妙法蓮華經(経)三部石(百?)冩(写)供□塔
天童文應襌(禅)□□□
由緒ありそうな石碑ですが、読めず、調べられずです。(残念)
五大堂縁起(案内板より)
平安時代初期の八〇七年
坂上田村麻呂がこの島に毘沙門堂を建て、八ニ八年、慈覚大師が瑞巌寺の前身・松島寺を建てて、ここに五大明王を祀り、五大堂と呼ぶようになった
現在の建物は一六〇四年、伊達政宗が紀州(和歌山県)の名工鶴衛門家次に命じて建立した。方三間の宝形造で、四方に匂欄つきの縁を巡らし、正面に向拝をつける。内部に重厚な家形厨子を置き、五大明王像を安置する。
有名な蟇股の彫刻など、雄健桃山建築として、国重要文化財指定されている。
瑞巌寺
検索中に出会ったHP 『松島塾 松島を愛する人のための教科書』、その中の「松島寺滅亡記」に釘付け(夢中)になってしまった。歴史物語と歴史的な事実、考えさせられる事が山と積まれています。
現在の瑞巌寺は臨済宗妙心寺派の禅宗寺院(松島青龍山瑞巌円福禅寺)である。が、その昔は松島寺(青龍山延福寺)と呼ばれ、天台宗の古刹であり、修験道の寺でもあったという。それが鎌倉期に宗派が変わった(臨済宗建長寺派・円福寺)。その間の事情を、歴史物語として詳述されていますが、ここにも執権・北条時頼の名が出てくるのには参りましたです、ね。
記) 東日本大震災について
松島海岸は、湾内の島々が緩衝地となったので、津波での被害は比較的軽かったようです。