり、失われてしまった海の残りだということがわかった。昭和の一桁台の地図をみると幸地区は埋め立てられていない場所も多く内海の記述もみられ、海のなごりは今よりかなりあったようだ。とはいっても製鉄所や製材所が立ちならぶ地域だったようで、この時代でも武蔵の国一といわれたこの神奈川の内湾、袖ヶ浦はもう残っていなかったようだ。。現在の横浜駅のイメージの商業施設は、昭和30年代の相鉄、高島屋、ダイヤモンド地下街ができてからのようである。

2007年の平沼橋から見た横浜駅。海に浮かぶ駅に見えてきた (撮影:オレ)
なお、横浜から川崎方面への海岸線は高速道路の下、関内方面だとJR根岸線が海岸線と思われるので、横浜を抜けると分かりやすい。

高島台から見た現在の横浜駅周辺。下の瓦屋根が田中屋さん。高島屋、スカイビル、ランドマークタワーが見える。


料亭の田中屋を裏の崖下から見たところ。江戸時代だとここは崖下の海になってて、海から見上げている感じだったと思われます。田中屋の玄関前の道が旧東海道。東海道沿いに浅間下あたりまでが海岸沿いの道でとても美しい場所だったということです。


Hiroshige - Tokaido Road
Web 浮世絵 - 神奈川
横浜市 まちづくり調整局 都市計画課 GIS推進事業 横浜市三千分一地形図
横浜市西区ホームページ 西区歴史街道
横浜 割烹 田中家
横浜駅
有鄰 No468 P1 座談会:吉田新田と横浜の埋立て 1
独り言と晩酌の友日記吉田新田物語 横浜(今の関内地区あたり)を研究された文。古地図があったりで、素晴らしい内容です。

閲覧室でご覧になれる資料 横浜開港資料館 http://www.kaikou.city.yokohama.jp/document/picture/index.html

横浜港のパノラマ

Google Earth を使った地形探索入門 - Togetter


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