小さな旅 池上の寺めぐり・朗師講 4・5
4 本妙院
5 理境院
6 池上本門寺 (別途)
4 本妙院 山号:朗栄山
大田区池上1-33-5




本妙院の案内板


5 理境院 山号:妙祐山
大田区池上1-34-3

理境院の赤門
石碑 両山三世・當山開基 日輪上人草庵跡


理境院 本堂
扁額 妙祐山
理境院の案内板
〇池上本門寺歴代
2世 日朗聖人 (鎌倉時代)
3世 日輪聖人 (南北朝時代)
12世 日惺聖人 天文・天正・慶長年間。
天正18年(1590) 徳川家康、江戸へ入府。この後、日惺聖人は比企谷から池上に移住し、以後両山貫主は池上に常住する。
〇日傳(日伝)聖人 朗門の九老僧 (鎌倉時代)
〇本妙院日逗聖人
日朗聖人、日輪聖人のこと (当ブログ内でのリンクです)
『日蓮聖人 六老僧』 (宗史概論)
『日朗上人 朗門の九鳳(九老僧)』
4 本妙院
5 理境院
6 池上本門寺 (別途)
4 本妙院 山号:朗栄山
大田区池上1-33-5





池上の寺めぐり 本妙院
縁 起
本門寺二世 日朗聖人の直弟子日傳聖人が庵室として池上の西谷に開創(年代不明)。旧称は妙蔵坊。元亀四年(1573)火災で焼失。本門寺第十二世 日惺聖人が当時の住持 本妙院日逗聖人に再建の資助を与え、南谷外溝の道端に移築再興し、本妙院とよばれるようになった。元禄3年(1690) 本門寺の防災のため支院の整備、配置換え、総門の建立、此経難持阪(石段)の改修などが行なわれ、本妙院も現在地に移されたという。


5 理境院 山号:妙祐山
大田区池上1-34-3

理境院の赤門
石碑 両山三世・當山開基 日輪上人草庵跡


理境院 本堂


池上の寺めぐり 理境院
縁 起
元亨年間(1321~1324) 本門寺三世 日輪聖人の住坊として開創。大坊本行寺、照栄院と共に池上三院家の一つに列せられ、古来より朱塗りの山門(赤門)を許される。延宝年間(1673~1681)に長澤氏の母 理境院妙性日貞尼の寄進の法功をたたえ理境院と改称。慶応三年(1867) 官軍の江戸城明け渡し要求の際に、官軍参謀西郷隆盛は当院を宿舎にあてたと伝えられる。明治十一年(1878) 堂宇を小学校校舎に使用、池上小学校の前身となる。
〇池上本門寺歴代
2世 日朗聖人 (鎌倉時代)
3世 日輪聖人 (南北朝時代)
12世 日惺聖人 天文・天正・慶長年間。
天正18年(1590) 徳川家康、江戸へ入府。この後、日惺聖人は比企谷から池上に移住し、以後両山貫主は池上に常住する。
〇日傳(日伝)聖人 朗門の九老僧 (鎌倉時代)
〇本妙院日逗聖人
日朗聖人、日輪聖人のこと (当ブログ内でのリンクです)
『日蓮聖人 六老僧』 (宗史概論)
『日朗上人 朗門の九鳳(九老僧)』