あとだしなしよ

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東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会

2012年04月07日 | 原発
東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会

※ IC(非常用復水器)です。
福島第一原発で事態の対応に当たっていた関係者の供述によると、 訓練、検査も含めて IC の作動を長年にわたって経験した者は発電所内 にはおらず、わずかにかつて作動したときの経験談が運転員間で口伝 されるのみであったという。さらに、IC の機能、運転操作に関する教 育訓練も一応は実施されていたとのことであるが、今回の一連の対処 を見る限り、これらが効果的であったとは思われない。
以上のとおり当直のみならず、発電所対策本部ひいては本店対策 本部に至るまで、IC の機能等が十分に理解されていたとは思われず、 また社員がその運転操作について習熟していたともいえない。非常時 において、炉心損傷を防ぐ手段として冷却を行うことは、何よりも優 先事項のはずである。そうした重要な役割を果たすことが期待される IC の機能や取扱方法に関する社内の現状がこのような状況にあったこ とは、原子力発電所を運営する原子力事業者として極めて不適切であ ったというしかない。
b 1 号機対処への影響 IC が機能不全に陥ったことから、1 号機の冷却には一刻も早い代替
注水が必須となり、加えて注水を可能とするための減圧操作等が必要 となった。
実際に、1 号機において取られた措置は、主として消防車による代替 注水及び格納容器ベントであるが、既に述べたとおり、それぞれ 3 月 11 日 17 時頃及び 12 日零時頃に準備指示が出されたにもかかわらず、 開始されたのはそれぞれ同日 4 時頃及び 14 時頃であった。つまり、実 施までに大幅に時間を要し、炉心冷却に遅延を生じさせてしまったの である。IC の作動状況の誤判断がそうした遅れを生んだ大きな要因と なったと考えられる。
全電源喪失という非常事態においては、何を差し置いても炉心冷却 のための措置を取るべきことは明白であるにもかかわらず、発電所対 策本部及び本店対策本部は長時間にわたり IC の作動状況を誤認し、そ のため代替注水を急がせなかったのみならず、格納容器ベントの指示発出も遅くなった。換言すれば、IC の作動状況の誤認が 1 号機への対 処の遅延の連鎖を招いたともいえよう。

http://icanps.go.jp/111226Honbun7Shou.pdf


事故調は、一号機は事故直後には配管断裂は無く、IC(非常用復水器)が止まっていたから炉心冷却に長引いて失敗したとの調査結果のようです。(NHKのドキュメントでも放送していたと思います。)#田中三彦さんは1号機は地震で配管断裂に亀裂などが入ったのではないかの指摘だと思います。福島みずほ対談16 田中三彦さん「地震で壊れていた原発」 - YouTube
2,3,4号機の結果を見れば、大きな差異はなかったと思われますが。。
非常用冷却に失敗したのは、非常用ディーゼル発電機が水没したこと & 電源盤も水没したこと の二点のよう。また、消防車による海水注入の遅れたせいということのようです。


事故直後に大量の放射能漏れがすでにあったという記述。
3 月 11 日 16 時 42 分頃、1 号機の原子炉水位計(広帯域)の表示が見えるよ うになったものの、この原子炉水位計によれば、広帯域-90cm を示した後、1 号機の原子炉水位は低下傾向にあり、広帯域-150cm を示したのを最後に、同 日 16 時 56 分頃、再び表示がダウンスケールして見えなくなった。原子炉水位 計が示す水位低下の傾向は、IC が正常に作動していた場合と矛盾するため、当 直は、IC が正常に機能していない可能性があると考えた。そのため、当直は、 D/DFP を用いた代替注水手段についても視野に入れ、1 号機 T/B 地下 1 階に ある FP ポンプ室に立ち入り、同日 17 時 30 分頃には、D/DFP の起動確認を して、いつでも起動可能となるように待機状態とした。
また、同日 17 時 19 分頃以降、当直は、IC の復水器タンク内の水量が十分 確保されているのか否かを確認するため、1 号機 R/B4 階の復水器タンク脇に 備え付けられた水位計を確認しに行くこととした。このとき、当直は、水位計 の位置確認をするなどして準備を行ったが、防護マスクや防護服を装着してい なかった。そして、当直は、1/2 号中央制御室を出発し、同日 17 時 50 分頃、1 号機 R/B 二重扉付近に差し掛かったところ、線量計(GM 管)の針が最高値で ある 300cpmで振り切れたため、確認作業を諦め、1/2 号中央制御室に引き返 した。

検知された放射線は、ほぼγ線と考えられ、γ線を前提とすると、300cpm という数値は約 2.5μSv/h に相当する。
この時点で、1 号機 R/B やその付近において、通常よりも遥かに高い放射線量が指し示された原因は、原子炉圧力容器内の核燃料から通常よりも多くの放 射性物質が放出され、それが建屋内に漏えいしたということ以外に考え難い。 また、既に述べたとおり、津波到達直後に四つの隔離弁は全閉かそれに近い状 態にあり、IC の「冷やす」機能はほとんど機能しなかったと認められ、冷却注 水がほとんどなされないまま 2 時間以上経過している。そうであれば、1 号機 については、既に炉心の露出が始まり、このために 1 号機 R/B 内やその近辺の 放射線量が高くなっていた可能性は十分あると考えられる。

注)
原子炉圧力容器内で放射性物質が発生した場合、γ線などの放射線は、原子炉圧力容器や原子炉格納 容器の破損がなくとも建屋内に発散される上、電源喪失による建屋内の空調設備の機能停止も放射線量 上昇につながる要因となり得るため、建屋内の放射線量が上昇したことのみをもって、原子炉圧力容器 や原子炉格納容器(又は周辺の多数の配管、貫通部等)の破損が存在したと認めることはできない。ま た、この時点で、原子炉圧力容器や原子炉格納容器(又は周辺の多数の配管、貫通部等)に大きな破損 箇所が生じていれば、その後、同日夕方以降しばらくの間、1 号機 R/B や T/B 内で当直が D/DFP の起 動確認や弁の開閉操作等の現場対処に臨むことができたこととも矛盾すると考えられる。

ここでは2.5μSV/h は原発作業員が作業を中断する線量であることに注意。
日本国の文科省は3.8μSv/hの土地での校庭の運動を認めているという、無茶苦茶な省庁です。

ベント成功
1号機のD/W圧力は、3月12日14時30分頃に0.75MPa absであったと ころ、同日 14 時 50 分頃に 0.58MPa abs まで低下し、NHK の映像によっても、 1 号機の排気筒から白い煙が出ているのが確認できた。そこで、吉田所長は、 同日 14 時 30 分頃にベントによる放射性物質の放出がなされたと判断し、同日 15 時 18 分頃、その旨官庁等に報告した。

メルトダウンではなく、1号機の放射能上昇はベントのせいなのでしょうか。当時(このあとの2号機?)ベントによる放出時はフィルターで放射能は取り除かれるとNHKで言っていた記憶があるのでベントではなくメルトダウンによる放射能上昇と思っていました。。
1号機はともかく、しかしながら消防車による海水注入ができていた???他の号機でメルトダウンをしたのはなぜ?という疑問が残ります。(亀裂が徐々に大きくなり、やっぱりどこかで大量に水が抜けてたのではないのか??)そうなると全電源喪失の対応策は無いということになると思いませんか???

参考>
官房長官記者発表 平成23年3月|首相官邸ホームページ

なんにせよ想定外のことは起こるわけで、それを含めた原子力発電所というモノ存在してはならない物と、私は考えます。