案内板 加藤清正の供養塔
大田区文化財
加藤清正の供養塔
山内最大級の宝篋印塔(ほうきょういんとう)であり塔身・笠・相輪が完備している。
この供養塔は加藤清正(1562~1611)の息女で紀伊頼宣の室(夫人)瑤林院(1601~66)が父清正の満三十八年目の忌日に当る慶安二年(1649)、その供養のために造立したものである。
清正は、安土桃山時代の武将として有名であるが、熱心な日蓮宗信者でもあった。加藤清正父娘の信仰心と孝養心が、うかがえる供養塔である。
昭和四十九年二月二日指定
大田区教育委員会
南無多寶如來(南無多宝如来)
南無妙法蓮華經(南無妙法蓮華経)
南無釋迦牟尼佛(南無釈迦牟尼仏)
(右・中央・左の順)
慶長十六年辛酉
淨池院殿日乘合靈(浄池院殿日乗合霊)
六月□浣四日遠行
慶長十六年辛酉 間違いなのか、それとも造営時に何かわけがあったか辛亥を嫌ったか(?)
浄池院殿日乗合霊 浄池院殿永運日乗大居士
六月二浣四日遠行 左のような字ではないかもしれない。
二と十の合体字(?)廿?。浣とは一カ月を三等分したもの、とある。
没年 慶長16年6月24日(1611年8月2日)
ちなみに生年は永禄5年6月24日(1562年7月25日)
『清正公信仰の研究 ―近世・近代の「人を神に祀る習俗」―』 福西大輔(さん)
熊本大学の学位論文ということです。、ネットで行きつき、興味深く読ませてもらいました(まだ拾い読み段階ですが)。権現・流行神・軍神と時代によって変化していく様が書かれています。
それと、数奇な運命をたどった日延上人(1589・天正17~1665・寛文5)。小湊・誕生寺18世、白金・覚林寺(清正公)、香正寺、妙安寺等の開山。僧歴以外のことも知りたいです。