goo blog サービス終了のお知らせ 

かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

池上の寺めぐり・朗師講 4.本妙院~5.理境院

2012-07-31 | 池上の寺めぐり・朗師講
小さな旅 池上の寺めぐり・朗師講 4・5
4 本妙院
5 理境院
6 池上本門寺 (別途)


4 本妙院 山号:朗栄山
大田区池上1-33-5








本妙院の案内板
池上の寺めぐり 本妙院
 縁 起
本門寺二世 日朗聖人の直弟子日傳聖人が庵室として池上の西谷に開創(年代不明)。旧称は妙蔵坊。元亀四年(1573)火災で焼失。本門寺第十二世 日惺聖人が当時の住持 本妙院日逗聖人に再建の資助を与え、南谷外溝の道端に移築再興し、本妙院とよばれるようになった。元禄3年(1690) 本門寺の防災のため支院の整備、配置換え、総門の建立、此経難持阪(石段)の改修などが行なわれ、本妙院も現在地に移されたという。






5 理境院 山号:妙祐山
大田区池上1-34-3

理境院の赤門
石碑 両山三世・當山開基 日輪上人草庵跡




理境院 本堂

扁額 妙祐山

理境院の案内板
池上の寺めぐり 理境院
 縁 起
元亨年間(1321~1324) 本門寺三世 日輪聖人の住坊として開創。大坊本行寺、照栄院と共に池上三院家の一つに列せられ、古来より朱塗りの山門(赤門)を許される。延宝年間(1673~1681)に長澤氏の母 理境院妙性日貞尼の寄進の法功をたたえ理境院と改称。慶応三年(1867) 官軍の江戸城明け渡し要求の際に、官軍参謀西郷隆盛は当院を宿舎にあてたと伝えられる。明治十一年(1878) 堂宇を小学校校舎に使用、池上小学校の前身となる。


〇池上本門寺歴代
 2世 日朗聖人 (鎌倉時代)
 3世 日輪聖人 (南北朝時代)
12世 日惺聖人 天文・天正・慶長年間。
天正18年(1590) 徳川家康、江戸へ入府。この後、日惺聖人は比企谷から池上に移住し、以後両山貫主は池上に常住する。
〇日傳(日伝)聖人 朗門の九老僧 (鎌倉時代)
〇本妙院日逗聖人

日朗聖人、日輪聖人のこと (当ブログ内でのリンクです)
『日蓮聖人 六老僧』 (宗史概論)
『日朗上人 朗門の九鳳(九老僧)』



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。