あとだしなしよ

Japanese text only..
落書きブログです。
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横浜大桟橋

2007年11月10日 | 横浜

大桟橋の象の鼻とみなとみらい

最近、伊勢佐木町と馬車道を歩いて昔あった映画館を探してみたのですが、軒並み閉店していて今残っているのは"横浜シネマリン”と"横浜ニューテアトル”だけのようでした。なんだか寂しかったというより、全てなくなっちゃう危機的状況にも思えました。シネマリンでは"自虐の詩”を上映していましたが、なんだかピッタリな感じがしてしまいました。

吉永小百合

2007年11月10日 | 日本映画
ラジオの街で逢いましょう」で関川夏生が吉永小百合を評して、「戦後アメリカ民主主義」って言ってたけれど、そうなのかなあ?「キューポラのある街」の吉永さんのことをアメリカ型民主主義を体現していて、前向きでホームルームで活躍する優等生で、スポーツも野球で4番バッターのタイプ…とかっていってたけれど、あの映画を見てそんなことは私はまったく印象に残らなかった。前向きな勤労少女とういのは、そうだと思いますが。。あの映画は、吉永さんのおとうさんは埼玉の鋳物工場をクビになって貧乏で、その同僚が浜田光男で労働組合に入っていてお父さんを助けようとしたりして、その浜田と吉永は仲が良くてって話でこじつければ勤労プロレタリーアトな左派系じゃない?(どっちでも良いんですが…アメリカ民主主義なんていうからさぁ)吉永さんは学校帰りにパチンコ屋でバイトして、そこで一緒に仕事をしている朝鮮人の女の子と仲が良くて、その子はバラックのようなところに住んでいて本当に貧乏で…最後は帰国事業で夢の国と宣伝されていた北朝鮮に行くって話で、どうこじりつければアメリカ民主主義なのかわからない。太陽族のなりそこないだが本質はおんなじかもしれない貧乏なチンピラグループにカツアゲされていた男の子(弟だっけ?)を助けようとして、睡眠薬を飲まされて危うく暴行されそうになったりと、イシハラ的にっかつと正反体の意識にあふれている映画じゃないのかなあ。あんまり出てこないけど浜田光男は労働組合のホープで最後にお父さんの職場復帰をたすけるし、学校の担任もそちら方面だし、まったく印象が違う。吉永さんも最後は、昔なら奉公にでたり身売りされてしまうところを労組が強い感じの会社に定時制の生徒として就職するというのがラストだし。あたしには分かりません。私にはなんだかよく分からないナントカ主義伝々より、吉永さんは、愛や仕事にただまっすぐに生きていくことを体現していたお人に見えます。

ポップスから歌謡曲まで、懐かし音楽の玉手箱 ★ まぼろし放送 まぼろし放送的・哀愁のまぼドル~プロローグで名曲、「恋の歓び」が聴けます。